第2話

「ハ。見合い」

 兄、市岡稟市いちおかりんいちにそういった話が持ち込まれるのは決して珍しいことではない。お山の市岡さんの長男。職業は弁護士。女性にしか宿らないはずの見る目と祓う力を持つ奇跡の男。弟の俺から見てもまあまあツラはいいし、優しいし、真面目で、正義感がある。それで独身。そんな兄に対して土地の連中が親切心から、或いは下心から、さもなくば市岡が絶えたらこの土地が終わるという恐れから持ち込んでくる見合い話は、彼が十代の頃から数えれば三桁を超える。笑ってしまう。兄にはその気持ちがない。人を救うのは宗教ではなく法律だと言い切って土地を離れたのが市岡稟市だ。もう戻らないとも言い切っていた。まだ生きている俺たちの祖母も、両親も、兄のその意志を尊重している。俺たちの代も既にひとり奪われているのだ。稟市と俺のあいだにいるはずだった女性を。七つの誕生日に原因不明の高熱に襲われ、まるで雷に打たれるように死んだ俺の姉。

「受けてみようかと、思って」

「は?」

 稟市は弁護士だ。事務所は地元ではなく埼玉県にある。兄が高校進学を機に土地を離れてから数年後、特にやりたいことがあるわけではない俺も上京した。俺が大学生の時はしばらくふたりで暮らしていた。何せ八つも離れているのだ。まあ、今は別々だけど。

「なに……見合いを?」

「ああ」

「はあ?」

 何言ってんだこの人。弁護士事務所の来客室で俺たち兄弟は向かい合っていた。兄は俺の目を見ない。こんなこと滅多にない。尋常じゃない。

「あのさ、こんなこと言いたくないけど、一回でも顔合わせたら自動的に結婚ルートよ? だって話持ち込んできた側には断る理由がないんだから」

「分かってる」

「いや、分かってないよ」

「分かってる」

 暖簾に腕押し。分かってる? 分かってない。いや、分かってないはずがないのか。この人は俺よりずっと賢い。賢いから弁護士になったわけだし。市岡を末代にすると言い出したのもこの人だ。俺はこの人の真似をしているだけだ。

 見合いの話を持ち込んできたのは土地の人間ではない。最近受けた大きめの案件繋がりで、どっかの企業のお偉いさんのお子さんが年頃だからとかなんとかかんとか……まあ、そんな事情。兄が俺に直接言わなくても、俺は兄のことをなんでも知ってる。ストーキングしてるとかそういうわけじゃないよ。俺には、分かってしまうんだ。

「年頃つってもさ、大学卒業してちょっととかでしょ。俺より年下じゃん。稟ちゃんより十は下よ」

「ああ」

「ああじゃなくて。そういうの嫌いなんじゃなかったの。稟ちゃん、子どもに手を出すようなやつは、」

「先方は、成人してる」

 バン。兄の手のひらが目の前のテーブルを叩いた。来客用ソファにあぐらをかいて座っていた俺もさすがに怯む。なにこの人、どうしちゃったの。

「会うだけだ」

「だから! 何回言わせんの!? 会ったら……」

 テーブルを挟んで真正面に座る兄が、手元に置いていた煙草の箱を持ち上げた。紙巻きを一本抜き取って咥える。その手が少し震えていることに、気付かないほど俺も鈍感じゃない。

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