化け猫の招き手
寄鍋一人
猫の手(失せ物)
――化け猫さん、化け猫さん、私をそちらにお誘いください――。
この言葉を口にしてはいけないと教わってきた。
「蔵の中にある桐の箱を開けてはいけないよ」
幼いころからそう教わってきた。
私の家の庭には、二階建ての大きな蔵がある。何年前のものかも分からないけど、幼いころの私は不気味がって入ろうとはしなかったし、言ってはいけない言葉の意味も分からなかった。
大学生になり家を出てからは、その言い伝えは遠い記憶の中の話になっていた。
しかしお盆に帰省したあるとき、ふとその話を思い出し、私は初めて蔵の扉を開けた。
蔵の冷えた空気がじわりと湿った肌を撫でる。ネズミがやっと入れるくらいの小さい穴は高い位置にあり、辛うじて入る光の筋にホコリがひらひらと反射する。
ホコリを被った骨董品や中身の分からない箱が山のように積み上がり、その峰を順に目で追っていくと、壁伝いに設置された階段を見つけた。
昔ちらっと、例の桐の箱は二階の奥にあると聞いたことがある。階段の木が腐ってないのを一段ずつ確認し、光が一切ない二階にたどり着く。
携帯のライトをつけると、二階にはものがほとんどなく奥にぽつんと一つ仏壇のようなものが置かれていた。
一階はあんなにホコリが舞って掃除が行き届いてない感じだったのに、二階は変に小綺麗で空気に妙な緊張感がある気がする。
軋む床を踏みしめ近づくと、仏壇のようなものには教わっていたとおりの桐の箱が置かれていた。
ホントにあったんだ……。
言い伝え、伝説……。もはや誰かの作り話とも思ったあの箱が、今目の前にある。汗で張り付く背中の心配も忘れ、蓋に手をかける。外の蝉の声も届かない静寂に、桐が擦れる音が響く。
中にはおそらく棒状の何か、それを外気から守るように布切れが巻かれていた。
何重もの白い布切れをゆっくり外していき、現れたのは猫の手。
骨というわけでもなければ、ミイラのように干からびているわけでもない。毛がまだ綺麗に生え揃った生気のある猫の手だ。
生き物の片腕という割とショッキングなものを見ても不思議と恐怖とかはなかった。なんとなく恐ろしいものとは思えなかった。
猫の手を手に取り、あの言葉を思い出し口ずさむ。
「……化け猫さん、化け猫さん、私をそちらにお誘いください……」
言い伝えでは、化け猫の霊にあの世に連れていかれるとかなんとか……だった気がする。
しん……とまた静寂が訪れる。
何も起こらない……? 緊張をほんの少し緩めた次の瞬間。
「ああああ!! 私の手こんにゃところにあったのにゃ!!」
にゃ……?
「ずっと探してたのにゃあ……。私が死んでから腕だけどっか行っちゃって……腕1本で大変だったのにゃ……」
愛する我が子のように手を頬ずりする猫がいた。
「化け猫の霊……?」
思わず声に出していた。
ふわふわと浮いたそれは夜目はギョロリとこちらを向き、パァッと破顔した。
「ご主人様ぁー! 会いたかったのにゃあ!」
頬ずりの矛先は私に移り、私の頬はスリスリとフサフサの毛に包まれた。
「いや、ご主人様ってたぶん私じゃないと思う……」
「にゃ!? 似てただけかにゃ!? 今はにゃん年にゃ?」
年を伝えると、それはもう寝坊した社会人のように飛び上がり、二股の尻尾は垂れ下がった。
「んにゃああ!!?? もうそんにゃに経っちゃってるのにゃ!? 寝すぎたにゃあ……」
昔の人が見たらたしかに、化け猫なんて不吉の象徴でさぞ恐ろしいことだっただろう。だが目の前の彼女は不吉の象徴の片鱗すら見えない。
事実は小説よりも奇なり? 百聞は一見にしかず?
言い伝えの正体は、ちょっとドジな可愛らしい猫娘だった。
化け猫の招き手 寄鍋一人 @nabeu
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