第43話 曹操曰く、この戦乱の世の中、きれい事だけでは生き残れん。民を虐殺してでも兵糧を奪わなければならぬこともある。

 その曹操は、夏侯淵が破れて引き返してくるや、罵声を浴びせた。

「将たる者、自ら一騎打ちに挑んではならん! そんなことも知らんのか! 」

 夏侯淵は頭を下げるしかなかった。

「申し訳ありません。わずか百人にも満たない寡兵と侮っていました……」

「劉備という奴。やはり、ただものではないわ。私が自ら赴いて打ち破るしかあるまい」

 曹操は、夏侯淵の敗残兵もまとめると、自ら軍を指揮して、劉備が潜む州の境界の丘陵地に赴いた。

 曹操の軍勢が到着すると、劉備が、関羽、張飛、趙雲、田豫を伴って、前線に出てきた。曹操も、夏侯淵を伴って、前線に出る。

「劉玄徳殿。久しぶりですな」

 曹操が拱手すると、劉備も拱手を返す。

「曹孟徳殿、その恰好はどうなされた? 」

 曹操は、鎧の上に白装束を羽織っていた。夏侯淵も同様だし、一般の兵士たちも、白い布巾を巻いていた。これは、喪中であることを意味する格好である。

「わが父が、陶謙に殺されたのだ。それゆえ、弔い合戦に来たのだ」

「お父上様の逝去、お悔やみ申し上げます」

 劉備が丁寧にそう述べると曹操も礼を返す。劉備は言葉を続ける。

「しかしながら、むごい仕打ちですな。仮に、陶謙が、お父上様を殺害するよう命じたのだとしても、徐州の一般の民には、何の関係もないことでしょう。何故、徐州の一般の民を皆殺しにし、食料や作物を奪ったのです? 」

「私の怒りが、それほどのものだということだ」

「曹孟徳殿に殺された民にも、子がおり、あるいは、父や母がいる。そのことは考えられましたか? 」

「……」

「後世の人は、曹孟徳殿の徐州での虐殺を痛罵することでしょう」

 劉備の言葉を曹操は嘲笑する。

「後世の評価など気にしていたら、何もできん。それに、史書は勝者が作るものだ」

「史書に残さなかったとしても、民の間で、曹孟徳殿の行いが語り継がれることになりますぞ。たとえ、曹孟徳殿が天下を取られたとしても、汚名を注ぐことはできないでしょう」

「もとより、覚悟の上だ。この戦乱の世の中、きれい事だけでは生き残れん。民を虐殺してでも兵糧を奪わなければならぬこともある。これ以上、戯言に付き合う暇はない。通過させてもらうぞ」

 曹操が、剣をあげて自らの軍勢に突撃を命じようとすると、劉備が言う。

「我らは遮りませんぞ」

「ふっ……。いずれ、この借りは返すぞ」

 曹操は、軍勢を率いて、劉備の手勢の横を何事もなく通過した。正史三国志には、この時も、曹操が劉備を撃破したと記されることになるのである。

「劉兄、本当にこのまま帰してしまうのか? 」

 張飛が不満そうに唸る。

「孫子の兵法には、帰師には遏ことなかれとある。帰還する兵を遮ってはならないのだ。もし、これを遮ったら、敵は必死に戦う。我が軍が大損害を受けるのだぞ」

「絶対、この先、あの時、曹操を討っておけばよかったって後悔するぜ」

「曹操を討つチャンスはこの先幾らでもあろう」

 曹操軍が通過してしまうと、しばらくして、騎馬部隊を主体とする新たな軍勢がやってきた。

 その後方には、喚声が響いており、矢が飛び交っている。後方から攻撃を受けて、敗走している軍勢だと分かる。

 敗走しているのは、曹仁の軍勢で、後ろから追撃しているのは、陳登の軍勢である。陳登は、州の境界まで来たところで、チャンスととらえて、襲撃したのである。

「張弟よ。あれは、陶州牧殿の軍勢が曹操軍を追い立てているに違いない。加勢するぞ」

「よっしゃー! 暴れてやるぜ! 」

 劉備と張飛の号令により、劉備の軍勢は、曹仁の軍勢の側面から突撃した。

「陶州牧殿の軍ですな。我ら劉備軍、加勢いたしますぞ」

 劉備が声を張り上げると、陳登も答えた。

「劉玄徳殿! 感謝いたす! 私は、陶州牧の配下陳登と申す! 」

 張飛が曹仁軍の雑兵を突きまくる中、関羽は総大将の曹仁と遭遇していた。

「我こそが、関羽である! 将軍、名乗られよ! 」

「我が名は、曹仁! いざ参る! 」

 関羽と曹仁は、矛を交えると、十数合ばかりも打ち合った。

 しかし、曹仁は、勇将であっても、関羽ほどに武芸が優れているわけではない。

 これは、勝てない。と見るや、曹仁は、関羽の一撃をかわした隙に乗馬を疾走させて逃亡した。

「関雲長殿! 今日のところは失礼いたす! いずれ会おう! 」

「むう……。逃がしてしまったわい。仕方ない。奴はまだ死ぬ運命ではないのだろう」

 関羽はそう独り言ちた。

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