第34話 劉備、危うく暗殺されかける
「趙雲よ」
「はっ」
「君は、もともとは、袁紹の支配する地域の出身だそうだな。なのに、何ゆえ、公孫兄の下にはせ参じたのかね? 」
「自分は、仁政を行う者に従うと決めております。袁公を軽んじて、公孫将軍をひいきしたわけではありません」
「ほう。仁政を行う者に従うと……」
「はっ」
「すると、私が仁政を行うならば、この先も私に従ってくれるのか? 」
「はい。絶対に裏切りません」
「うむ」
劉備は趙雲の忠誠心を勝ち取るためだけではなく、自らの政治家としての名声を高めるためにも、平原県において仁政を行った。
税を軽くし、戦乱で荒廃した土地を耕し、流浪した民を定住させ、治安を回復し、商業開発を行う。これらの内政を矢継ぎ早に執り行ったのである。
一方で、袁紹軍との戦いがあれば、田楷と共に出陣し、関羽と張飛、それに趙雲らが大活躍し、袁紹軍に痛手を加える。
劉備の名声は日に高まり、袁紹も、
「劉備とかいう奴はなかなか侮れない奴だ。おまけに仁政を行っているという。なんとか、懐柔したいものだ」
と認識するようになった。
劉備が平原県で仁政を行っていても、これに反発する者もいた。
平原県の有力者で顔役でもある劉平もその一人で、
「劉備とかいう、どこの馬の骨とも知れない奴が、俺様のところに挨拶にも来ないで、平原県で勝手なことをしていやがる! 」
と激怒した。
本来ならば、手下のごろつきどもを引き連れて、役所に怒鳴り込み、脅しをかけるところであるが、劉備が率いる関羽、張飛、趙雲と言った武将の武勇伝は、世間に鳴り響いているし、その配下の兵士も歴戦の兵ばかりで、到底、脅しに屈するとも思えない。
「気に入らねえ! 正面から乗り込んでも意味がねえなら、殺してやるまでだ! 」
そこで、刺客の荊某という者を劉備の下に送り込んだ。
その日は、平原県でお祭りが行われていたこともあり、劉備は、視察もかねて、町中に出ていた。
劉備の傍らには、趙雲が一人従うのみで、そのほかの護衛はいない。護衛などいなくても、劉備を襲う者などおらず、どこに行っても、民衆から歓迎されているのだ。
劉備は、老人が困っていれば、手を貸してやり、迷子の子が泣いていれば、親を探してやり、商売をしている者がいれば、道行く人に宣伝してやるなど、民衆に気さくに声をかけ続けた。
さらに、酒場に入っては、民衆たちと同じ席で、飲み食いした。
「今日は、私のおごりだ。皆の者、たくさん飲んで食ってくれ」
劉備の言葉に、大勢の民衆が酒場に詰め掛けた。その中に、荊某も、短刀を懐に隠して混じっていた。
民衆がごった返す中でも、趙雲は、殺気を感じ取り、鋭い眼差しをした荊某に気付いた。
そこで、趙雲は、劉備に耳打ちする。
「主公。お気を付けください。お命を狙う者がいるようです」
「趙雲よ。ここで果てるならば、私はその程度のつまらない人間だということだ。気にするでない」
荊某が劉備の前に来るや、趙雲が間に入ろうとする。ところがそれよりも早く、劉備が荊某の肩を叩き、
「さあ、座って、どんどん飲んで、食べてくれ」
と自分の隣の席に座らせてしまう。
劉備は、荊某に杯を渡し、酒を注いだ。
「四海の内皆兄弟なりと言うからな。さあ、遠慮しないでくれ」
「……では」
荊某がぐいと酒を飲み干す。
「いい飲みっぷりだ。どんどん飲んでくれ」
劉備は、荊某の杯にどんどん酒を注いだ。つまみ物もどんどんすすめる。
「全く、今は嫌な世の中だな。戦乱、飢饉と。だけど、今日くらいは、そんなことは忘れて、どんどん飲んで食べようじゃないか」
「……おう」
「ところで、君は普段は何をしているんだ? 」
「……俺の仕事は、人に言えねえ」
「うん。分かるぞ。人に言えない仕事もあるな。その仕事のおかげで、誰かが救われるわけだな」
「……俺は、今、仕事を頼まれていて」
「うんうん。どんな仕事だい? 」
「実は、劉玄徳殿。あんたを殺すことなんだ」
趙雲が直刀を抜こうとするのを劉備が目で制した。
「私が殺されることによって、誰かが救われるわけかな? 」
「……救われる。ということじゃねえ。あいつは、ただ、あんたが気に入らねえというだけだ。劉平は、偏狭な野郎だ」
荊某はそう吐き捨てると、劉平から暗殺を頼まれた一件をすべて話してしまう。
「劉玄徳殿。あんたは、民衆にとって必要な人だ。一日中、あんたを見張っていて、そう思った。とても、劉平などという小物のために殺されちゃいけねえ。俺は手を引きます」
「よく話してくれた。私も君を罪に問うようなことはしない。行くがよい」
「劉玄徳殿。保重」
荊某は拱手して立ち去った。
正史三国志には、劉備が人心を得ている様は、このようなものであったと記されている。
劉平という小物がその後、どうなったのかについては記述がない。
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