第40話 劉備、陶謙の危機を救うべく出兵する

 陶謙は、字は恭祖といい、揚州丹陽郡の人である。

 この時期、徐州の牧として、中原の東、海沿いの地域を支配する立場にあった。

 徐州は、現在の山東省南東部と江蘇省の長江以北に相当する地域で、古くは、彭城と言い、項羽が都を置いたこともある要衝である。

 長江の流れに沿い、肥沃な土地だったことから、住民は裕福で穀物も十分豊かだった。そのため、戦乱で土地を失った流浪民がこの地に身を寄せるようになっていた。

 蜀ほどではないものの、平原の中に丘陵地が点在していることから、要害の地と言うことができ、外からの守りに対しても比較的強かった。古来より兵家必争の地であった。

 陶謙は、車騎将軍の張温の下で、参謀を務め、西方で韓遂の討伐に当たるなど、軍事的にも優れた能力を有していた。また、役人としても、清廉潔白で、幽州刺史を務めたこともある。黄巾の乱が勃発した時に、朝廷から徐州刺史に任命されて着任。黄巾の乱を平定すると、そのまま、徐州の牧に任じられたのである。

 陶謙は、強情で、ひねくれた性格だった。

 上司であった張温の能力のなさを軽蔑し、その命令を受けると内心反感を抱き、ついには、満座の中で張温を侮辱するという事件を起こしたことがある。張温は立腹して、陶謙を辺境に左遷しようとするが、周囲のとりなしで、元の職に戻されることになった。

 この時、陶謙は、謝罪しているが、

「私は朝廷に対して謝罪したのであって、あなたに謝罪したわけではありません」

 と張温に言ってのけた。

 能力はあるが、上司から見ればかわいげのない奴ということになろう。出世は遅れて、老年になってようやく、徐州の牧の職を得たのである。

 そう言う性格であったから、陶謙は、部下も変わりものを重用する傾向があった。

 趙昱という忠義で正直な名士は疎んじられ、邪悪な小人物だった曹宏なる人物が信頼されて任用されたと、正史三国志にはある。軍事的な才能もあり、要害の地を拠点としながらも、陶謙は、人材には恵まれなかったために、群雄として抜き出ることはなかった。

 朝廷から州牧に任命された立場であるため、李傕らの傀儡となっているとはいえ献帝を推戴する漢王朝への忠誠心はある。そのため、この朝廷を軽視する袁紹とは対立する立場にあり、必然的に公孫瓚、更に、斉の田楷、その下にいる劉備らと連携を取るという関係になっていた。


 そのころ、曹操の父曹嵩と家族が、戦乱を逃れて、徐州東北部の琅邪郡に避難していた。

 曹操は、陳留で挙兵して以来、着実に勢力を伸ばしていた。自らの地盤は安定したため、父と家族を呼び寄せようとした。曹嵩もこの招きに応じて支度をし、出発したところ、その途中で、何者かによって皆殺しにされてしまう。誰に殺されたのかについては、正史三国志の記述からははっきりしない。

 陶謙が兵を差し向けて殺したという話がある一方、むしろ陶謙は殺害しようとは考えておらず、陶謙がその護衛役として張闓を派遣したところ、張闓が曹嵩の有する財物に目がくらんだために、殺害して、その財物を奪い逃亡したという話もある。

 いずれにしても、陶謙の支配する徐州で、父と家族が殺されたことは、曹操にとって、徐州に出兵する口実となった。

 発干での戦いで、陶謙の軍が弱いということを知っていたので、曹操は、破竹の勢いで徐州に侵攻した。

「わしの配下の手勢だけではどうしようもない」

 と危機感を抱いた陶謙は、田楷と劉備に対して、援軍を要請した。

 田楷と劉備はこれに即座に応じて、出兵する。

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