第27話 簡雍、劉備軍報道局長に就任する
「小劉。俺は、戦のことは分からないし指揮官になるつもりもないが、小劉の活躍ぶりを世間に吹聴して回ってやるよ。劉備軍の報道官というところだ」
簡雍はそう宣言したとおり、その後、劉備の名声を高めるために報道官として重要な役割を果たすことになる。
報道官と言っても、今日の中国のようにマスコミの前で戦狼のごとく吠えたり、浮世絵で風刺したり、ツイッターで陰謀論をつぶやくわけではない。新聞報道などがない、この時代、世間に報道するための有効な方法は、民衆に物語を聞かせること、要するに講談である。あるいは、子供に、童謡を教えて広めることである。
簡雍は、劉備たちの活躍を物語や童謡にして、あちこちで、吹聴して回った。それを聞いた民衆が感化されて、噂話をしてまわるという寸法により、劉備たちの名が世間に知られ、名声が高まることになるのである。
もちろん、その物語は、正史のような堅苦しいものではなく、劉備、関羽、張飛らが大活躍する勧善懲悪の英雄談である。三国志演義と呼ばれる物語の原型は、簡雍が作ったとも言えるかもしれない。
「小劉。民衆は、戦上手の英雄を好むものだ。この先、戦に次ぐ戦になるぞ」
「ああ。母上も亡くなったし、俺は、戦いに出たら、二度とこの家に戻るつもりはない。行こう」
劉備が簡雍を伴って家を出ると、関羽と張飛が武装した姿で待っていた。
「劉兄。出陣の時が来たようですな」
関羽の言葉に劉備はうなずく。
「これより、我らは官軍に加わり、黄巾賊を討伐する」
「よっしゃー! やってやろうぜ! 」
張飛が拳を突き上げると、総勢五百人の劉備軍が一斉に気勢を上げた。
正史三国志によると、劉備たちの軍勢は、校尉の鄒靖に従ったとある。
なお、三国志演義では、鄒靖は、幽州太守の劉焉の配下となっており、賊軍が多いので、義勇兵を集めるべきですと進言、その結果劉備が義勇軍を率いてはせ参じたことになっているが、これはフィクションである。この時期、劉焉は、幽州にいないし、鄒靖が劉焉の配下になったこともない。
鄒靖は、正史三国志には、この一行しか出てこない無名の武将であるが、劉備たちにとっては、無名な上官であろうとも、官軍に加わったという事実さえ作ることができれば、目的を達したのである。
劉備の初陣は、無様なものであった。
賊軍と田野で遭遇したために、突撃したものの敵味方入り混じっての混戦となり、劉備はろくに指揮することもできず、周りが敵だらけという状況になったために、やむを得ず、死んだふりをして、戦いが終わるのを待った。
「小劉――! どこにいる! 」
戦が終わり、簡雍の声を聞いた時、劉備は、ようやく身を起こした。
「小簡。おれはここだ! 」
「どうした。こんなところで、寝っ転がっていて。戦場で寝てる英雄なんて様にならないぞ」
簡雍に助け出されて、劉備は苦笑する。
「やはり、実戦は、兵書で読むのとは違うな」
「そりゃそうだ。兵書に書いてあるとおりに、うまく事が運んだら、誰も苦労しないぜ」
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