第3話

「ていうことなんだよねえ。どう思う姉さん」

 見合いは次の日曜日、埼玉県内の某ホテルにて。兄の事務所を辞して、俺は俺の自宅で飯を食っていた。ここんとこ毎日コンビニ飯。いつもはヒモで食ってるんだけど、この半年ぐらいは養ってくれる素敵なお姉さんに出会えていない。出会えていない、というか。

「俺も結婚迫られることが増えたし、なんかおかしいんだよね〜」

 市岡ヒサシくんの綺麗な顔とご飯の食べっぷりと鍛え上げられたセックスの技術にお金を払ってくれていたお姉さんたちが、なんか知らんがみんな結婚をちらつかせてくるようになった。慌てて関係整理していたら実の兄はあの調子だし、絶対何かがおかしい。

「姉さん」

 姉さん。七つで死んだ俺の姉さん。弦儀つるぎ姉さん。俺には死んだ姉さんが見える。それが姉さんそのものなのか、もしくは何かの怪異が姉さんのふりをしているのかは分からないけど、とにかく気付いたら姉さんは俺の側にいた。死んだ七歳の姿ではない。俺が年を重ねるとともに、姉さんも成長していった。だから今の姉さんは三十代半ばってところ。飯を食い終えて、ベランダに出た。雨が降ってるけど関係ない。煙草を咥える。弦儀姉さんも一緒にベランダにしゃがみ込む。さっきの事務所にもいたよね、姉さん。どう思った? 俺たちのお兄ちゃんおかしくない?

 姉さんはなにも言わない。いつもにこにこと笑いながら俺を見ている。まあ厳密にはマジでいつもってわけじゃないんだけど。だってほらお姉さんたちとのセックスの時とか気まずいじゃん?

 俺が稟市のことをなんでも知ってるっていうか、気付いてしまうのは姉さんのお陰だ。稟市がヤバいことになってたり、おかしな事件に巻き込まれていると姉さんが俺にそれを伝えようとしてくる。声は聞こえないから口をパクパクさせるだけとか、ジェスチャーだったりとか、手段はまあ色々だけど、今回の見合いの件もそう。俺の夢に出てきた姉さんが全然知らん女のポートレートみたいのを突き付けてきて、あ、稟市だ、って俺は気付いたんだ。

「俺たちで末代にしなかったらやべえじゃん。もう終わらせないとさあ」

 煙草、すぐなくなっちゃう。新しい紙巻きを取り出し火を点ける。と、姉さんの顔がものすごく近くにあるのに気付いた。うわあ。びっくりする。

「なに、姉さん」

 姉さんが死んだ時、俺はようやく脱乳幼児したぐらいの年齢だったからその時のことを詳しく覚えてないんだけど、すごく悲しそうな祖母と母、それに悔しそうな父のことはまるで前世の記憶みたいに覚えていて、それからその時はまだ生きてた曽祖母がものすごく怒っていて──

「お狐様に逆らえるはずがない、」

 言葉が勝手に口から溢れた。

「無駄な抵抗はしない方がいい、おまえも、死、」

 稟市。

「姉さん!?」

 顔を振り向けた時には、姉さんはどこにもいなくなっていた。

 煙草を消した俺はその場で実家に電話をかけた。実家っていうかお父さんに。


 お父さんはクルマを飛ばして来てくれた。助手席に猟銃が積まれている。お父さんは狩猟免許を持ってるし、もちろん猟銃所持許可証もあるし、この猟銃は死んだおじいちゃんの形見だ。

 電話したのは金曜日、今日は土曜日、稟市は事務所にいない。一緒に事務所やってる弁護士の相澤くんに居場所を聞いたけど分からないって言われた。頼みの綱の姉さんは見えない。稟市には電話してもメッセージ送っても既読が付かない。クソ兄貴。何やってんのマジで。

「狐か」

 お父さんが言った。お父さんはあんまり喋らない。背が高くて、長い黒髪を引っ詰めて縛って、目の色は灰色で、稟市にも俺にも少しずつ似ている。

「焦ってるでな」

「狐が?」

「ん」

「なんで」

「手強いからよ」

 おめえたちが、とお父さんの手が俺の首の後ろをぐっと掴んで揉む。痛い痛い。力が強いよ、お父さん。

 探し回るよりは明日を待とうとお父さんは言った。それで大丈夫なのか俺は少し不安だったけど、でもまあたしかに何の手がかりもないままに人探しをするのは無理がある。明日になれば兄は間違いなくお見合いのためにホテルにやって来る。俺たちも同じ場所に行けば、絶対に会える。

 ひと晩がいやに長かった。お父さんは俺の家に泊まった。会話は特になかった。姉さんもいない。

 翌日。俺が運転するクルマでお見合いの場所に向かった。稟市は予定の時間より早く来るだろう。だから俺たちはもっと早く、朝九時にはコインパーキングにクルマを叩き込んだ。

 二時間後。ホテルのエントランスに、きちんとしたスーツ姿の稟市が現れた。

 クソ、いい男だな。

「ヒサシ? ……父さん!」

 観光客とかコンシェルジュとかなんかとにかく人がいっぱいいる目の前で、お父さんは猟銃が入ったケースを開ける。まったく迷いのない手付きだった。あたりがざわめくのが分かる。分かるけどちょっと黙ってて!

「何を、とうさ、」

「黙れや狐。俺の息子に手え出すたあ、いい度胸だで」

 弾は入っていない。実弾は。だがお父さんは稟市の額に銃口を向け、引き金を引いた。

 ガチッという音と同時に、兄の体から何かが飛び出した。

氷差ひさし

「はいよ!」

 飛び出したそれに向かってお父さんが持ってきた市岡神社の護符を叩き付ける。狐色の狐がこちらに牙を剥くのが一瞬、見えた。かわいそうにね。自分のパートナーを犠牲にして作られた護符で防戦されるなんて、本当にかわいそう。でもこちらとしても兄を連れて行かれるわけにはいかないんで。

 その後ホテルの人が呼んだ警察の人にお父さんが連れて行かれたりとか、お見合いどころじゃなくなった稟市がお見合い相手ご一行様にマジ土下座をするところを写真に撮ったりとか、虚脱しきった稟市をクルマの後部座席にぶち込んでお父さんを迎えに警察署に行ったりとか、それから特急電車で上京して来たお母さんと駅で合流したりとか、まあなんやかやあっておばあちゃんを除く市岡の一家が埼玉に全員集合しちゃったんだけど、稟市はお父さんともお母さんともろくに口を利かずに逃げるように自宅に去ってしまった。「ごめん」「ありがと」とだけ言って。

「なんで来た」

「あんたが急に出てくから」

「……女が関わったら危ね。分かってんだろ、凛子りんこさん」

「分かっとるけどね。氷差、おまえは大丈夫なの?」

 お母さんに会うの久しぶりだ。こうやって喋るのも。でも女性が関わった方が危険度が増すっていうのは、まあ、マジ。なので一旦全部終わってからお母さんが来てくれて良かったなと思った。

 姉さんの姿も、また見えるようになっている。

「凛子さんは、電車で帰れ」

「はいはい」

「俺はクルマで」

「分かってるわよ。無事に帰って来てよね」

 うちの両親はマジ仲良し。でも一緒にこっちに来なかったし、一緒に帰らないのは、移動中のクルマが引っくり返されたりしたらとんでもないことになるからだ。おじいちゃんが生きていた頃は結構そういう実力行使もされていたらしい。狐、本当に市岡家を恨んでる。

「氷差、兄ちゃんのこと、頼むで」

「うん」

「すまんな。もう少ししたら、終わらせような」

「うん」

 お母さんに聞こえないように、お父さんが小さく言う。そうだね、終わらせようね。


 女性にしか宿らないはずの市岡の能力が奇跡的に宿った男の子、それが稟市だとして、ではその弟の氷差には何かの奇跡が起きたのか? 答えはイエス。俺こと市岡氷差くんはハンサムでセックスがうまくて身長が190センチ近くあるスーパー最高ヒモ男子であると同時に、神様を殺す能力を持っているのでした〜。パチパチパチ、拍手〜。

 だからお父さんが持ってきた護符も俺が狐にぶつけなければ何の意味もなかった。お父さんにはその能力がないから。でもお父さんの猟銃は昔、おじいちゃんが生きていた頃に狐の片目を撃ち抜いているので、狐はあの猟銃を嫌っている。そういう合わせ技だったってわけ。


 俺とお父さんは遠からず狐を殺す。ばけものになってしまった狐と、神様になってしまった狐、その両方を殺すってことで話が付いてる。俺や稟市がどんなに「結婚しない」「子孫は残さない」って心に決めても、この世のものではないものには敵わない。だから大昔に陰陽師が仕組んだこの問題の、根っこを断つ。そのために俺には、神殺しの能力が備わっているんだと思う。


「お狐様に逆らうの?」

 姉さん。

「お姉ちゃんも、この世から消えちゃうのに?」

 姉さん。

 そうだね。ごめんね。

 でも俺は、そうしなくちゃいけないんだよね。

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神殺し 大塚 @bnnnnnz

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