わたしはネコになりたい。

藤光

ネコになりたい

 わたしはネコになりたい。


 会社に出勤しようとバスを待っていると道路脇にネコが倒れていた。すぐそばの交差点でクルマにはねられたのだろう。子どもの頃から何度も見ている珍しくもなんともない光景だが、近ごろは見かけることがないので驚いた。


 イヌはそうではないが、ネコはクルマにはねられる。そのぶんネコはイヌより人間とその文明を呪っている。人間に捨てられるのも決まってネコだ。子どもの頃、当時仲のよかった友だちとネコを拾ったことがある。虎じまのぽわぽわした子猫だった。


 ――ふたりで育てよう。


ということなり、家へ連れて帰ったのだが、案の定、母親はネコを飼うことを許さなかった。


 ――うちにはもうコロがいるでしょ。


 コロはイヌである。イヌを飼っていたらネコを飼うことはできないというのは、理屈としてはズレている。筋違いだ。母さんは化け猫になってしまうかもしれないネコが嫌いなだけなのだ。


 水木しげるの妖怪図鑑に描かれた化け猫を思い出す。大きく裂けた口は子どもを頭から丸呑みにする。


 わたしは情けない気持ちと子猫をふたつ抱えて、元いた場所に捨てにいった。友だちはおらずひとりだった。胸に抱いた子猫は柔らかくて、しなやかで、するりと抜け落ちてしまいそう。いかにも妖怪の子という感じがして気持ちが悪く、とても怖くなった。子猫は大きくなったら化け猫になってわたしのところへやってくるのだ。人間文明への怨みをこめて、丸かじりにわたしを呑み込んでしまう。


 夜、家へ帰るときにみると、停留所傍に倒れていいたネコの姿はなくなっていた。死んだネコがいなくなるはずはないから化け猫になったのだ。帰宅すると、玄関の鍵か掛かっているか何度も確認してからベッドに入った。


 人間とは臆病な生き物だ。


 夏目漱石はネコを飼っていた。『吾輩は猫である』に登場する猫のモデルだ。


 ――吾輩は猫である。名前はまだない。


という書き出しではじまるが、ついに名前を付けてもらうことはなく、漱石は「猫。猫。」と呼んでいた。いかにも愛情の薄い主人であるが、小説にして長く後世に残したことを考えれば、この国はじまって以来、もっともネコを愛した男なのかもしれない。


 漱石のネコは、人間のことを観察して「奇妙な生き物だ」という。『吾輩は猫である』は奇妙な人間の生態を観察する猫のエッセイだ。しかし、ネコがそんなことを言うはずがないので、ネコの口を借りて漱石が言っていることになる。自分(人間)のことを奇妙だと言うわけだから、漱石自身が相当奇妙な人である。漱石はネコになりたかったのだ。ひどく共感する。


 また、創作には人語を解するネコというものも登場する。言わずと知れた国民的アニメ『ドラえもん』だ。子どもの頃、ごく当然のようにネコ型ロボットであるドラえもんを受け入れていたが、


 ――青ざめたタヌキじゃないのか。


というツッコミをおいても、風変わりで、わたしにもドラえもんがいたらなあと何度思ったかしれない

魅力的な物語だった。


 ドラえもんは、のび太の親友であり、のび太また、ドラえもんの親友だ。いっしょに遊んで、いたずらして、叱られて、ケンカする。ふたりは目線の高さが同じ友だち同士。のび太の気の合う友達というポジションはドラえもんが自由気ままなネコだったからこそだ。タヌキであるなど論外だし、わたしの好きなイヌだったら、「桃太郎」がそうであるように、のび太の家来になったかもしれない。


 しかし、のび太もわたしも、ほしいのは友だちであって家来じゃない。ドラえもんがイヌでなくネコでよかった。


  主人に忠実、敵には勇敢なイヌ。

 自由で気まま、逃げだすことに躊躇しないネコ。


 大人になってずっと同じ会社に勤めている。くだらない仕事だ。不景気なくせに仕事に追われている。利幅が少なく数をこなさないと、十分な利益が上がらないからだ。わたしの収入にもつながらない。猫の手も借りたいというやつだ。しかし、自由なネコに会社勤めは務まらない。忠実なイヌであることを求められる。『ドラえもん』はいらないのだ。従順を強いられ、くだらない仕事から逃げだすことのできないわたしはネコに憧れる。


 道端で倒れているのはいつもイヌではなくネコだ。

 それでも、わたしはネコになりたい。

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わたしはネコになりたい。 藤光 @gigan_280614

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