第24話 雲の上はいつも晴れ

 窓から差し込む陽の光。銀色のロザリオがテーブルの上で輝いている。ララは頬杖をつき、ロザリオの紐をそっとつまみ上げた。


「今頃、どうなさってますでしょうか……あの優しい神官さん」


 向かい側には相変わらず人型のままのエルが座っているが、神官さん、という言葉を聞くや否や嫌な顔をした。


「アイツ ら、敵」

「敵ではないでしょう。今はまだ。あの方たちは依頼を受けてお仕事しているだけですから」

「ララ ドッちノ味方」


 思わず目を上げる。エルは美しい顔を苦々しげに歪ませている。


「もちろん、エルの味方ですよ。ですけど、いつかどこかで鉢合わせることもあるかもしれませんし――」

「ソノ時は 全力デ 蹴ル」

「いざというときは必要かもしれませんが、話せば案外わかってもらえるかもしれませんよ。ほんの少し言葉を交わしただけですけど、悪い方々ではなかったと思うんです。依頼主が極悪非道な研究者だと知れば考えを変えてくれるかもしれません」

「ソウ なっタら、別ノ奴ガ 来ルだけダ」


 エルはますます苦々しい顔つきになった。


「俺ノセイ デ、ララ 傷ツイたラ、ダメダ。油断スルナ」

「……」


 エルの真剣なまなざしに射抜かれて、ララは目を伏せた。


 エルに少しでも味方ができればという淡い期待があったが、言われてみれば、浅はかな考えかもしれない。


 浅黒く日焼けした兄の顔がちらりと浮かんだ。ヒューゴ、親方、夫人、従業員たち……ララに「自由」を与えてくれた人たちの姿が脳裏をよぎる。


 エルと共に生きるという選択は、ララの人生を引き返せないところにまで捻じ曲げてしまった。この先ずっと、誰にも言えないまま、エルをかくまい続けなければならない。それでもいいと思える自分がいた。これまでも自分は孤独と共存して生きてきたのだ。むしろ、分かち合える〝共犯者〟ができた分、救われたかもしれない。


「あなたとの旅を再開する前にですね」


 ララは、ぴっと人差し指を立てた。


「いろいろ、やらなきゃいけないことがあります」

「ナニ」

「まず、今回王都へ来た目的を全然達成できていません。警備隊に盗品を預けましたけど、わたし、まだ衣類を補充できてないんですよ」

「服ナンテ、着ナクテ も」


 思いっきりセクハラ発言だが、鳥の彼に言っても仕方がないのでこらえる。


「……あなたはいいかもしれませんが、わたしはだめなんです」

「ジャあ、ドウスる。王都、戻レナイ」

「……」


 彼の言う通りだ。あのキリアのこと、あることないこと訴えて、今頃ララと灰色のレインコートの人物はお尋ね者として警備隊に触れ回られているだろう。そうなれば、王都に一歩でも踏み入った途端にお縄になってしまう。いや、王都どころか、いずれは正式に国内指名手配犯だ。そうなったとき、今までのようにのんびり車中泊の旅など続けていられるのだろうか……


 ララの脳内で様々な憂いがぐるぐるとめまぐるしく回りだす。今更嘆いても仕方ないが、これからどうすればいいのだろう。ふと窓の外に目をやったとき、ララはぱちくりと目を瞬いた。


「あれ」


 空の向こうから何かがやってくる。見知ったシルエットに、目を見張るようなスピード。こちらへ真っすぐ突き進んでくるそれは、ハヤブサ便だった。


 さっと顔が青ざめる。そうだ。ハヤブサ便がある限り、こちらの居場所も知られているようなものだ。ハヤブサ便を受け付けないように、天井のランプも早々に外しておかなければ――


 ハヤブサは窓辺にすたっと降り立つと、脚に括りつけられた手紙をずいと差し出した。

 正直、受け取りたくない。ララに手紙を寄越すのはギルドくらいだが、お尋ね者となっているかもしれない今、中身を見るのが怖かった。だが、受け取らなければいつまでもハヤブサはここにいる。戻ってこなければ、不審に思われてしまう。


 仕方なく手紙を受け取る。薄水色の封筒にギルド証。間違いなくララの所属する商業ギルドだ。おそるおそる、その場で封を開けた。


「――えっ」


 険しかったララの顔が、一瞬で間抜けな表情になる。それからすぐに眉を寄せ、最後まで読み切ると、レターボックスから便箋を取り出し、何事か急いで書き連ねた。そうして封をし、ハヤブサの足に括りつける。


「こちらを、お願いしますね」


 ハヤブサはすぐに飛び立った。ララはそろそろとソファに座り、もう一度、改めて手紙を見た。


「オイ。ナニが アッタ」


 気になるのか、エルも覗き込んでくる。だが彼は人間の文字を読めない。


「ララ」

「あの……わたしたち、すっかりお尋ね者になっていると思っていたんですが……」


 ララは困ったように笑い、頬を掻く。


「どうも、わたしは被害者で、灰色のレインコートを着た何者かにさらわれたことになっているみたいです」

 

 エルは一瞬きょとんとした。


「ソレ、オレ……」

「はい。エルのことです。エルだけが悪者で、わたしは被害者になっているそうですよ」

 

「ナンダ、ソレ」とふてくされるだろうかと思ったが、違った。エルはほっとしたように表情を緩め、

「ソウ か。ヨカッタ」とつぶやいた。心底安堵した声だった。


「怒らないんですか」

「ララ、旅、デキナク ナッタら 困ル。オレ、顔 見ラレテ ナイ」

「それは……そうですけど」

「オレ、元モト 追ワレテ ル。変ワラナイ」


 それをきいて、一気に複雑な心地になった。


「……手紙は、わたしの所属するギルドからでした。わたしがさらわれたと連絡が入り、安否確認のために寄越したそうです。大丈夫だ、車で逃げた、と書いて返しました」

「ソウか」

「きっと、警備隊からまた事情聴取の呼びかけがかかると思いますけど……もう、しばらくは王都に行きたくないですねえ」

「服、イいノカ」

「よくないですけど……お洋服は、無理して王都で買わなくてもいいですから」


 キリアの憎しみに満ちた顔を思い出しかけて、ぶんぶん首を振って追い出す。

 もう、過去に縛られたくない。


「しばらく、どこか遠くに行きましょうか。事情聴取なんて、必ず行かなくちゃいけないわけじゃないですし」

「イイ、のカ」

「トラウマで、もう二度と近づきたくないですって送り返しますよ」


 ララはそう言って、にっこり笑った。


「さて。そうと決まれば、この森からも退散しましょうか。次は王都から離れて……そうですね、北の方へ行くというのはどうでしょう」

「キタ……?」

「方位ですよ。地図で言えば、王都の上の方に広がる地帯です。今まで辿ってきた道のりとはまた違う景色が見られるはずですよ」

「行ク」


 エルの金色の瞳がきらりと輝く。


「早ク」

「その前に」


 ララは立ち上がり、いたずらっぽい顔でキッチンに立った。赤いグリップのホットプレスを手に取り振り返る。


「軽く腹ごしらえをしませんか。朝からなんにも、食べてないでしょう?」

「ケケッ……!」


 はっとしたようにエルが口を閉じる。両翼で口を押さえ、顔を赤らめた。


「うん……?」

「チ、チガ……っ、今ノ ハ」


 エルが言葉に慣れるのは、まだまだ先のことになりそうだ。

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少女ララは自作の魔動車でのんびり車中泊ライフ(したかった)〜正体不明のもふもふ鳥もどきを拾ってしまいました〜 シュリ @12sumire35

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