第17話 一樺の母

一樺いちか、いま何て言ったの?」


 夕飯を食べ終えて、台所のテーブルでお茶を飲みながら一樺の母がもう一度たずねる。


「わたし、高校卒業したらインテリアコーディネーターの資格をとって、家具店で働きたい。もう、お店は決まっているの。今、バイトしているところです」

「まーあんた、由志郎さんはどうするの? この前デートしたじゃない」

「いろいろ考えたけど、由志郎さんはわたしを好きじゃないと思う。それなのに結婚するなんて、可哀そうよ。わたしも結婚したいってほど好きでもないし、断るわ」


ドンッ

とテーブルを両手で叩く。

「そんなの急にお断りするなんて無理よ。第一、もう向こうの親にはそのように伝えているから‼ それにね、ほら、のお声を聞かせてもらったら、由志郎さんと結婚すると吉と出たのよ。だから心配しなくていいのよ~。ね?」


(そうだった、母は兄が亡くなってから、とある宗教団体にのめり込んでいたんだった……)


「だったらなおさら、早く断らないとね。わたしから由志郎さんに言っておく」

 一樺はお茶を飲みながらあっさりいう。母は怒りにまかせ立ち上がると、テーブルに置いた湯飲みが転がり、お茶がこぼれ、ぽたり、ぽたり、床に滴る。

「ちょっと、母さん、こぼれているよ」

「どうして……そんな勝手なこというの?」

 思いつめたような、いつもと違う低い声音。

「え?」

「お母さんは……絶対、許しませんよ‼」

「!」


 顔が怖い―。夜叉のようだ。前から母の精神が少し不安定だと思った、だけど少しずつ、母は壊れていたのに、わたしは気がつかなかった。いいえ、気づいていたけど―認めたくなかったのかもしれない。兄を亡くした時から……。


 母はすごい力で無理矢理、一樺を部屋に閉じ込めた。抵抗しようとすればいくらでもできたが、母を思うと従うしかなかった。


「いい? 神様のいう事は絶対なの。逆らうと一樺が不幸になってしまうのよ。全てはあなたのためなの。もうバイトに行かせないわよ。何がコーディネーターよ。あなたにいったい何ができると言うの? 約束通り結婚してもらうからね」


(お母さん……)


 一樺は諦め、部屋の扉に体を預け、ずるずると座り込んだ。


 ……思えば、母はずっと敷かれたレールを走る列車のような人だった。平凡を絵に描いたようなひと。これといった欲もなく、皆と同じように適齢期に結婚し、ごくごく普通の小さな庭付き一軒家に住む。


「子供は男の子と女の子! 授かるのが夢だったのよ―」


 それで夢が叶い、順風満帆だった母。でも予想外なことが発生した。兄が事故で亡くなったことだ。

 明るい母は人が変わったみたいに暗くなって、ふさぎ込み、外出しなくなった。それでも最近になってようやく立ち直ってきた。それが、とある宗教団体だ。


 母に死なれるよりましだと思って、放っておいたのがいけなかったのかな。父にも相談するが、明確な答えはでない。母にとってわたしが最後の砦だった。精神がギリギリ綱渡り状態の中、わたしが既定路線を走ってくれたら、ここまで壊れなかったのかもしれない……。


(……分かっていたのに、どうして、わたしは母の望む娘になれないのかな)


 一樺は声を出さず泣いた。


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