第29話 劉備、各地を転戦して、「戦功を立てた」と、吹聴する。

 官職を棄てても、劉備の軍勢が路頭に迷って、山賊に身を落とすことはなかった。

 黄巾の乱自体は、張角が病死したことや、官軍の指揮官である盧植、皇甫嵩、朱儁らの活躍により、鎮圧されたが、反乱の火は各地に飛び火し、いたるところで反乱が発生していた。

 そのために、これを鎮圧するための義勇兵はいくらでも必要とされていたのである。

 当時大将軍となっていた何進が、都尉の毌丘毅を丹陽に派遣して、募兵させていたため、劉備の軍勢もこれに加わった。

 劉備は、督郵を半殺しにして逃亡したため、いわばお尋ね者になっていたはずであるが、そのような前科も問題にならないほど、政治が混乱しており、かつ、義勇兵が不足していたのである。

 毌丘毅という武将も、正史三国志に一行しか登場しない無名の武将であるが、劉備は彼の下で、関羽、張飛と共に、下邳において、賊君を相手に「力いっぱい戦って軍功を立てた。」ということになっている。

 そのために、下密県の丞という役職に任じられた。しかし、この役職もすぐに捨てて立ち去っている。

 役職に留まるためには、賄賂が必要だったし、賄賂を差し出してまでと留まる価値のある職ではなかったからである。

 当時の劉備は、小役人の職にとどまることよりも、戦に出て、戦功を立てたことにして、英雄として名を売ることの方が重要だったのである。

 募兵の話を聞くと直ちに、軍勢を率いてはせ参じて、戦に出ては、「戦功を立てた」と、吹聴して回る。

 それがために、劉備と関羽、張飛の英雄伝説は、誇張されて、民衆の間に広まった。実際には劉備が赴いたこともない場所まで、劉備、関羽、張飛の三兄弟が来て戦ったという話が作られているために、様々な史書に記されたこの時期の劉備の動向は錯綜している。

 反董卓連合軍の一員に加わっていたなどと言う三国志演義の話は、その際たる事例である。


 やがて、劉備は、高唐県の尉となり、さらに昇進して令となるなど、任命される官職も以前よりも高いものになった。

 各地を転戦して、「戦功を立てた」と、吹聴して回った成果が、表れ始めた証でもある。

 劉備が率いている軍勢も、旗揚げ当時は、五百人足らずであったが、この時期までには、千人規模までに膨れ上がっている。これも、劉備、関羽、張飛の三兄弟が大活躍する話を聞いた腕に覚えのある者たちが、競って、劉備の下にはせ参じたためである。

 もっとも、劉備軍が強い。と吹聴して回っても、数万規模の賊軍が相手では、勝てないときは勝てない。

 高唐県の令の職も、賊軍に打ち破られたことがきっかけで、劉備はこの職を放棄すると、軍勢をまとめて逃げ出した。劉備軍あげて、討ち死にしてまで守るほどの官職ではなかったからである。

 放浪軍を率いる劉備は、簡雍につぶやいた。

「戦場での暮らしも慣れてきたが、官軍による義勇兵募集の話も減ったな」

「漢王朝が崩壊したも同然だからな。今や、各地で群雄が割拠して、兵を必要としているのは、官軍ではなく、その群雄たちだ」

「群雄か……。今、世間で話題になるのは、各地を支配する群雄なんだな。俺たちは未だに、拠点を持たない放浪軍だ。焦るなあ……」

「まあ、焦る必要はないさ。小劉は、既に、戦場で名をあげているんだ。そのうち、群雄からお声がかかるさ」

 簡雍がニヤリとする。

「小簡。その様子では、誰か当てがあるのか? 」

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