第23話 ふたりがたどり着いたもの

 生まれて十五年余りを人間の手によって奪われ、その魔の手から必死に逃げてきたエル。たったひとりで生きようと心に決め、孤独への意地と、相反する渇望を抱え続けていたララ。


 短い間には違いないが、ふたりで寝食を共にする生活は、その心にどれほどの影響を及ぼしただろう。


「エル。わたしも、あなたといっしょに行きたいです」


 彼を固くだきしめたまま、震える声で囁きかける。


「本当は、最初から最後まで、ひとり旅のつもりでした。誰かを乗せることがあっても、それは一時的な出会いであって、必ずどこかで降ろさなければならない。それでいい、それがいいと、ずっと思っていました。でも……」


 暁の空に溶け込みながら去っていった、マリーとその家族を思い出す。彼女と過ごした、にぎやかで穏やかな生活。手に残された空っぽの籠。

 

 エルのいない旅路はどうだっただろう。ひとりで眠る感覚も、ひとりでご飯を食べる感覚も、少しずつ忘れられようとしていた。それは恐ろしくもあり――希望でもあった。自分の価値観が打ち壊されようとしていることを、心のどこかで喜んでいた。


「わたし、まだまだ行ってないところがあるんです。地図だって、今でもまだ未完成で、この世界には、解明されていない場所がたくさんあって……」


 明国ルーメグランデ領だけではない。獣人の治める宵国エクエス・テッラも、鳥人の棲まう皇国カルディアントも、まだまだ人類が到達していない場所を山ほどもっている。一生かけてもすべてを網羅できないであろう、たくさんの景色が眠っているに違いないのだ。


「ダッタラ、ソコニ 行キタイ」


 エルが顔を上げる。金雲母のごとくきらめく瞳をララに注ぐ。

 その瞳の輝きをすべて受け入れるように、ララもまた、見つめ返した。この特別な、形のない感情は、なんなのだろう。


***


「キリア、キリア! どうしたの、何があったの?」


 暗い路地裏の奥深く。王都警備隊の制服を着た男女がふたり、気を失っている。男は筋骨たくましい体を壁にのめりこませているし、女は地面に倒れ、失禁している。

 肩を揺さぶられているうちに、キリアの眼も少しずつ焦点が合ってきた。やがて、はっと気がついたようにがばりと身を起こすと、「ディン……副部長」とつぶやく。


「ああ、よかった。気がついたのね」ディンはほっとしたように息をつき、「市民から通報があったの。いったい何があったの? 事件? 暴漢に襲われでもしたの?」と矢継ぎ早に訊ねる。


 暴漢、ときいて、キリアの顔からたちまち血の気が引いていった。がくがくとひざが震えだす。


「あ、あの、お、襲われたんです……」

「だれに⁉」

「あ、あの、あたし、昔の同期を見かけて……それで……」


 そのとき、彼女の瞳に一瞬、強い恐怖が揺らいだ。「同期? だれなの?」と訊ねられ、答えようと口を開いたものの、何かを思い出したようにぎくりと固まり、蒼白な顔で押し黙ってしまった。


「キリア? どうしたの、何をされたの?」

「あ、あ……あの、昔の同期に、声を、かけようとしたら……と、突然、襲われて」

「だれに? どんな姿だったか、覚えてる?」

「わ、わかりません……灰色のレインコートで、見えなくて」


 口にした途端に恐ろしい記憶が甦ったのか、キリアは再び泡を吹いて気を失ってしまった。


「灰色の、レインコート……?」


 ディンが剣呑な表情で繰り返す。


「まさか……」



「ったくよお、ベガのやつ、何しに王都に来たのか忘れちまったのかよ」

「彼女はショッピング狂だからね、まあ、こうなることは予想していたよ」


 王都の街並みを歩く、戦士ローマンと神官ヘスス。ふたりは、王都に入るや否や「ああーーーーっ新作アイテムチェックしなくちゃあああああああ」と叫び爆走してしまったベガに置き去りにされ、途方に暮れているところだった。


「このまままっすぐ行けばファッション街だから、おのずと見つかると思うよ」

「つーか、もうベガ抜きで報告行きゃいいんじゃね? 大した成果もねえしよお」

「成果が得られなかったからこそ、三人そろって行った方がいいと思うよ。今後の作戦の練り直しもあるし」

「ちっ、めんどくせえなあ」


 ぶつくさつぶやきながら歩いているうちに、通りには若い女性が増えてきた。ファッション街に入ったのだ。さらに進むとカラフルな店舗やきらきらしいショーウィンドウが視界いっぱいに広がり、男ふたりは一瞬、眩暈を起こしそうになる。


「くそー、おいベガ! ベガあ! ……どこにいんだよあいつ。いつまでもこんなところにいたら、全身に蕁麻疹が出らあ」

「ははは。蕁麻疹ならすぐに治してあげるよ」

「そういう問題じゃねえだろ。……うん?」


 ふいにローマンの視線が遠く前方に注がれる。


「おいヘスス」

「ああ。何か人だかりが見えるね」

「まさかベガのやつ、なんかトラブったんじゃねえだろうな」

「あの気の強さだから、あり得ると思ってしまうところが怖いな」


 ベガだろうか、そうでないことを祈りたい――ふたりでそう言い合いながら人だかりを目指して進みだす。するとすぐにヘススが立ち止まり、その場にしゃがみこんだ。


「ローマン」

 

 深刻な声で呼びかける。


「なんだ、金でも落ちてたか?」

「いや。……」


 ローマンは訝しげに近寄って、ヘススを見下ろす。そして、彼の足もとにあったものを見るや否や、「おわっ!」とのけ反った。


「マジかよ! これ、あれか? 例のやつと同じか?」


 急いでポケットに手を突っ込む。森で拾った黒い羽根を取り出して、地面にそっと置きならべた。

 落ちていたものは、同じく黒い羽根だった。しっとりと滑らかでつややかな、漆黒の羽根。それも、抜けたばかりで根元が赤い。


「例の鳥、王都に来てんのか……⁉」

「いや、それはおかしいな。あんなに小さくて、たいして飛べる翼も持たない鳥が、ここまでの距離をひとりで来られるとは思えない」


 ヘススが難しい表情で顎に手を当てる。


「それこそ、誰かが運んできたとしか……」

「誰かって誰だよ。んな奴いるかっての。鳥っつってもよ、顔はあれだぜ? 人面鳥だぜ? 誰が好き好んで拾うかって」

「実際、いるじゃないか。依頼主が」

「……そうだけどよお」


 考えれば考えるほどにこんがらがり、「ああーっくそ、とにかくベガ! ベガをさがしてくるぜ」とローマンはどこかに散ってしまった。その間も、ヘススはひとりで考えこむ。


 このとき、彼の頭の中には、なぜかひとりの幼い少女の姿が浮かんでいた。薄桃色の髪を持ち、奇妙な車でたったひとり、旅する少女……


『いろいろ思い返してみたんですけど、見なかったと思います』――あのとき彼女はそう言った。真顔で、淡々と。嘘をついているようには見えなかった。だが、果たして、ほんとうにそうなのだろうか?


 黙って首を振り、鞄のなかから小ぶりの麻袋を取り出して、今しがた拾った黒い羽根を収めた。そうしていつも通り、消毒薬を両手にめいっぱいかけてすり込む。


 ――さて、ギルドにどこまで報告すればいいものだろうか……

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