後夜の秘めごと

烏目浩輔

後夜の秘めごと

 今年になってからはいとらがらはらねこなるものが世間をしばしば騒がしている。ちなみに、稀に田原を〝たわら〟と読む者もいるようだが、正しくは〝たはら〟だと先に断じておきたい。


 田原猫はいわゆる人の顔をしたじんめんねこの一種であり、顔面がジャーナリストのはらそういちろう氏にそっくりなのだ。そのそっくり具合がどれほどかといえば、それはもう生半可なものではない。たとえば猫の身体に総一朗の顔を取りつけたかのように、田原猫の顔面と田原総一朗氏の顔面は瓜二つであった。


 その田原猫が今年になってから全国諸所で目撃されている。

 ――玄関を開けたら田原猫がいた。

 ――陽だまりで田原猫がまったりしていた。

 ――総一朗が駅前でゴミを漁っていた。

 SNSなどでもそのような書きこみを容易に見つけることできる。

 さだめし田原猫は一匹だけではないのだろうが、正確なせいそくすうは今のところ把握されていない。


 田原猫の生態は前述の棲息数を含めておよそ判然としていないのだが、ここ最近になって田原猫が好んで食べるものだけは明らかになった。

 はたしてその好物はあんパンだった。

 好物を確認できたのは田原猫の表情がきっかけだ。


 猫の顔であれば表情から感情を読み取るのは困難をきわめるが、そこは田原猫であるからして顔面がさいわいにも田原総一朗である。人間の顔をなしているのだから表情から感情もさとりやすいというもの。


 平素の田原猫はなるときも無表情であった。道路脇をのそのそと歩いているときも、高速猫パンチを繰りだしているときも、いっこうに無表情でどこか超然としている。

 ところが、人に与えられるなどでして餡パンをしょくすと、そのときだけはにっこりと笑うのである。

 ――にっこり顔の総一朗、かわいい。

 ――にっこり顔の総一朗、逆に怖い。

 笑顔に対する人々の反応は千差万別であるが、確かに餡パンをしょくしたときだけは、目を三日月に細めてにっこりと相好を崩す。

 餡パンが好物であることを疑う余地はなかった。


 ただ、本当に嗜好しているのは餡パンではなく、中身のあんだけではないかという噂も立っている。ようするに甘いものに目がないのだろうとのことなのだが、それはあくまで憶測の域を出ない未確認情報である。


 そんな田原猫であるがずいぶんと人気者だった。もっとも人間にではなく猫に人気であるのだが。さらに正確にいえばじんめんねこにである。


 田原猫の歩くところ常に猫の行列がなされる。十匹近い猫が田原猫のあとについて歩くのだ。そして、それは決まって人間の顔をした人面猫だった。

 なにかしらの評論家っぽい顔をした人面猫、新進気鋭の青年実業家っぽい顔をした人面猫、どこぞのインフルエンサーっぽい顔をした人面猫。猫の身体に人間の顔を取りつけたかのような人面猫が田原猫のあとについて歩く。田原猫はそういった人面猫によくよく慕われている。


 世間ではそのシュールな光景をそういちろうこうしんと呼ぶ。田原猫であるから田原行進ではないのかと異論を唱える者もいるが、なぜかそこは下の名を引用して総一朗行進と名づけられている。

 とにもかくにも〝田原猫の闊歩するところ必ず総一朗行進あり〟なのである。


 仮に田原猫が一匹で行動していたとしても、「ぬうぅん」とひとつ鳴けば、そこかしこから人面猫がするすると集まってくる。おっつけシュールな総一朗行進がなされるのである。

 やはり〝田原猫の闊歩するところ必ず総一朗行進あり〟なのである。


 ちなみに、他の人面猫は「にゃあ」と月並みに鳴くが、田原猫は低い声で「ぬうぅん」と鳴く。それはエアコンの室外機のそのモーター音によく似ているともっぱらの噂だった。しかし、正確を期するとエアコンの室外機のそのモーター音よりも半音低い声だった。


 このように昨今の世間をしばしば騒がしている田原猫だが、田原総一朗氏本人がどのように反応しているかといえば、SNSで一度だけ以下のように呟いてからはだんまりである。

『私と田原猫は他人のそらであり、なんのかかわりもございません。私の飼い猫だという噂も事実無根です。よって糞被害などの苦情には対応いたし兼ねます』

 実際に田原総一朗氏と田原猫にはなんの関係性も認められず、ふうぎゅうを決めこんでだんまりであるのも道理といえた。


 さて、ここまで長々と綴ってきたもろもろの話は、実のところ単なる前置きにすぎない。ここからが本題となる。

 田原猫と人面猫の一同は夜のとばりがおりると、まちなかのどこぞかに寄り合って集会を開く。その集会こそがこの話の本題であり、以下はそこに絞って話を進めていく。


 田原猫に限らず猫全般的において〝猫の集会〟なるものを開く性質がある。陽が落ちてから猫たちが一堂に会して気のおもむくまま鳴き合うのだ。

 そのさまがあたかも集会のようであるから〝猫の集会〟などと呼ばれている。

 田原猫もつまるところ猫の一種であって、だからして猫の性質を有しており、落陽すれば総一朗行進の面々と集会を開く。

 これをとくに田原集会という。


 田原集会はつねづね午後十時頃からはじまって、人知れず朝までぶっ通しで続けられる。また、まるで田原猫が議長を務めているかのように、他の人面猫たちが田原猫を中心にして輪を作り、行儀良くちんと座って進められていく。一同で鳴き合うときもまずは田原猫が一声あげて、そのあとに他の人面猫が続くといった具合である。

 ――ぬうぅん。

 ――にゃあ、にゃあ、にゃあ。

 ――ぬうぅん。

 ――にゃあ、にゃあ、にゃあ。

 その鳴き合うやりとりひとつだけをとっても、やはり田原猫が議長であるかのようだった。


 ところで、朝まで続く田原集会には秘め事がひとつあった。

 うしどきを過ぎると田原猫と人面猫の一同は人の言葉を話しはじめるのだ。


 人も動物も植物も虫もどっぷりと寝静まった深い夜である。

 町角の暗がりや人けのない空地、住宅街の裏通りや公園の片隅。田原猫たちは輪になって座りこみ、夜にまぎれて人の声で話し合う。しかし、その会話を人に聞かせまいと、彼らは小さくこっそりとささやく。

 ――ぼそぼそ、ぼそぼそ。

 ゆえに会話の内容を詳しくを聞き取るのは至難だ。

 ――ぼそぼそ、ぼそぼそ。


 だが、耳を澄ませばときに聞き取れることもあり、彼らのこんな声を聞いたという者がいる。

 ――なぜ人同士で差別し合うのだろうか。

 ――彼らの世界では正直者が馬鹿をみるそうだ。

 ――裕福な者が一番の勝者らしい。


 こういう声を聞いたという者もいる。

 ――他人ひとの不幸が一番の幸せだと聞いた。

 ――人がまたどこかで戦争をはじめたそうだ。

 ――真実が嘘で隠されているらしい。


 しかし、夜がすっかり明けて爽やかな朝を迎えると、田原猫一同はもとの声に戻って鳴くのである。

 ――ぬうぅん。

 ――にゃあ、にゃあ、にゃあ。





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