君のための甘い仕事

穂村ミシイ

君のための甘い仕事

――とにかくお金が必要だった。


 バイトをいくつ掛け持ちした所で一日で貰える額はたかが知れている。それでは足りないのだ。

 残り一週間で五十万の収入を得なければならない。身体一つでは無理だ。まさに、猫の手も借りたい状況。


「もう、合法的なバイトを選んでいる場合じゃない。」


 リンには重い心臓病を患う妹の治療費がどうしても必要だったのだ。

 切羽詰まる彼女が手にしているのは一枚のバイト募集のチラシ。内容はとてもきな臭い。


◆募集要項

・簡単な仕事です。

・履歴書不要、即日バイト開始出来る方。

・十代〜二十代前半までの女性の方

・口の硬い方。

・一週間以内に五十万以上必要な方

・茶髪で瞳が藍色の方


 普通だったらすぐにゴミ箱へ投げつける。だが、今は普通じゃない。募集要項からして仕事内容は風俗かAVビデオ、もしかしたらもっとやばい仕事なのかもしれない。

 ただ、一番最後の二つの文が引っかかる。


 両方ともに自分が当てはまっている。

 こんなピンポイントの勧誘、偶然なの?


 こんなデタラメな募集要項に縋るのは収入額がとんでもないからだ。


――報酬、一週間で1,000,000円


 一週間で百万円だ。それだけあれば妹の治療費の心配をしなくて済む。でも、百万円の仕事なんて。明らかに合法的な物じゃない。でもお金が欲しい……。


 ええい、ままよ!

 迷っている場合じゃないでしょ!!


 この際、肺の一つ、致死量ギリギリの血液ぐらいくれてやる。それでもダメなら私の目的が済んだ後に命だってあげるわよ。


 リンは半ばやけくそになりながらチラシに書かれていた場所へと向かった。


 指定された場所はきな臭いビルや倉庫街ではなく、一軒の大きなお屋敷だった。古い洋館は周りの建物と比べるとあまりに浮いていて、そこだけ世界観が全然違う。


 現代日本に中世ヨーロッパの建物がポツンと建っている感じ。チャイムすらない扉をノックすると錆びれ音と共に一人の老人が顔を出した。


「これはこれは、珍しいお客様ですね。」

「あの、このチラシを見てきたのですが。」


 老人は綺麗な黒いスーツを見に纏い、完璧な角度のお辞儀を披露してみせた。彼は俗に言う執事というやつなのだろう。


――執事なんて、現実世界にいたのね……。


「お客様のお名前をお聞かせ願えますか?」

「あっ、えーと、リンです。早川リン。」

「リン様。良いお名前ですね。」


 リン様だなんて。くすぐったい呼び方に照れながらも自分は様を付けて呼ばれるような人間ではないと否定すると老執事は「いいえ、貴方はリン様でいいのです。」と柔らかい笑みを浮かべ、お屋敷の廊下を歩き始めてしまった。


 しばらく老執事の後をついて歩くと一つの部屋の前で待つように言われた。


「あの……、今から面接をして頂けるのですか?」

「いえいえ。リン様は合格です。」

「えっ!?」


――私はまだお屋敷の廊下を歩いただけで何もしていないのよ!?


 どこかにカメラがあるの?

 もしかして監視されているの?

 何を持って合格になったの?


 訳が分からず混乱するリンに老執事は笑みを絶やす事なく話を続ける。


「我が当主様は少し、いやかなり性格に難があると言いますか……。根はいい方ですのでどうか、嫌わないでください。」

「……はい。」


 正直なところ今すぐでも逃げ出したい。

 バイトに合格したのは嬉しいが、仕事内容を一才聞いていないのだから。


 私はこの部屋で一体どんな如何わしい行為をさせられるのだろうか。足元を通る冷気が首まで上がって来て、震えが止まらない。


 それでも、お金がいるの……。

 どうしても必要なのよ。


「……入れ。」


 室内から聞こえる深く低い男の声。

 気を張っていないと瞳から涙が溢れ落ちてしまいそうだ。それでも、ここで引き換えるなんて選択肢はない。ため息一つと震え全部吐き出して、リンは部屋のドアノブを回した。


「失礼しま……」

「さっさと入ってこちらまでこい。」

「はっ、はい!?」


 部屋の中は外気の明るさはなく、暗闇にアンティークの照明が幾つも並べられていた。そして、その真ん中に椅子に座る一人の男。目を奪われずには、いられなかった。


――なんて、綺麗な人なの……。


 黒い長髪、色白の肌。見目美しい容姿はまさにグランドール。彼もまた仕立ての良いスーツに身を包んでいた。物語に出てくる伯爵様、と言った印象だ。


 ただ、彼は両目に包帯を巻いていた。


「おい、早くこちらへこいと言っているだろ。」

「当主様、まずはご挨拶を。」


 自身の太ももを叩きながらイラつきを露わにする男を老執事は宥めるように制すが意味はないようだ。


「そんなもんは時間の無駄だ。当主様とでも呼ばせておけ。」


 そんな事よりもお前は自分の仕事をしろ、と追い出されてしまった老執事。これで部屋の中にはリンと当主様の二人だけ。これは、腹を括るしか、ない。

 リンは言われた通り彼の座る椅子の前まで行って、服を脱ごうとした。


 その瞬間――。


「おい、お前。とっととこれを読め。」

「えっ!? は、はい!!」


 渡された大量の書類。契約書かと思ったがそうでもない。と言うか読めない。今までに見たこともない文字が並んでいた。


「どうした? さっさと読め。」


――どうしよう……。


 読めないって言ったらクビになるかもしれない。それは絶対に困る。ここで追い返される訳には行かない。


「あのっ! これ以外の仕事はありますか!?」

「……はぁ?」

「文字が、読めません。でもっ、他の事ならなんだって出来ます。掃除、洗濯、家事、なんだって! それも要らないなら身体だって……。」


 ここで働かせて下さい、と必死で頭を下げる。

 そんなリンに浴びせられたのは怒鳴りでも困惑でもなく、一つのため息だった。


「待て待て。お前に頼みたいのは音読だけだ。それ以外の仕事を与える気はない。」

「……じゃあ、私は。」

「チッ。ほら、早く手を貸せ。」

「……えっ!?」


 リンの手を探すようにからの空気を切っている当主様に、リンは急いで自分の手を重ねた。


「……。」

「……。」

「……これで読める筈だ。」


 握手してしばらく経つと当主様はパシって手を叩き、先程渡されていた書類の文字を読むように催促してきた。


 ただ手を握られただけ。他に何も感じなかった。そんな些細な事で字が読めるようになるなんて、俄かに信じられないが……。


「えっ。……読める。」

「だったら早く読め。」

「は、はいっ!?」


 さっきまで毛虫にしか見えなかった文字がちゃんと読めるようになっている。日本語に変換されていた。なにが起きたのかさっぱり分からなかったけど、それを聞いて答えてくれる方とは思えない。

 リンは当主様が言った通り、音読するだけに集中することにした。


 音読をし始めて数時間が経っただろうか。

 読み慣れないカタカナに苦戦し、当主様からもっとスムーズに読めと怒られ、意味も分からず読んでいたが、流石に自分の置かれた状況が少し分かってきた。


「バジリスクの残骸処理の依頼について。」

「それはギルドの箱へ。」


「コボルド大量発生の状況確認を……」

「それは騎士団の箱へ。」


「リザードマンの尻尾探しのお願い。」

「そんなもの知らん。破り捨てろ。」


――ここは、どこなの…………?


「今日はここまでにする。もう帰っていいぞ。」

「あ、あの!」

「なんだ。俺はまだ仕事があるんだが。」

「ここはどこ、なんですか……?」


 どう考えてもおかしい。

 アンティークの照明が照らす室内は私の知らない変わった草や見たことのない毒々しい飲み物がある。書類の内容は日本で住んでいたら聞くことすらない内容ばかり。そして当主様だ。

 長い黒髪から微かに覗く長い耳は、鋭く尖っていた。同じ人間とは、思えなかった。


「バレアシアだ。」

「バレア、シア……?」


――どこの、首都だ……?


「うるさい。気になるなら後は執事にでも聞け。」

「私がお話を致しましょう。」


 部屋の扉が開いた音すら聞こえなかったのに、気がついたら後ろに老執事が立っていた。それがどんなに背筋が凍ったものか。


「ここはバレアシア。魔物の住む地。要はリン様のいた世界とは異なる世界です。」

「……えっ!?」

「当主様はご覧の通り。眼を失ってしまいましてね、仕事がままなりませんでした。それでも領地は問題ばかりが発生する。なので秘書を雇う事にしたのです。」


――異世界、領地、秘書……?


 一体どうなっているの?

 意味が分からない。


「でも当主様は捻くれた乱暴者と有名で、どなたも一緒に仕事をこなしてくれなかったのですよ。」

「ふん、捻くれてたは余計だろうが。」


 隣で聞いていた当主様が嫌味ったらしく言い放つが老執事は聞いちゃいない。


「それならば、異世界から人間を呼んでしまおうとなった訳です。誰でも良い訳じゃありません。」

「お前は、我が屋敷が見えた。それが全てだ。」


 老執事がクスッと笑い、貴方を待っていたのですよと補足した。


「……え?」

「ええい、そんな事はよいのだっ!」


 当主様は顔を背けてしまったが、真っ赤になった鋭い耳がしっかりと見えていた。


「お前が一週間、ちゃんと仕事をすれば金は保証する。明日からも働くか、ビビって逃げるか、今決めろ。」


 急に異世界とか意味の分からない事をいっぱい言われて戸惑うけど、私は……、私には……。


「どうしてもお金が欲しいんです。」

「だったら明日からも私の横で秘書として働け。」

「はいっ!!」


 少女のリンは気合いを一杯に込めて返事をすると屋敷を後にした。そこからは古い屋敷に老人と当主の二人だけになった。静かな部屋に枯れた笑い声が響く。


「よかったですね、当主様。」

「うるさい。」


「バレアシア最強と言われたお方が、ずっと彼女を見てましたものね。」

「うるさいっ!!」


「両眼を犠牲にしてまで繋げた国で、同じお部屋で仕事をしていかがでした?」


 当主は真っ赤な顔を両手で覆って大きなため息を吐くと、老執事にも聞こえない程の声を吐露した。


「………………、とても可愛かった。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君のための甘い仕事 穂村ミシイ @homuramishii

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ