ぐにゃぐにゃ

水玉猫

猫の手

「猫の手を借りた結果…… ぐにゃぐにゃになってしまった。

 あーあ、これで一生下働きだ」




「そりゃ、借りる方が悪い。リアルの猫の手なんかさ。

 それも、仔猫ときたもんだ。

 元気な仔猫は、活発で好奇心旺盛でいたずら好きで、予測不可能。何をしでかすかわかりゃしない。

 そんな仔猫の手を借りるなんて、よけい混沌カオスになるだけじゃないか。

 まったくもって、逆効果だぞ」




「ああ、わかったよ。わかりましたよ」




「なにも、わかっちゃいないだろ。

 なんで、二度も、猫の手を借りたんだ?!

 今度は、おとな猫ときたもんだ。

 おとな猫の破壊力は、仔猫の比じゃないんだぞ。

 鳴き声だって仔猫は、ミーミー。なのに、おとな猫は機嫌が悪けりゃ、すぐにウー、シャー、ギャー! だ。

 犬なら、グレート・デーンとかグレート・ピレニーズ、セント・バーナードなんて、でっかい犬もペットにできる。ダルメシアンなら、101匹だって飼えるんだ。(※1)

 なのに、大きな猫が飼えないのは、なぜだと思う?

 戦闘力がハンパないからだ。

 大型の猫といったら、虎に豹、ジャガーやライオン、そんなものが101匹も飼えるはずがないじゃないか。

 今の飼い猫の大きさが、ペットにするのはギリギリなんだ。

 それでも、その手を借りるには破壊能力がありすぎる。すべてはおじゃんになるだけだ。

 だから、もう、猫の手を借りるのはやめるんだ。仔猫もおとな猫もだぞ。

 それと、念のために言っておく。犬の手だって、借りるんじゃない。いいか、犬の手は「お手」をするためにあるんだからな」




「はいはい、ご意見、確かにうけたまわりましたよ」




「承ってはいないだろ。

 今度は、年寄り猫の手か。そりゃ、仔猫やおとな猫に比べれば、シニアの猫はおとなしい。言い換えれば、寝てばっかりということだ。寝てる猫の手を借りて、なんの役に立つ。

 場合によっては、手を借りるどころか、手が掛かるだけだろうが。

 何度言ったらわかるんだ。

 これで、最後だ。二度あることは三度あっても、四度目はない。わかっているのか、おい」




「にゃーん」




「おい、こら、なんで、私に、猫を押し付ける。

 私は、猫の手なんか、必要としていない」




「にゃーん」




「なんでちゅか、おなか空いているんでちゅか? 

 すぐ、御飯まんまを持ってきてあげまちゅからね。

 …… コホン。

 ほら、手を借りるより、手が掛かるだけじゃないか。

 なに、笑っているんだ」




「にゃーん、ゴロゴロ」




「はいはい、可愛いおててですね。このおててを貸してくれるんでちゅか。

 ありがとでちゅ。

 ハッ! しまった!!!」




「ほらみろ。きみだって、と猫の手を借りたじゃないか。

 それで、たちどころに、ぐにゃぐにゃのふやけた下僕が出来上がるってわけさ。これで、きみも私といっしょに猫に仕えて一生下働きだ」



「にゃーんฅ^•ω•^ฅ」

 


※1)『101匹わんちゃん』(原題:One Hundred and One Dalmatians)1961年1月25日に公開されたウォルト・ディズニー・プロダクションのアニメーション映画

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ぐにゃぐにゃ 水玉猫 @mizutamaneko

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