第22話 ララ

「ララねえちゃん、ありがとう」「ララ姉さん、お人よしすぎ」

「まあララ、急によそよそしい口調になって。どうしたの? 先生に言ってごらん」

「ララったら、あたしや弟たちにもずっと敬語なのよ。なんだか遠慮しちゃうわ」


 そんな言葉をきくたび、胸がぎゅっと苦しかった。幼いうちにさんざん泣き腫らしたので、涙は出なかった。

 孤児院で育つ間ずっと、自分はこの世界のだれにも望まれていない存在なのだという強い痛心があった。十四歳になった今も、の考えは一度たりとも覆ったことがない。




 誰にも迷惑をかけたくなくて、十歳になってすぐに院を出た。王都へ向かい、国立のギルド受付官養成所に飛び込んだ。お金をかけずに勉強できる上、一定の成績を収めていれば寮に入れるからだ。そうして少しでもはやく自立できるようにと努力に努力を重ねて必死に這い上がり、飛び級までしてギルド受付官の見習いになった。


 見習いになると、実際にギルド受付カウンターに入り、受付官のそばで仕事を学ぶことができる。見習いランクではあるが時給も発生していた。ようやく自分なりの生き方を見つけられたのだと、当時は毎日張り切っていた。朝から晩まで働き、その日のことを毎晩振り返り、早く一人前になりたい一心で定期試験に向けて励んでいたのだ。


 ララはその遠慮がちな性格もあいまって、同期たちから「優しい」と評判だった。「優しい」「成績優秀」「頼りになる」「みんなが嫌がる用事も進んでやってくれる」と、誰にきいてもララを褒めただろう。だが、その状況を気に入らない者たちもいた。それが、同期のなかで飛びぬけてすぐれた容姿を持つソーニャだった。


 ソーニャはもともと成績優秀者で、ララが来るまでは常にトップを誇っていた。だから飛び級で見習いに上がってきた年下のララをはじめから疎んでいた。その本心をうまく押し隠し、表面上ではララを褒め、頼りにしている風を装い、水面下では着々と計画を進めていたのだ。ララを陥れ、自分が首位に立ち、はやく見習いを卒業するために。


『先生、ララが試験で不正行為をしています』


 冬の定期試験が終わってすぐ、ソーニャは立ち上がってそう告げた。


『ララは見習いのほかに、空き時間でアルバイトもしています。その給金を試験官に渡して回答を得ていたんです』


 もちろんそんな事実はなかった。見習い業が終わったあとは深夜まで酒場の給仕をやっていたが、その給金は手を付けずに将来に向けて貯めこんでいたのだ。

 しかしソーニャも人望が厚く、飛び級でやってきたララを認めたくない者たちに特に支持されていた。そのなかにはキリアもいた。


 何かの間違いだとララは必死に訴えた。事実確認が行われたが、なんと試験官をやっていた者が賄賂を受け取ったことを認めたのだ。嘘だ、ぜんぶ嘘だ――ララは最後まで潔白を訴え続けたが、聞き入れられなかった。それほどまでにララの答案は完璧だったのだ。


 試験官の偽の自白も、なにもかもすべてソーニャの差し金なのか。今となっては調べるすべなどない。


 ララは見習いを剥奪され、それまでに得た成績や見習いとしての実績をすべて白紙にされた。追われるように寮を出て、ララはふらふらと王都のなかをさまよった。


 どうして? 自分のなにがいけなかったのだろう。――そう、すべてがいけなかった。うぬぼれていた。養成所での生活を楽しんでしまった。見習いとして働く日々にやりがいや楽しみを見出してしまっていた。自分にそんな価値などないと、今までさんざん自分に言い聞かせてきたはずなのに。


 きっとこれは、天罰なのだ。価値のない自分が、人生に価値を見出してしまった、罰。




 貯めていた給金をつかい、王都はずれの安宿を渡り歩くようになった。当時十二歳。あと五年すれば成人し、強制的にどこかのギルドに所属しなければならなくなる。それまでになんとか、身の丈にあった生き方を考えなければ……


 同じ孤児院出身の兄、ヒューゴがたずねてきたのは、片田舎の安宿に住み込みで掃除のアルバイトをしているときだった。


「行くあてがないなら、魔動具職人にならないか? 商業ギルドに推薦してやるからさ」


 彼は養成所でのララの顛末について知っているふうだった。だがそのことについては触れず、孤児院時代と変わらない明るさでそう誘ってくれたのだ。

 またとない機会だった。だからこそ、ララは断った。期待してはいけない。うぬぼれてはいけない。楽しそうだ、などと考えてはいけない……そんなララの心のうちを見透かしたようにヒューゴは続ける。


「ララは確か、無属性の魔導石を作れたよな。俺の職場で魔導石を作ってくれてた魔導士が、お腹大きくなったんで辞めちゃってさ。急いで代わりを探してるんだけど、俺、ララが一番適任だと思ってさ。どうだ?」


 ララのために、ではない。あくまでも、「自分がララの能力を欲しているから」という体で彼は誘い続けてくれた。その言葉が、かたくなだったララの心を動かした。


 ほどなくして、ララは商業ギルドに身分を登録し、ヒューゴの職場に世話になった。下宿し、雑用を手伝い、魔導石をつくった。魔動具の設計に合わせて規格どおりにつくるのは難しい作業だったが、練習を重ねるうちに難なくできるようになっていた。最終的には雑用しながら片手間でも生み出せるようになった。


 ヒューゴも、親方も、親方夫人も、他の従業員たちも、みんなララの能力に感謝してくれた。木のささくれに擦りむいても文句を言わず、掃除もゴミ出しも率先してやってくれるララを毎日褒めてくれた。夜、ベッドで寝付くときにみんなの言葉を思い出して、かみしめるように喜んでしまう自分がいた。養成所で深く傷つけられた心が、少しずつ癒されていった……


 だが、嬉しければ嬉しいほど、感謝が募るほど、張り切ってしまう。楽しいと、感じてしまう。

 みんなは自分とは違う人間なのに。自分より価値がある人たちと同じように楽しんでいいのだろうか。喜んでいいのだろうか。これはうぬぼれではないか? また不幸なことに見舞われはしないだろうか?


 そう考えると恐ろしくて、眠れなかった。この、あたたかく優しい生活を手放す羽目になるかもしれないという不安がずっと付きまとうようになった。


 そんなある日、廃車になった魔動車が一台、工場こうばに運び込まれてきた。


 魔動車はすべてオーダーメイド品だ。一度廃棄されれば、エンジン部を新品に取り換えたとしても乗りたがる者などだれもいない。基本的には解体され、部品だけがばらばらに再利用される。ヒューゴたちも「お宝の山だぜ」と張り切って解体準備に取り掛かっていた。


 魔導石をつくりながら、ララはぼんやりとその様子を眺めていた。この魔動車は王都で乗り合いに使われていたもので、個人が所有するサイズの倍以上の大きさだった。アクセルとブレーキのペダル、操舵輪を横倒しにしたようなハンドルのついた御者台。その後ろの荷台に取り付けられた四角い部屋にはぎっしりと座席が並べられ、乗客が座れるようになっている。

 壁の一部が取り払われ、座席がすべて運びだされていく。だんだん空っぽになっていく車内の様相をぼんやり見つめるララの瞳に、ふとある映像イメージが舞い込んだ。


 四角く広い部屋。その端にソファとテーブルが現れる。その向かい側にはキッチンがあり、隣には洗面台、奥にはベッドもついている……そうだ、お風呂は? お風呂を置くスペースはさすがにない。いや、床下だ。荷物入れになっている床下を改造して浴槽をとりつければいいのだ。……


 頭の中で、空っぽになった部屋のなかを好き勝手に改造していた。その自由な想像はあまりに素敵で、手元の魔導石生成に失敗するほど夢中になってしまっていた。


 だって、基本的な衣食住ができて、どこへでも行ける車だ。自分だけの世界だ。誰ともかかわらず、誰に迷惑をかけることもなく暮らすことができる。なんて理想的な生活なのだろう。もしそんなことが叶うなら、どれほど幸せなことだろう……


 廃車を見つめるララはただならぬ目をしていたのかもしれない。その変化にいち早く気づいたのはヒューゴだった。彼は本格的な解体に取り掛かる直前、ララを手招いた。


「これ、ほしいのか?」


 開口一番、彼はそう訊ねた。まただ。兄はすべて見透している――わかったうえで、確かめてくれているのだ。ララは包み隠さず、本音を打ち明けた。


「魔動車の中にお家をつくることって、できますか?」


 魔動車を欲しがっている、という意思は読めても、そこで暮らしたいことまではさすがに想像していなかったらしい。ヒューゴはひどく驚いていた。当然だろう、今までそんなことを考えて実践した者などいないのだから。


「うーん、どうだかなあ。ま、やってみるか!」


 ヒューゴは膝を叩き、なんと「試してみよう」と言い出したのだ。慌てて「あの、兄さんにはお仕事がありますし、わたしの勝手なわがままですから、どうか何も……」と止めかけたが、


「いいのいいの。俺が興味あるの。だってさララ、ほんとにできたらすごいと思わないか? 新商品だぞ。世界一周できる魔動車なんて、世界中の金持ちが欲しがるだろ。それに、定住先を持たないっていう新しいライフスタイルは革新的だ。歴史が動くぞ。俺たち、歴史を動かせるかもしれない!」


 世界一周、なんて言葉が出てくるのにも驚いた。確かに、ララの思い描く車なら可能かもしれない。


 それからヒューゴは従業員たちだけにこっそり打ち明け、魔動車を解体するふりをして森の奥深くへ密かに運び込んだ。ララは兄とふたりで、夜な夜な改造計画に取り掛かっていた。


「まかせとけ。俺の今までの職人人生をかけて、知識と経験をフル回転させてやるからさ」


 実際そのとおりで、彼の魔動具の知識は車改造に大いに役立った。車内に収まるコンパクトさと機能面が両立したキッチンなど、市場にないので一から設計しなければならない。限られたスペースのなかで効率よく家具をおさめ、必要最低限ながらも様々な役割が果たせるように配置する家具選びも重要だ。ララもヒューゴも寝る間を惜しんで頭をひねり、ああでもないこうでもないと、図面に書き込んでは消し、実際に家具を試しては取り外しを繰り返した。そうしてついに完成したとき、廃車に目を付けてから半年が経過しようとしていた。


「おいララ、さっそく動かしてみてくれよ!」


 興奮を抑えきれず、やや早口でせっつくヒューゴ。ララも期待に満ちた表情で御者台に乗りこむ。元々のベースが乗り合い魔動車だったため、椅子が高くペダルがやや遠いが、これから背が伸びるだろうということで合格となった。ララの魔導石を埋め込んだエンジンは問題なく稼働し、試乗用に決めていた道を端から端まで走ることができた。


「すげえ! すげえよ! 本当に完成したぞ! 走らせたけど車内はどこも異常なし……収納も飛び出したりしてないな。いやあすげえな! 俺もほしいくらいだ!」


 感動と達成感のあまり涙を流して叫ぶ。ララも頬を紅潮させていた。


 だがそこで、親方と夫人が従業員を引き連れてやってきた。真っ青な顔で硬直するふたりをよそに車を見上げ、「おお、これが例の……」などとつぶやいている。従業員たちはヒューゴとララから目を背け、気まずそうにしていた。


「ふたりとも、なにを神妙な顔になっとる。何か悪さでもしたのか?」

「い、いや、だってさ……」

「初めにこれを発案したのはララなんだろ。こいつらから聞いたぞ。あのララがようやくやりたいことを見つけて、夢中になっているとな。いや、大いに喜ばしいことだ」


 親方は顎髭を撫でながら目を細めていた。元が厳めしい顔なので判別しがたいが、珍しく笑顔である。


「だがなあ、本来なら解体して、うちの魔動製品に再利用するはずだったもんを勝手に使われたってのは、いただけねえなあ。それ相応の責任をとってもらわにゃ、うちが損する。そうだろ?」

「じ、じゃあ、俺の給金で償う! 俺の取り分から差っ引いてくれ。それで返済する。それでいいだろ?」

「兄さん! ――いえ、親方さま、わたしから! わたしの分からお願いします。兄さんは何も悪くないんです。全部、わたしの我儘で……」

「話は最後まで聴かんか馬鹿もんが! いいか、もちろん責任はきっちりとってもらう。ララ、おまえ、これに乗れ」


 ララもヒューゴも、従業員たちも、目を丸くして親方を見た。


「乗って、できるだけたくさん走れ。使え。そんで、定期的にこっちに報告しろ。乗り心地、メンテナンスの頻度、部品の劣化速度と状態……乗り続けねえとわからねえような改善点も、あれば報告してくれ。そうだな、月一くらいで寄越してくれりゃあそれでいい。万一ぶっ壊れたら、壊れた原因をちゃんと調べてからこっちにもってこい」


「お、親方さま、それではなんの罰にも……」


「罰? 馬鹿野郎、俺は責任をとれって言ってんだ。貴重な部品を使った分、きっちり新商品のデータをとれって言ってんだよ。そうすりゃ商品化できるかどうかも検討できるし、できそうになけりゃ、車じゃなく、中で使ってる旅用品について改良すりゃいい。おまえにその仕事をやらせるってんだ。体を張れって言ってんだ。わかったか? 文句はあるか?」


 文句など、あるはずもなかった。むしろ願ってもいないことだった。

 だが、本来だれにも関わらずに生きたいという願いから始まったことだったのに。結局、兄や従業員たちに迷惑をかけて、今もこうして、親方に背中を押されている。


「いいか、これは仕事なんだからよ、ちゃんと実際に使う客目線でいろよ。意味、わかるか?」


 ララは涙で滲んだ目をしばたたかせる。


「お客様の気持ちに立ってということですか……?」

「あー、そりゃいつもおまえらに言ってることだが、それの強化版だ。客は乗りたくて車を買うだろ。で、実際乗れたら、どんな気持ちになるんだ?」

「それは……楽しいと思います。嬉しくて、わくわくして、これからの旅生活に期待して……」

「そうだ。おまえもそういう気持ちになれ。そんで初めて実のある報告になる」


 はっと息を呑む。そのまま呼吸を忘れそうになった。膝から下がくずおれそうな心地がした。


 楽しんでもいい? 喜んでもいい? うぬぼれではなく? 身の丈にあわない願望ではなく……?


 ――いや、これは仕事だ。勝手に部品を使ってしまった責任を取るのだ。




 それからララは工場こうばを抜け、旅に出た。もう従業員でなくなる代わりに、業務委託として車のデータを月一で報告する。その分の対価は支払われる。


 去り際、ヒューゴは最後にこう言った。


「親方、ずっとおまえのこと、気にしてたんだよな。生きてるのに死んだみたいな目してるって。俺も正直同感だった。でも、初めて車が完成して、御者台に乗ってハンドル握ったとき、死んでた目が生き返ったんだよ。めちゃくちゃキラキラしてた。俺、すげえ嬉しかったんだ。だからさ、ほんと、責任とか考えなくていいからさ。自由に生きてくれよ、ララ」


 自由。


 その言葉は、ララのなかで、まるで布団の下に挟まれた豆粒のように違和感を残した。


 自分は棄てられた子供で、本来なら生きているはずはなくて、周囲の人間よりスタートラインが何週も何週も遅れている、それくらい価値のない人間だ。みんなが楽しんでいることを楽しんではいけないと思っていた。みんなより苦労して当たり前、みんなが人生を楽しむための礎になるべき存在なのだと。

 二年たった今も、その価値観は変わらない。だけど、楽しめと言われた。自由に旅をしろと言われた。それがみんなの役にたつのだと……


 ふたつの相反する考えに板挟みになりながら、ララは今日まで生きてきた。自立し、ひとりきりで、誰にも迷惑をかけない生活。生まれてからずっと望んできた生き方ができている。同時に、その一人旅を楽しみ、前の職場に報告することも忘れない。矛盾している。その矛盾に気づかないふりをして、今まで生きていた。


***


 ララは今、生まれて初めて自分以外の存在を腕に抱き、守りたいと切望していた。一方的に守るばかりでなく、守られたいとも、思っている。自分にすがりつく異種族の命が、かけがえなく思えている。共に生きたいと願っている……


 ずっと胸のうちにあった矛盾と向き合うときが、きたのかもしれない。

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