喫茶グレイビーへようこそ series 10

あん彩句

KAC202210 [ 第10回 お題:真夜中 ]


 この店で占うと、全てがうまくいくらしい。


 細い路地を曲がり、砂利道を行くと古民家がある。その古民家の倉庫を改装した店が、喫茶グレイビー。


 コンクリート剥き出しの床に様々な椅子とテーブルが並び、中央に一段高くなっているのはオープンキッチン。その奥に透けるほど薄い生地を垂らしてある場所が占いスペースで、そこにいるはずの占い師のハルマキさんは今日も不在だった。二日酔いだと言って味噌汁だけすすり、そのままどこかへ出掛けて行った。今日もめぼしい客は来ないと言い残して。



あくた、コーヒー」


 占いスペースとは反対の角で、ボスであるあやさんがオレを呼んだ。最近お気に入りらしいふかふかの深紅のソファに横柄に座り、紙の束を睨んでいる。

 返事をしないでいると、鮮やかな緑色の髪が揺れて紙の壁から顔を出し、今度はオレを睨みつけた。


「聞いてんのか?」


「ハイ」


 そそくさとコーヒーを淹れて、献上する。



 相変わらず暇だ。辺地だし看板も出してないし、当然だ。こんなことなら部屋で寝転がってマンガでも読んでいたい。

 オレは住み込みで、オーナーのトムさんと、占い師のハルマキさんと一緒に母屋に住んでいる。母屋の方もリノベーションして、中はアパートみたいに区切られていた。ちゃんとひとつずつ部屋が区切られプライバシーは万全だ。



 今日も賄いを作って終わるのかと昼飯の準備を始めたら、店のドアが開いたので驚いた。別に客が来たことにじゃなく、その容姿に、だ。


 紺と言うよりは濃い青と言った方がいいスーツを着込んだ30代の男だった。茶色のストライプのネクタイをして、黒い革靴に、大きな黒いバッグ。髪はきっちり分けて流し、固めている。

 「いらっしゃいませ」なんて言葉は出てこなかった。氷水がつたったように背筋がヒヤリとした。情けなく腰を抜かしそうになる。


 オレは心臓を忙しなく動かして綾さんを見た。綾さんは書類を見たままだ。



 この店には暇でも平気な秘密がある。オレはそこに爪先をちょんと入れたくらいだけれど、それがどれだけまずいことなのかは自覚している。


 誘拐、それをしたのはつい先日。綾さんはその主犯格で、オレはそれを援護した。それを軸に金を巻き上げられるところから巻き上げる、らしい。やり方は知らない。でも、一区切りついたので店を移した、ということは知っている。



 この脳みそがカチコチに固そうな男が味方のはずがない、とうとうバレたんだ——オレは仲間入りしたばかりだけど、と頭の中で唱えて男を見る。

 男はコーヒーを注文した。そしてカウンターにパソコンを広げる。きっと最新型だ。薄くて持ち運びが楽で、充電はうんざりするほど長く続く。


「奥歯がジャリジャリするほど砂糖を入れてやれ」


 その男の隣に腰掛けながら綾さんが言った。男は綾さんの声に動揺しないままパソコンを凝視する。綾さんはつまらなそうにスマホを取り出した。


山蕗やまぶきだ」


 名前だけは聞いている。仕事が、どんな仕事か知らないけれど、そう、かなり優秀だと綾さんが言っていた。でもやっぱり味方には見えなかった。スパイとしか思えない。

 例えば皿に豆腐が乗っていて、美味そうだと食べようとしたらそれは実は紙に描かれた絵だった、なんてオチでもなきゃ信じられない。そんな絵を描ける人なんかそうそういないだろう。


 オレは疑いながらコーヒーを出した。綾さんは右肘をついてその上へ顎を乗せ、ブツブツ呟くように何かを説明する山蕗さんの言葉を聞いた。時々パソコンを指差して質問するも、ほとんど山蕗さんがしゃべりっぱなしだ。



「——で?」


 オレが玉ねぎを炒め始めた時、痺れを切らしたらしい綾さんが山蕗さんのブツブツを遮った。


「要件はなんだ?」


 山蕗さんはちらりと綾さんを見て、バッグの中からクリアファイルを取り出して綾さんの前へ置いた。


 それは手紙、のようだった。真っ白ではないくすんだ色の紙で、思わず覗き込んで文字を読む。


『学習参観のお知らせ』


 最初に飛び込んできた文字はそれ。小学校の名前と校長の名前、季節の挨拶から始まって、クラスごとの授業内容が書いてある。5年のクラスに鉛筆で丸がしてあり、余白に書き殴った文字があった。


『あやがきてよ』


宇宙そらから預かった」


「宇宙か」


「そら?」


 オレが口を挟むと、綾さんが顔を上げた。


「お前と一緒に誘拐したガキだよ」


 いやいや一緒にってさ、骨折して手術して抜糸前だから運転できない綾さんに変わって運転手やっただけだし、今なら綾さん1人で行くんだろうしって頭の中で言い訳して、慌てて山蕗さんを見る。

 山蕗さんは無表情で綾さんを見つめていた。



 お前の返答次第ではこちらの組織も黙っちゃいませんよ、これ以上は目をつぶれませんからね——スパイにしか見えない山蕗さんがそう言っているようだ。

 そんなことに無頓着な綾さんは、山蕗さんのスーツの胸ポケットに挿してあった高そうなボールペンを掴むと、捻ってペン先を出して紙を裏返した。そして、そこに大きな文字を書く。


『行くわけねーだろ』


 さらにその下へ『ばーか』と付け足すと、舌を出すふざけた顔の落書きを描いた。意外と上手い。



「まったく……」


 呆れた山蕗さんが説教でも始めるのかと口を開いた時、店のドアが開いた。でも入ってきたのは客ではなくトムさんだ。しばらく見ないうちに伸びた髪を無造作に一括りにしている。


 トムさんは山蕗さんと綾さんの間に立ち、紙を拾い上げた。綾さんの落書きがオレに舌を出している。


「そういやガキに聞かれたな、あの青い髪の女は誰だって」


 綾さんが不機嫌にトムさんへ背を向けた。


「お前がアイツを施設へ引っ張って来た日だ。12時過ぎに事務所に顔を出して、腹がいっぱいで寝られないって言ってな。アイツの意思は否定しないと言ったらしいじゃねぇか、綾」


「知らねぇよ、人違いだろ。あたしの髪は緑だ」


「嘘つきはクズよりクズですよ」


 玉ねぎを炒めながら呟いてしまった。綾さんがオレを振り返って睨む。睨んだけど、口元がくいっと上がった。


「言ってくれるじゃん」


「それオレも聞いてたんで。子供に嘘つくなんてオレでもしないし」


「こんな紙切れじゃなくてちゃんと説明してやれ。ガキが会いたがってたぞ」


 なあ、とトムさんが山蕗さんの肩に手を置いた。ビクッと山蕗さんが震えたので目を疑う。怯えてそう反応したわけじゃない。山蕗さんの目が、緊張して熱っぽくトムさんを見上げている。

 トムさんが口の端に笑みを引っ掛け、その視線ごとぺろりと舐めるように山蕗さんを眺めた。


「綾、車貸せ」


「はァ?」


 こめかみを苛立たせながら、綾さんがポケットから鍵を取り出してトムさんへ放った。


「車でヤんなよ」



 トムさんは鍵を受け取っても返事なんかせずに、山蕗さんと一緒に店を出て行った。衝撃的な場面を目撃して玉ねぎのことなんか忘れてしまった。

 男でしかも山賊みたいな風体のトムさんが、あんなにも色気を出すなんて青天の霹靂だ——そして山蕗さんはスパイでもなんでもない。完全にトムさんに呑まれて身動きできなくなってしまった人で、逃げようともしていない。



 オレはすっかり玉ねぎを焦がし、昼飯なんてどうでもよくなってしまった。綾さんは不貞腐れたまま動かない。抜糸してしっかり動かせと言われた肘を無意識にさすっていた。


 いつもいつも、クソ女と呪っているやつが弱っている。年下のくせに偉そうにすんじゃねぇと、何度も呪ってきた相手だ。今こそ仕返しのチャンス。

 ばかじゃねぇの、そうトドメを刺せばいい。宇宙を救ったのは正真正銘お前だって。その方法がちょっと違法だからって、関わるのをためらうような小心者が——本当は宇宙をかわいがってやりたいくせに。



 ——でも、できない。


「オレは真夜中に起きないけど」


 そう言うと、綾さんが顔を上げた。


「いつもと違う場所で興奮して眠れないことはあったけど、宇宙もたぶんそうだったんだ。ほら、修学旅行とかそういう感じ」


 的外れなことを言ったのはわかってる。ばかじゃねぇの、逆にそうやって白い目を向けられることも予想済みだ。

 なのに、そんな反撃はやってこなかった。


 綾さんはなんにも言わずに俯いて、お知らせにえんぴつで書かれた宇宙の字を指でなぞっていた。


「宇宙は、びっくりしたんだ。暑くて目が覚めて、腹もいっぱいで。同じ部屋でねむる誰かの寝言が聞こえたりして、真っ暗なのに怖くなかったから」


 口を開いたけど、声が出なかった。綾さんがひとりごとを続ける。


「あたしはハルマキの占いに従っただけだ。金が入ればどうでもいい」



 綾さんがどうして宇宙のことをそんなに鮮明に理解できるのか、考えただけで胃液が逆流してきそうだった。奥歯をぎゅっと噛んで、唇を飛び出しそうな言葉を飲み込んだ。



 オレはクズだ。


 どうしようもできなくて店へ辿り着いて、ハルマキさんにズバリと自分の全部を言い当てられた。トムさんは、オレをクズだから採用するって——意味がわからなかった。同じ理由でバイトをクビになったばかりだった。


 でも今はなんとなくわかった。オレがここにいる、それで成り立つこともある。



「よくねぇし!」


 オレはカウンターを叩いた。驚いた綾さんの顔を写真に残せなかったのは残念だけど、胸にしっかり刻んでおこう。


「アイツ一緒にいたオレのこと忘れてんじゃん! 綾さんばっかりずりぃ!」


「——何がだよ」


 吹き出した綾さんは、ばっかじゃねぇの、そう言ったけど子供みたいに笑った。楽しそうに。



 オレはきっとこのままクズは卒業できないだろう。この年下のクソ女に引っ張ってもらわなきゃなんにもできないけど、居場所は見つけた。クズなんだから、行き着いた先が犯罪者だなんてお似合いじゃないか。


 珈琲と占いの店、喫茶グレイビー。脅威の的中率を誇る占いが武器でも、客は来ない。誘拐を目的にする犯罪組織が裏で操作しているからだ。


 オレはそこで働いている。まったくほんとに残念ながら、オレの意思とは無関係に全てがうまくいっている、たぶんね。



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