後編

「――ガリガリキンキンうるせえんだよ……」

「失礼しちゃウ。人間の方がよっぽどうるサイワ」


 水卜は顔をしかめて威勢は良くしているが、かなり衰弱している事は明白だった。


「アナタにもおしオキしないとね」

「ン――」


 花で視界を奪った水卜に顔の部分を近づけた桜の怪異は、彼女の口に自身の唇相当の部分を押し当てると、その中に収まっていた無数の小さな手の塊をその口内に押し入れた。


「気持ちわるイ? イイ? どっチ? ヨ過ぎテ答えられナイ?」

「……」


 声を出せないままピクッピクッと動いて息を漏らす水卜みうらに、桜の怪異は幹に口を生やしてそう言い、水卜の口内を蹂躙じゅうりんしながらまたせせら笑う。


「あア、もうすぐネ。身体が小さいと楽しめるジカンが短いワ」

「ッ……」


 数分間に渡る責め苦から解放された水卜は、さすがに息も絶え絶えで口は開きっぱなしな上、目の焦点が定まらない状態になっていた。


「良いワねその顔。ゾくぞクすルわァ……!」


 そのとろけた顔に身体を震わせる桜の怪異が、恍惚こうこつの表情で舌なめずりをしたそのとき、


「あー、いたいたー」


 突如、白い空間にひび割れが生じ、非常にフワフワした軽い声とノリで長身のパーカー服少女が入ってきた。


「あっ、ひなっちがいろいろと大変なことになってる」

「いいから、助けろ、ユウリ……。さすがに……、し、死ぬ……」

「あいさー」

「そうは問屋がオロさナ――エッ」


 桜の怪異は水卜を無抵抗のまま捕らえた、爪で出来た花びらの豪雨を放ったが、ユウリを中心として黒いもやが噴きだし、次の瞬間にはユウリと水卜の姿が消えていた。


「これ分解しチャった方がいイ?」


 チャペルのステンドグラスの前に水卜の姿はあり、巨大な狐とヒグマと人のキメラ、といった姿をしているユウリの手の中にいた。


「今は……、やめろ……、殺す気か……」

「わかっタ! やめとク!」

「遅せえんだよ……、バカ……」

「ごめんネー。『もふもふ雲グミ』探したンダけど、どこモ売り切れデー」

「落ち、着いてから……、つったろ……。全く……」

「えへへ」

「褒めてねえから……」


 桜の怪異の本能が、その暗黒色の巨体から危険信号を感じて後ずさる中、握りつぶされれば終わりな場所にいる水卜は、リラックスした体勢でその怪物と話していた。


「な、ナンなのそいツはッ!?」


 今まで相手にしてきた存在とは圧倒的に格の違う『何か』に、恐れおののく桜の怪異は純白のドレスを着ている様に見える水卜に訊く。


「なんなの、って……、言われてもなあ……。お前って、なんだっけ……」

「ユウリはユウリだヨー。まァ、それハどうでも良いケド――アナタヲコンナニシタノハ、アノ三下デ合ッテル?」


 若干ざらついているがフワフワしたユウリの声は、桜の怪異に視線を合わせて言った後半部分が、しわがれた様な低い声へと変化した。


「おう……。でも殺すなよ……。またタダ働きになる……」

「りょーカイ。顔ぐらいノコしておけばいー感ジ?」

「核は、そこだからな……」

「ヨーし、がんばるゾー!」

「ウワアアアアッ!」


 桜の怪異は脳天気な声とかみ合わない殺意を向けられ、恥もなにもなく全力疾走でユウリが割り開けた亀裂から逃げようとする。


「はーい……、大人しくお縄につけー……」


 しかし、そこから飛び出す直前にユウリの黒いもやを通過したため、桜の怪異の顔部分が頭についた円柱が、地面を転がってトイレの壁にぶつかった。


「クそガ……」

「立てルー?」

「無理……」

「じゃア、こうしよウ」


 すでに拘束具が黒いもやによって除去された腕で、水卜はユウリのもやの中から注連縄を出すと、うつ伏せになったまま手を伸ばし、彼女の手を借りて荷物の様に縛った。


「わたシを捕まえた所デ無駄ヨォ?」

「ユウリ……、アレあるか? ほらあの……。だめだ、頭が回らん……」

「真空保存するやつでショ? おまかセー」


 自分の中から大きな耐圧容器を取り出し、恨みがましく呪詛じゅそを吐く桜の怪異をわしづかみにしたユウリは、


「だって血染めの桜はそこらジュう――」


 容器の中に桜の怪異を入れてフタを閉め、その中の空気をポンプで抜いてしまった。


「ウわ、よく見たらこのドレス気持ち悪ーイ」

「だろ……」

「じゃあ消しちゃっていイ?」

「上になんか……、着せてからにしろ……」

「寒イもんネー」

「それより前に……、春の変態に……、なりたくねえの……」

「なるホド」


 グロッキー状態の水卜に、ユウリは自身の中から出したスタジアムジャンパーを着せてから、悪趣味なドレスを黒いもやで除去した。


 ややあって。


「さて水卜捜査官。早速だが始末書を来週の月曜までに提出する様に」


 怪異犯罪取締局付属病院で、ユウリと『もふもふ雲グミ』を食べながらたっぷりと輸血を受けている、病室の水卜の元に課長が自ら足を運んで彼女にそう催促する。


 彼女の体内に残っていた根と毒素は、ユウリがまとめて彼女から除去していた。


「見りゃ分かるだろ。土日で仕上げろとか鬼かアンタは」

「上司に虚偽の報告をした上に、単独行動で死にかけた挙げ句、貴重な装備品まで壊しておいて、それで済むだけマシではないかな?」

「じゃねえよ」

「せっかく局長に私が頭を下げたのが無駄になってしまったな。では小一時間の訓告と80%の減給を3ヶ月――」

「いや、書かねえとは言ってねえから」


 本来の処分内容を聞いて、慌てて手のひらを返した水卜へ、


「よろしい、水曜日まで待とう」


 と言った課長は、見舞い代わりに鉄分を強化した牛乳を置いて去って行った。


「ひなっちー……」

「はいはい」

「今度はちゃんとお花見いこーねー。なんか変なのがいないとこー……」

「はいはい」


 それを飲もうとした水卜を愛おしそうに抱きしめ、ユウリはなおざりな対応ながらもまんざらでもなさそうな、彼女の柔らかな短い金髪に頬ずりをし始めた。

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怪異犯罪取締局特別捜査官 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

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