第3話 馬相の乱

 そのころ、益州では、馬相と趙祗という人物が綿竹県で、黄巾と号して、反乱を起こした。

 張角による黄巾の乱は、光和七年(一八四年)に中原を中心に起きており、劉焉が州牧制を進言したのが、中平五年(一八八年)とされている。

 馬相の乱が起きた時は既に張角らによる反乱は鎮圧されていたことになるが、これに触発されてのものであろう。

 綿竹県で反乱軍を結成した馬相らは、たちまち、膨れ上がり、まず、綿竹県の県令である李升を殺害し、綿竹県を制圧した。さらに、雒県、益州も制圧して、劉焉が逮捕するはずだった郤倹をも殺害してしまった。

 一箇月のうちに、蜀郡・犍為・広漢の三つの郡を勢力下におき、数万人の軍勢を擁し、馬相は自らを天子だと称するほどの勢いだった。

 一方、益州従事の賈龍という武将がおり、数百人の私兵を率いていた。兵を募って千人余りの軍勢となったところで、馬相らの反乱軍と戦い、これを打ち破った。

 もっとも、これは、賈龍が武将として特別に優れていたことを示すものではない。

 馬相の軍勢が数万人と言っても、その大半は、郤倹らの悪政に苦しむ飢えた民衆であり、ろくな武器は持っていない。

 完全武装した千人余りの兵士が突撃して来れば、逃げ惑うばかりで、戦力とはならなかったわけで、首謀者の馬相と趙祗らが囚われたところで、たちどころに雲散霧消してしまったのである。


 ともあれ、劉焉が益州に到着した時は、このような状況だった。

 劉焉は、道々、

「郤倹をどのようにして捕らえて、権力を奪うべきか……」

 と思案していたのであるが、綿竹県に到着すると、郤倹は既に殺された上に、混乱した状況にあることを知り、一瞬唖然とする。

 ただ、賈龍らが、朝廷から正式に任命された州牧の劉焉が来たと知って、すぐに迎え入れてくれたので、濡れ手に粟となったのである。

「郤倹らが、重税を取り立てて、民を苦しめていると聞いたが、なんとまあ、既に、民の反乱によって、殺されたのか? 」

 劉焉の問いかけに、賈龍は拱手して答える。

「はい。郤倹らが殺されたのは自業自得と言えましょう」

「うむ。馬相らが反乱を起こしたのは、郤倹らの悪政のためじゃ。民衆に罪はない。これよりわしは、寛容と恩恵を旨とした政治を行い、益州に平穏を取り戻そうぞ」

「はっ。我らも劉州牧の下で、朝廷のために働きます」

 賈龍らは、劉焉は、あくまでも朝廷から任命された正式な官吏であるために、これを受け入れたのである。


 一方、劉焉は、朝廷から正式に任命された身であるという大義名分を掲げながらも、内心では、蜀において独立する構想を既に打ち立てている。

 まず、自らの意のままに動く兵力を持つ必要があった。

 蜀の地の兵力は、賈龍ら土着の役人が押さえている。彼らは、劉焉が朝廷から正式に任命された上官だから従っているのであって、劉焉が謀反を企んでいると知れば、制圧に動くだろう。

 よそ者の劉焉が、彼らの兵力を頼みとするわけにはいかなかった。

 ただ、劉焉には、幸いなことに、自らの兵力を確保する手段があった。

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