孫の手より猫の手

北浦十五

黒猫の端午



私は今年で91歳になる。



幸いなことに認知症とやらにもならず、まだ足腰もしっかりしている。



私は4年前に生涯の伴侶であった妻を亡くしている。



私のような頑固者にも良く尽くしてくれた。


いつも笑顔を絶やさない穏やかな女性であった。


正直言って、私には勿体無いほどの伴侶であった。


妻を亡くしてから娘夫婦は一緒に暮らそう、と言ってくれたが私は断った。


娘の亭主とソリが合わないからだ。


この娘の亭主は悪い男では無いのだが目先の事しか考えない男だ。


知人から儲け話を聞かされるとホイホイと乗ったりする。


私の娘がしっかりしているので借金等はしていないのが不幸中の幸いだ。


私は、この娘の結婚には反対だった。


しかし、妻の言葉で結婚を許した。


あの人は娘の事を本当に大切に思ってくれているのですよ、と。


そして女は自分を大切に思ってくれる人と一緒になるのが幸せなのですよ、と。


私にはそんな妻の言葉は信じられ無かったが、妻は人を見る目はしっかりしていた。


だから私は渋々娘の結婚を許したのだ。


娘が結婚してから私はその男と何回も会ったが、やはりソリは合わなかった。


ただ、娘の事を大切に思っている事は確かなようだった。


しかし、妻が亡くなってからその男と一緒に暮らそうとは思えなかった。


一緒に暮らそう、と言う娘の申し出を断ったのもそれが理由だ。


今は私は1人暮らしだ。


正確に言えば、一匹の黒猫と暮らしている。





その黒猫は「端午」と言う名前だ。


元は迷い猫であったが妻が亡くなった年に庭先にチョコンと座っていた。


私が庭の花に水をやっている時だった。


普通、野良猫と言う生き物は常に何かを警戒して人の姿を見ると直ぐにいなくなってしまうものだ。


しかし、その黒猫は座ったままじっと私を見つめている。


まだ子猫のようだがその姿には不思議な気品のようなものがあった。


「何だ、お前は水が飲みたいのか?」


私はそう問いかけた。


「ミャア」


とその黒猫は鳴いた。


まるで私の承諾を得るように。


水を飲むのに承諾を得ようとする態度が頑固者の私の心に響いた。


私は庭先にあったプラスチック容器に水を注いだ。


「ほら、飲んでもいいぞ」


しかし、黒猫は座ったままだった。


私は苦笑を浮かべた。


「やれやれ、お前もそうとう頑固者みたいだな」


私は黒猫の近くまで水の入った容器を持って行った。


「ほら、飲みなさい」


そう言って私はしゃがみ込んで黒猫の方へ容器を差し出した。


すると黒猫は私が承諾したと理解したかのように水を舐め始めた。


ある程度の水を飲んだ黒猫は私を見つめて「ミャア」と鳴いた。


まるでお礼を言うかのように。


私はその黒猫に「端午」と言う名前を付けて一緒に暮らす事にした。


「端午」と言う名前はその黒猫と出会ったのが端午の節句の頃だったからだ。


こうして私と「端午」の同居生活が始まった。





同居生活と言ってもいつも一緒に居る訳では無い。


元来、猫と言う生き物は人に就くと言うよりも家に就く生き物だ。


この家を自分の縄張りだ、と認めたのかいつも庭をウロウロとしている。


他の猫が入って来ないように見回りをしているようだ。


猫の成長は早い。


半年もすると一人前になってこの家に近づく猫と一戦交えたりするようになった。


かと思えば縁側で呑気に昼寝などをしている。


私の存在など無いもののように。


私もベタベタと懐かれるのも嫌なのでこのくらいの距離感がちょうどいい。


それでも用意した猫まんまは食べに来るし夜中に私の布団の中に入って来たりする。


それも毎日では無いので、要するに気まぐれなのだろう。


本当に勝手な奴だ。


しかし不思議な事に私が背中が痒いと思った時には背中を掻いてくれる。


私が何も言わないのに掻いてくれる。


それ以外は私の事などは知らんぷりなのに。


世間には「孫の手」と言うものがあるが私の場合は「猫の手」だ。


そんな同居生活が今の私にはとても心地よい。





しかし、私にも注文と言うものがある。


「端午」よ。


背中を掻く時にはなるべく爪を立てないでおくれ。


お陰で私の背中は傷だらけだ。


そして。


私よりも長生きしておくれ。







おしまい



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