37 終幕

 フェスカ侯爵家へ嫁いで初めての冬の季節です。

 この時期になると、育つ苗もそれほど多くなく、私が庭に出る回数は極端に減っていました。


 変わりに、春から秋に掛けて貯めに貯めたお小遣いで本を購入し、家族用リビングにある暖炉の前で読むのがマイブームです。

 この暖炉の前と言うのは至福の場所でして、集中して読み耽っていても誰かが呼び戻してくれるのです!

 これ大事!

 読書の時間については、お母様経由でお義母様にもしっかり伝わり、釘を刺されていますので注意しなければいけません。



 今日も今日とて、暖炉の前に毛布を持ち込んで包まって本を読んでいました。

 毛布最高!



 先ほどから肩をちょんちょんと突かれる感覚があります。


 振り返れば、アウグスト様が遠慮がちに突いていました。

「なんでしょうか?」

 このどこかで見たことのある光景は、冬の季節に入り毎日繰り返した日常です。


 私を呼ぶアウグスト様を見て、もうそんな時間ゆうしょくか~と、窓の外を見ます。しかし太陽はまだ沈んでいませんでした。


 おやや? まだ明るいわ。

 アウグスト様は本日出勤されていきましたので、日中にこんな場所にいるわけが無いのですが?


「お仕事はどうされたのですか?」

 そう問い掛けると、「本日は午前だけなのですよ」と、糖度十二分な笑顔でお答えが返ってきました。


 そして彼は「一緒に街に出かけませんか?」と、私を誘ってきました。

 丁度欲しい本もありましたので、「ええ喜んで」と、ご一緒することにしました。




 馬車の中でお聞きした話では、冬の間だけ開かれる異国の市場があるというお話でした。アウグスト様は職場の同僚にその話を聞いて、どうしても行って見たいお店があるそうです。


 私達は一般の市民向けに、街の大通りの外れで行われている市場へ向かいました。


 市場に入る前に馬車から降りて、徒歩で市場へ向かいます。前方に見える市場の中はとても活気付いており、人の混雑具合もこちらの大通りの比ではありません。

 もうね、道の中が人人人なのです!


 正直なところ、この混雑の中で意中の店が探せるとは思えませんでしたが、事前に同僚から場所を聞いておいたというアウグスト様に、はぐれない様にと手を引かれて中を進みました。

 辿り着いたお店は……

 おや、苗屋さんですか?


 アウグスト様はいつも通りの糖度の高い笑顔を見せて、

「寒い地方の花の苗だそうで、今の時期ならこちらでも育つそうだよ」

 なんと私の為に態々調べてくださったと言うではないですか!

 彼はその花の苗と、さらに寒い地方の花の育て方が書いてある本をプレゼントしてくれました。


「有難うございます!」

 糖度は低いですが、こちらも精一杯の笑顔をお返ししますと、アウグスト様は照れたようにはにかんで笑うと、頬に軽いキスが降ってきました。




 屋敷へ戻ると、私は先ほど頂いた本を読もうと軽くスキップしながら暖炉の有るリビングへと足を運びました。

 そしてリビングまであと少し~と言うところで、突如、頭からスッと血の気が無くなり……


 どこらかでドサッと言う音と、「キャー!」と言う声が聞こえて来た……





 屋敷に帰ると、先ほど購入した苗を仕舞うように使用人に指示しておく。

 それが終われば、プレゼントした本を手にランランとスキップしながら階段を登っていったリンデを追いかけるように、俺もリビングを目指して歩いていた。

 すると突然、前方から「キャー!」と言う甲高い悲鳴が聞こえてきたのだ。


 急ぎ走り駆け寄ると、廊下にリンデが気を失って倒れていた!


「どうした!?」

 周りに居た使用人に何が起きたかを問い質すが返事が無い。

 一人呆然としている、リンデ付きの侍女のドロテーに問い掛ければ、「嬉しそうに歩いていた奥様が突然意識を失われて倒れました!」と泣きながら言う。


「医者だ、医者を呼べ!」

 俺が指示するとすぐにクレーメンスが走り去った。

 ここは廊下で肌寒い、俺はとりあえずリンデを両手で抱えて寝室へ運んでいった。




 幸いベッドに寝かせてから五分ほどでリンデは目を覚ました。

 すっかり血の気を失ったリンデに、先ほど準備させておいた蜂蜜を溶かしたミルクを手渡した。

「体がすっかり冷えている。暖かいものを飲んだ方がいいだろう」

 ぼぅとしたままコップを受け取るリンデを見て、危なっかしく感じた俺は、一緒に手を添えて彼女の口元へ運んでやった。


 リンデはミルクをコクリと飲むや、うっと言って顔を背けて吐いてしまった。

 シーツが汚れたのを見て、リンデは申し訳なさそうに謝罪する。

「ご、ごめんなさい」

「大丈夫だ」

 そう言って慰めるのだが、俺の内心では『異国の市場で変な病気でも拾ったのだろうか?』と、気が気でない状態だった。



 それから十分ほど経ち、ようやく医者がやってくる頃にはリンデはベッドで横になり眠ってしまっていた。

 俺が倒れた時の状態に顔色、異国の市場へ行ってきたこと、そして飲み物を飲んだが吐いたことを医者に伝えると、医者は診察をする為と言ってドロテーを残し俺たちを部屋から追いたてた。


 廊下で待つこと十五分ほど、しかし俺の人生で最も長く感じた時間だっただろう。

「どうぞお入りください」

 医者に促されて寝室に入れば、リンデがベッドで体を起こして座っていた。

 やはり顔色は余り良くない。

「大丈夫なのか?」

 無理をしないようにと、言えば彼女は首を振り、今度はそして耳まで真っ赤にして、

「あの、旦那様……」


 おおっ旦那様!?


 初めて呼ばれたその呼び方にちょっと感動を覚えていると、

「あの、えっと、おめでた、だ、そう、……です」

 おめでたいだと?

 お前が倒れたのに何がおめでたいのか? と、俺は険しい顔で医者を睨んだ。


 リンデは俺に上手く伝わっていないと気づき、

「違うの。私達の赤ちゃんができました」

 と、今度ははっきりと、間違えようが無い言葉を告げたのだった。







 私が懐妊したとの報告は、当日中にアウグスト様から両家に伝えられました。


 翌日、ベッドから起きて来ると孫が出来たと喜ぶお義母様に、きっと男子だぁ、跡取りだぁと喜ぶお義父様が朝からはしゃいでいました。

 落ち着いてください、お義父様の跡取りはアウグスト様ですから……


 そして早朝にも拘らず、『初孫!』と、喜び勇んでやって来た我が両親たちは、お腹の大きさが変わってない私を見て盛大にがっかりしてくれました。

 まだ懐妊が分かっただけですってばっ!


 それからの日々はとてもとても過保護な日々だったと思う。

 毎日毎日、爺婆予備軍が何かと理由をつけては見に来るのです。

 あれ喰え何は駄目だの、やれ何が母体にいいだとかね?


 そしてお腹が目立って大きくなる頃には、アウグスト様が常に不安げに、私を気遣うようになりました。

 特に朝は「今日は仕事を休んで~」とか言い出すことが多く、「さっさと行きなさい!」と叱責する事もしばしばありました。


 順調にお腹が大きくなっていくと、お腹を蹴られる事が増えて、私の中に新たな生命を宿している実感を味わい幸せを感じました。

 そして夜会のシーズンが終わる頃、無事男の子が生まれ、アウグスト様からリーンハルトと名づけられました。

 私は嫡男となる男子を無事産むことが出来て、ホッと胸を撫で下ろしたのです。



-完-



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「公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる」へ続きます。

よろしければそちらも読んでいただけると大変喜びます。

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攻略対象ですがルートに入ってきませんでした 夏菜しの @midcd5

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