もう君なしでは生きられない

花見川港

もう君なしでは生きられない

 広い庭のある屋敷。大層立派だが、男の独り身には過ぎた物である。家は先祖より受け継いだ物であり、私には人を雇うほどの余裕はなかった。そのせいで管理が行き届かず、あちらこちら隙間だらけ。


 最近では天井の裏や床下から頻繁に鼠の足音を耳にして、熟睡もままならぬほど。この間なんぞ、移動中の大家族に遭遇した。


 私は酒を飲みながら友人に愚痴を吐く。


「ほうほう。それなら猫でも飼ったらどうだい」


 猫。


 私は犬も鶏も世話したことない。世話をしてやるほど生き物に興味がないのだ。


 しかし鼠対策といえば、確かに猫である。


 さて、どうしたものかと帰り道で考えていると。


 道端に真っ黒な猫がいた。いつもなら見逃してしまうところだ。私が手にしている提燈を鋭い眼で睨み据えている。


「お前さん、どこのもんでもないならうちに来ないかい?」


 猫に問いかけるなどまさに酔狂である。


 けれど黒猫は、私から獲物のニオイでも嗅ぎ取ったのか、足音もなくついて来るのであった。




 数日後。


 友人は訪ねて来るなり声を上げた。


「みゃーみゃ、みゃーみゃ鬱陶しい!」


「ちょうど飯時なんだ」


 庭先でほぐして冷ました焼き魚を茶碗に盛り、地面に置く。焼く前から食べ物にニオイで食欲を刺激されていた十匹以上の猫たちが一斉に群がる。


「はいはい慌てんな。こっちもあるよ」


 互いに頭を押し合いながら、がっつく猫たち。遅れている者がいないか見ながら、全員に行き渡るように茶碗を分け、頃合いを見定める。


「鼠はどうした、鼠は」


「そんなもん、とうにおらんよ」


 鼠どころか油虫も見なくなった。猫効果は絶大である。餌の面倒も見なければならなくなったが、猫たちの食事を用意するのは苦ではなかった。


 腹が満たされた者から少しず離れていく。そのうちの一匹が縁側に上って、顔をくしくしと舌で湿らせた手で拭うと横ばいになった。陽光を全身に浴びて、目を閉じながら鼻をひくつかせている。


 私は伏せて、その猫の腹に顔を埋めた。


「……何してんだお前」


「吸っているのだ」


「は?」


「日向ぼっこしているときが一番、良いニオイがする」


「お前……頭おかしくなったか」


 無礼な友人だ。この至福がわからないとは。


 ふわふわとした毛は絹にも勝る肌触り。太陽の恵みを吸った柔らかい肉はあたたかく、腹を上下させる命の鼓動は安らぎを与える子守唄の如し。


 顔を離し、猫の顎の下を撫でる。ごろごろと喉を鳴らし、寝ながら手足を伸ばしぐっと背を逸らすと、そのまま反対側に転がって丸まった。


「お前、今この屋敷がなんて言われてるか知ってるか? 『猫屋敷』だぞ」


「本当のことじゃないか」


 庭にも屋根にも塀の上にも部屋の中にも。どこを見ても猫、猫、猫。


 一部の柱や壁は齧られ削られボロボロになってしまったが、壊れた物は修復すればよい。この極楽を得るためなら大した問題ではない。


 『猫屋敷』。大変結構な通り名である。


 私はすっかりどっぷり猫にハマっていた。愛くるしく、ときにつれなく。気ままな振る舞いで私を魅了する獣たち。傅くのにやぶさかでない。


 友人は帰り際に「あまり飼い過ぎると自分のことがままならなくなるぞ」と言い残していったが、おそらく今後も増えるだろう。


 ほらまた、あの子が新入りを連れてきた。


 一匹の黒猫が、子猫三匹を引き連れた斑猫を後ろに連れている。


 親子が魚を食べるのを確認すると、黒猫は軽やかに私の膝の上に乗って足をたたんで座った。


 この子は最初にこの家に来た子だ。あとから来た子たちのまとめ役のような存在であり、ときおり私が困らないように他の子らに言い聞かせてくれている賢い子。


 と言っても私は猫の言葉はわからないので、あくまで想像であり、実際にこの子と他の子らがどのような関係かはわからない。


 しかし貫禄は本物である。その象徴であるような二つに分かれた長い尾が私の膝をたたいて、御飯を催促した。

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