ネコノテ・サポート

久世 空気

第1話

『ご利用ありがとうございます。ネコノテ・サポートでございます。こちらでは猫の手も借りたいほどお忙しいお客様に、ご要望にあった人材を派遣し、サポートさせていただきます。炊事洗濯、店舗スタッフ、子育て、介護・・・・・・ご家庭のことからお仕事のことまで、さまざまなスキルを持ったスタッフが対応いたします。ただ条件がございます。必ず猫をお飼いの場所での業務となります。はい、会社でもお店でも。そちらの条件を満たしていただけるのでしたらごちらにもお伺いいたします。』


 その子が来る直前まで、私は迷っていた。本当に依頼して良かっただろうか。夫にばれたら怒られる。でも本当に猫の手も借りたいほど忙しい。

 ネコノテ・サポートなんて名前、ちょっと胡散臭いし、問い合わせ電話をした時もちょっと奇妙だなと感じたけど、1日単位で依頼できて割安な料金は魅力だった。

 そしてその子が玄関に立って、やっぱり断ろうかと一瞬頭をよぎった。もちろんここでキャンセルしても正規料金を取られるんだろうけど。

「はじめまして、ネコノテ・サポートから派遣されてきました。よろしくおねがいします」

 口調は丁寧で感じは良いが、若い過ぎではないか。高校生か、下手したら中学生くらいの女の子だ。愛想良くニッコニコ笑っている顔がとても幼い。

「あなた、おいくつ?」

 思わず聞いてしまったが、その子は笑顔を絶やさず

「私個人のことはお聞きしない約束となってるはずです。私のことはネコとお呼びください」

 と、きっぱり返答を拒否された。だがここまできて追い返すのも、この子――ネコが困るだろう。私は腹をくくってネコを招き入れた。

 居間に行くと飼い猫のピッピが立ち上がって待っていた。客が来ると必ず隠れるのに珍しい。するとネコがピッピの前に跪き、

「ニャーオ」

 と鳴いた。ぎょっとしている私を尻目に今度はピッピが

「ニャーオ」

 と返事をする。

 ネコなりの冗談か持ち芸なのか図りかねていたが、ピッピはそれが済むとさっさとキャットタワーの定位置に戻った。ネコも何事も無かったように鞄からファイルを取り出し、仕事を始めた。

「掃除と、夕食。洗濯は取り込んで畳むところまでですね。部屋の案内をお願いできますか?」

「あ、はい。えっと居間と台所はモップを掛けるだけで良いです。こっちは仕事部屋なので・・・・・・」

 マンションなのでほんの5分ほどで説明は終わった。ネコは熱心にファイルに私の細かい要望を書き込み、たまに質問をしてくれた。私も単純なもので、そんな仕事熱心なネコの姿に最初の不安感はなくなっていた。

「猫の鳴き声、上手なんですね」

「はい?」

「さっきうちのピッピとお話ししてたでしょ?」

 気を許した私が軽口を叩くとネコは「あぁ、そうですね」と頷きながら照れたように笑った。

「居住猫にまず挨拶するように言われてるんで」

 なかなか面白くて良い子じゃないか。

 初日、私はいつも以上に仕事に集中することが出来た。声を掛けられ、ようやく就業時間に気付いたくらいだ。頼んでいた風呂、トイレ、居間の掃除はきっちりとされていて、洗濯物もクリーニングに出したような仕上がりだ。夕食は食べる前に温めるだけになっていて、私の仕事後の紅茶まで準備されていた。

 私はお礼を言って料金を払った。ネコは最後まで笑顔で、疲れた顔一つしなかった。面白かったのが、ネコが帰るときにピッピも玄関まで送りに来たことだ。ネコも嬉しそうに手を振って帰って行った。

 帰ってきた夫はやっぱり家の変化に気付かなかった。いつも「部屋が汚い」「料理が手抜き」「洗濯が山積み」なんて粗探しするくせに。在宅ワークの私がやって当たり前だと思っているんだ。

 しかしネコが作った筑前煮は本当においしかった。


 その後、私は繁忙期になると何度もネコを呼んだ。いつ依頼しても初回に来た女の子がニコニコとやってくる。そして静かに、でも確実に依頼を完遂してくれた。

 仕事関係でマカロンをもらったときはネコを誘って一緒に食べた。夫は甘い物を毛嫌いしているからマカロンなんて冷蔵庫に入っているだけで文句を言う。だからさっさと消費してしまった方が良い。

 ネコは物珍しそうにマカロンを見、一口でぱくっと食べ、「おいし~」と喜びを表し、「もう一個良いですか?」と遠慮無くおねだりしてきた。真面目で優秀な仕事ぶりをみたら20代くらいに見えるのに、たまに無邪気でずっと子供に見える。

「どうぞ、全部食べちゃっても良いわよ」

「奥様は食べないんですか?」

 心配しつつしっかりマカロンをおかわりするネコに頬が緩む。

「最近からだがだるくて、重い物を受け付けないのよね」

 と私はお腹をさすった。ネコにも消化に良い物を夕食にリクエストしている。

「ところで、もしピッピがいなくなったら、もうサービスは受けられないの?」

 私は以前から不思議に思っていた依頼の条件について聞いてみた。

「そうですよ。猫を飼っていることが条件なんで」

 ネコは私が入れた紅茶で喉を潤した。

「奥様は昔日本に猫がいなかった事はご存じですか? 貴族がペットにするために海外から取り寄せたんです」

「そうなの? 野生の猫っていなかったの?」

「はい。現在野生化しているのは捨てられた猫か、捨てられた猫が産んだ猫の子孫なんです」

 ピッピは私の足下でじっと話を聞いているようだった。

「ネコノテ・サポートは、これ以上捨てられる猫が増えないように、猫を飼う人のサポートをして猫の環境を守ることを会社理念にしているんです。人間にとっても猫にとっても手に手を取っての共存が一番幸せだという考えです」

 私がネコの話に感心していると、ピッピがすっと寄ってきてネコに「ニャー」とまるで声を掛けるように鳴いた。ネコは当たり前のように「ニャー」と返した。


 その1ヶ月後、私は本格的に体調を崩して寝込んでしまった。夫はそれを知っても「病院行けよ」しか言わない。家事も一切しない。結局在宅の仕事も休むことになったのでより時間が出来た私が家事をするものだという考えらしい。

「奥様、入りますよ」

 返事をすると、おかゆを持ってネコが入ってきた。その足下にピッピもいる。

「病院に行くのがつらいなら、救急車呼んだほうが良いんじゃないですか?」

 普段自分の意見を言わないネコが珍しく提案してきた。その顔からいつもの明るい笑みもない。私はそんなに病んで見えるんだろうか。

「うん、そうね。明日、呼んでみようかな」

 ピッピがベッドに上り、私に頬ずりしてくる。本当はベッドに入ることを禁止しているのだけど、今はその気遣いが嬉しかった。

「ネコさん、一つ聞いて良い?」

「はい」

「もしピッピに飼い主がいなくなったら、ネコノテ・サポートで保護とか、里親捜しとか、してもらえないかしら」

「出来ますよ」

 即答だった。無駄なことを一切聞かない姿勢が信頼できた。

 ネコの目が強い力で私を見ている。心強い。私はホッとして、眠りについた。


 妻が死んで何もかも上手くいかない。最初は同情してくれた周囲の人も、徐々に自分から離れていった。最近では病床の妻を放置したとまで言われている。俺は医者じゃないんだ。妻が癌だなんて分かるはずない。しかも若いから進行が速かったらしくてあっという間に逝ってしまった。

 人が離れていくのは洗濯が行き届かなくて臭いからだ。飯もほとんどコンビニ弁当。部屋も、ただ仕事に行って帰るだけの生活なのに散らかっている。あんなひ弱な女だったなんて、詐欺だ。また嫁を見つけなくてはいけない。

 今晩も家に帰ってコンビニ弁当を食べ、ビールを飲む。ビールが好きなだけ飲めるのだけ、良かったことだ。妻は1日一本と口うるさかったから。

 突然チャイムが鳴った。もう夜の12時を回っているというのに。出ると小さな女が立っていた。やたら笑顔の女に薄ら寒さを感じた。

「夜分遅くに申し訳ございません。ネコノテ・サポートから参りました」

 それを聞いて俺には思い当たる事があった。確か妻が死んだ後、部屋を掃除していたら領収書が出てきた。但し書きに家事代行となっていて、その会社の名前が確かそんなふざけた名前だった。妻が一人、楽していたのを知って腹が立って捨ててしまったが。

「なんですか? もう妻は死にましたんで、仕事なんてありませんよ」

 ぼったくり業者がなんやかんや理由を付けて金をせびりに来たんだろう。俺はしっしっと手を振って追い返そうとした。

「いえ、奥様から依頼された最後の仕事をしにきました」

「は? 金は払わねぇよ」

「結構です。ただピッピさんを迎えに来ただけです」

 ピッピさん? まさか飼い猫を「さん」付けされるとは思わなかった。俺は馬鹿にしたように笑ったが、女は気にしてないようにまだ笑っている。

「ネコノテ・サポートでは『飼い主が依頼』し、『猫が飼い主の意向に従うと意思表示』した場合のみ、こちらで猫を引き取ることになっています」

「あんた、頭可笑しいのか? ピッピは俺が実家から連れてきた猫だ。飼い主は俺だよ。妻ににどうこうする権利はなかったんだよ」

「いえ、飼い主は奥様です」

 何故か女はきっぱり言い切った。

「ピッピさんが、奥様こそ飼い主だと、そうおっしゃいました。あなたは関係ありません」

 その時後ろから「ニャー」とピッピの声がした。ピッピは妻が死んでから、何度俺が声を掛けてもキャットタワーから降りてこなかった。餌や俺がいないときに食べていたのに。

 しかし振り返った先にピッピはいなかった。見たことがない女が廊下を歩いてこちらに向かっていた。そいつは妻が気に入っていたふわふわとレースの付いたブラウスと春のスカートを着ている。

 家から出てきた女は当たり前のように妻の靴を履き、ネコノテ・サポートから来た女と歩き始めた。

「ピッピ?」

 思わず俺は呼び止めた。女は振り返る。

「ニャーオ」

 そして何一つ心残りがないようにさっさと歩いて行ってしまった。

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