第21話 エル

 すぐに行動を起こしたのが功を奏したのだろうか。幸いにも、門番にはまだ何も連絡が入っていなかったようで、ララはすんなりと城門をくぐることができた。

 跳ね橋を通過し、大河を望む道に出る。それでもまだ安心はできないので、とにかく来た道を引き返そうと森を目指した。空は、端の方がわずかに赤みがかっている。


 やがて王都の東に広がる森林地帯に入り、少しばかり奥の方へ車を進めると停車した。双眼鏡を手に取り、辺りの様子を確認する。鳥や虫の鳴き声、草木のざわめく音は聞こえるが、獣の声や人の気配は感じられない。

 ララはほっと息をついて、御者台を降りた。


 後ろの部屋では、人型のエルがソファに座っていた。フードを脱ぎ、自分の黒い前髪を不思議そうな顔でいじっている。わかっていたことなのに、改めて見るとその光景に違和感を覚えて仕方がない。


 ララは黙って向かい側のソファに腰を下ろした。エルが顔を上げる。


「ココ、ハ」

「とりあえず、来た道を引き返しました。ここへ来るまでの間、森がずっと続いていましたよね。そこに戻ったんです」


 エルは「ダカラ、か」とつぶやいて、唐突にレインコートのボタンをぷちぷちと外しはじめた。


「な、なにしてるんですか」

「暑イ」

「た、確かに森なのでちょっとじめじめしてますけど……で、でも、だからっていきなり」

「キュウクツ」


 あれよあれよとコートがはだけていく。小さな鳥だった頃は何とも思わなかったのに、人型になると目のやり場にこまるのは、なぜだろう。思わず両手で目を覆いつつ、なんとなく指の隙間を開けてしまう。そうしてコートを脱いだ彼の姿に、ララはぎょっと目を剥いた。無意識に手を下ろして、まじまじと見てしまう。


 透き通るように白く、ほっそりとした首。そこから肩、胸となだらかな線が続いているのだが、徐々に黒い羽毛が生えている。肩から下は腕ではなく、明らかに翼の形をしていた。

 もしかして、とララはテーブルの下を覗き込んだ。向かい側に見える足は、人のものではなく、鋭い鉤爪の光る三趾足さんしそくだった。街ではコートの裾に紛れてよくわからなかったが、やはり、彼はあの鳥なのだと思い知らされる。


 エルは居心地の悪そうな顔をして、もぞもぞと足を組みかえた。


「ジロジロ、見るナ」

「ご、ごめんなさい」


 顔を赤らめ、慌てて居住まいをただす。目の前にいるのはあの鳥だとわかっているのに、なんだか現実味がなくて、接し方に迷ってしまう。脳裏には小さな鳥との思い出が次々と甦っていた。一緒に食事、一緒に散歩、一緒に眠る……一緒に、風呂。


「あ、ああっ」


 一瞬で顔から火が出そうなほど真っ赤になり、ララは両手で頬をおさえた。


「あ、あ……」

「ナニ」

「え、エル……あなた、その……男の子、なんですね」


 エルは眉をよせ、きょとんと首をかしげた。


「見レバ、ワカる」

「も、もっと早く、言ってください! だって、わたし……!」

「隠シてナイ。言葉ガ 通じナカッタ」

「ですが! その……べ、ベッドに入ってきたり、お、お風呂だって、一緒に……!」


 エルは困惑顔でこちらを見つめるばかり。ララの言葉の意味が本気でわかっていないらしい。


「ララの、ベッド 落チ着ク。風呂ハ、ララが 無理ヤリ、入レタ」


 そうだった。ララは初め、嫌がるエルを抱きかかえて強制的に風呂に入れてやったのだ。以来、エルは風呂の時間を気に入って、何も言わずとも自ら桶に入ってくれていた。昨日だって、だらしない顔で桶の上にひっくり返っていたのだ。


 ぷすぷすと湯気まで吹き出そうになっているララだったが、きょとん顔のエルを見ているうちにだんだん冷静になってきた。彼にはわからないのだ。人類にとって性別の違うものとくっついたり裸を見られることがどんな意味を持つのかなど。それも無理からぬこと、彼は異種族の生き物なのだから。


「は、話を戻しますが」


 ララは咳払いしてソファに居直った。


「わたしの魔導石を呑み込んだと言ってましたけど……どうしてそんなことになったんですか? 万一のことがあるから大事にしてくださいと、あれほど言ったじゃないですか」


「ワカッテル。大事に、シテタ」


 エルがうつむく。


 エルは言葉を話すのに四苦八苦しており、聞き取りづらいことも多かったが、こちらから質問したり推測したりして事の顛末をなんとか聞き出した。内容を整理するとこういうことだ。


 出かけたララを待つ間、エルはおとなしくベッドの中に潜んでいた。いつ冒険者たちがやってくるかわからないし、万一やってきたらすぐに撃退できるよう、身構えつつ息を潜めていたという。


 ララのいない車のなかはひどく静かで、なんだか落ち着かなかった。だから、胸に下げていた魔導石を触ったり眺めたりしていた。そうするうちに、だんだんと胸のうちがざわつくような感じを覚えた。このことについてはエルもわけがわかっていないらしく、しどろもどろでララも聞き取りに時間がかかったが、要するに「何かイヤな予感がひしひしと高まり、じっとしていられなくなった」らしい。

 胸のざわつきは、魔導石に触れていると感じるものだった。体を離せば感じない。


 この魔導石はララが生み出したものだ。……もしや、ララに何かあったのではないか?


 ばかばかしい。なんの根拠もない、第六感ともいいがたい、ただの妄想だ……そう思い、ベッドの上でもぞもぞと足を動かしながら気持ちをごまかしていたが、胸の内の違和感はどんどん増していく。


 もしも本当に、ララに危険が迫っているのだとしたら? だれにも助けを求められず、ひとり苦しんでいるのだとしたら?


 巨鳥に襲われ、川のなかで全身ずぶぬれになっていたララの姿が脳裏をよぎった。あのとき、もしも自分が気づかなければ、彼女は確実に死んでいた。

 ララを助けられるのは自分だけなのだ。


「俺ノ チカラ、たブん、コレのせい」と、エルが自分の腹を指す。

「モトモト、あンなチカラ 持っテ ナカッタ。ララの石、着ケテカラ」


「今まで見せてくださった、あの強力なキック技は……石のおかげだというんですか?」


「初メテ、石ヲ モラッタ時、チカラ 湧ク感ジガ しタ」


 エルは、たどたどしくも懸命に続ける。


「ダカラ、石 使えバ、モット 強ク、なレル と思ッタ」


 身に着けているだけで、力が湧く不思議な石。それなら、いっそ呑み込んでしまえば、もっと強力な力を得られるのではないか?

 ここは王都、自分を追う冒険者たちと遭遇する危険がある、とララは言っていた。だからといって、ララの危険をみすみす無視するわけにはいかない。魔導石を呑み込み強くなれるなら、冒険者たちだって蹴散らすこともできるはずだ。……


「迷ッタ、ケド、迷わナカッタ。ララ、居なくナッタラ 困ル」


 ララからは、石を大事に扱えと再三、言われていた。万が一、力が漏れだしたら困ると。だから、噛み砕かないように慎重に、一口で丸呑みした。喉を通り過ぎる瞬間は痛くて苦しくて涙さえ浮かんだが、するりと通り抜けた途端、まるで何事もなかったように、なんの感覚もなくなったという。石の重みと硬さで、お腹に違和感ができるものと覚悟していたのに。


 だが、間もなくして変化が訪れた。なんだか体がむずむずする。エルは本能の赴くままにベッドの上で足を伸ばした。――文字通り、脚が伸びた。むくむくと長く太く、成長していく。翼、胸、首……あらゆるところがむずむずとエルを促し、エルは驚きと恐怖でベッドから転がり落ちた。そのあとも、ひたすら床の上を転がり這いつくばって体の変化に耐えた。気がついた時にはすべてが終わっていた。


「ララに、ずっト 言いタカッタ」

 エルが翼を広げてみせる。「俺ハ、赤子 ジャナイ」

「えっあっ……」一瞬遅れて、ララはうなずいた。「そう……みたい、ですね」

「コレが、たブん、本当ノ 俺」


 線の細い、ガラス細工のように繊細な美しい顔立ちと、雄々しく立派な鳥の翼。両方を併せ持つその姿こそが、真のエルだというのか。


「おいくつ、なんですか」

「ナニが」

「歳です。生まれて何年経ったのかです」

「ハッキリ ワカラナイ。デモ、ララよリ 上」

「う、上……?」

「囚ワレてイタ 間、周リノ 人間ガ、数エテタ。たブん、十五ネン」

「十五⁉」


 一つ上ではないか。いや、囚われの間、と彼は言った。厳密にはそれ以上ということか。


「あの……囚われって、つまり、だれかに捕まっていたということですよね」


 ララは以前から、エルが酔狂で悪質なコレクターの手によって未発見のモンスターとして連れ去られ、囚われていたのではないかと推測していた。そこを彼が脱走したので、冒険者に依頼して、今も必死に探させているのだと。

 その考えを聞いたエルは、金色の眼をわずかに見開いた。


「ダイタイ 合っテル」

「ほんとうですか」

「目的ハ よくワカラナイ。俺ノコト 常に、色ンナ人間ガ 見ニ来テイタ」

「檻に、入れられていたとか……?」

「檻、は チガウ」エルは苦々しい顔になる。「俺ハ、腹ノ中ニ イタ」

「腹……の……?」


 理解が追いつかず、オウム返しに繰り返す。「なんの……?」


「母オヤの」


 母親の、お腹の中。――胎の、なか。


「お母さんごと捕まって、……閉じ込められていたんですか?」

「違ウ。母オヤの腹ゴト、俺ヲ取リ出シタ。俺ノ 入ッテタ袋ヲ、透明ニしテ、外カラ俺ガ 見エルようニ シタ」


 ――母親の、胎ごと切り離し、透明に加工した。中の胎児の姿を観察するために。


 血の気が引く思いだった。絶句だった。想像するだけで吐き気がした。


「なんて……なんて、恐ろしい、ひどい、ことを……」


「俺ヲ、『メズラシイ』と、言ッテイタ。『ゼンレイ ニ ナイ』『シンシュ』『ケンキュウ ヲ イソグ』と」

「それを、十五年も……? だれですか、そんな、狂気の沙汰を……だれが、そんなことを!」

「ワカラナイ」


 エルは暗い顔で首を振る。


「逃げタイ。ソレダケ ダッタ。必死ダッタ。アルとき、袋カラ、水 漏レテいた。誰ヨリモ、俺ガ 早ク見ツケタ。穴ヲ破ッテ 走ッタ。ずっと、走ッタ。細イ管ヲ 見ツケテ、無理ヤリ通ッタ――」


 おそらく研究排水か何かの通り道だったのだろう。その中をエルは夢中で這い進んだ。脇目も振らず、無我夢中で地上へ這い出して、周囲を囲んでいた森へ飛び込んだ。


 道にもならない道をひたすら走り続けた。母の腹の緒から流れる栄養だけで生きていたから、空腹の満たし方がわからなかった。そのうち、本能的に湧水を飲み、地面に落ちた枯葉や乾燥した木の実を口にするようになった。

 どこまで逃げたかわからないほど走り続けて、心身ともにくたびれていたとき、自分を追う冒険者たちに遭遇してしまった。彼らはエルを見るなり追いかけてきた。また逃走の日々が始まった。どうしてこんな目に遭わなければならないのか、自分がいったい何をしたのか――


 最後まで聞き終わらぬうちに、ララは立ち上がっていた。身を乗り出しテーブルに膝をついて、腕を広げる。気がつけばエルは、温かな腕の中にいた。


「ララ……ナニ……」


 ぐしぐしと鼻をすする音。ぽたぽたと、頭に生温かな水滴が落ちる。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 ララはぐちゃぐちゃの顔ですすり泣いた。


「つらいのは、あなたなのに……お話、聞いてたら、頭が、胸のなかが、いっぱいで……」


 感情がひどくこんがらがっている。エルと初めて会ったときのことを思い出していた。片翼が折れ、脚を痛々しくと腫らしてよたよたと転がってきた、ぼろぼろの小さな黒い鳥。

 

 エルを身ごもっていた母親を連れ去り、あるいはその場で殺して、胎ごとエルを見世物にした誰か――ゆるせない、猛烈な怒り――同時に、十五年も胎内に閉じ込められ、苦しめられ、やっとの思いで脱走したのに今もなお追われ続けている現実に、胸が張り裂けそうな気持ちを覚える。


 わけがわからない感情のまま、エルを強く抱きしめていた。そうするほかに、何もできなかった。これはただの自己満足だ。こうすることで彼を慰めようとか、そんな意図すらなかった。ただ想像して、嘆き、怒り、悲しんでいるだけだった。


 だがそれは、エルにとって初めての、「救いの手」だった。

 ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、息苦しい。この息苦しさが、エルには嬉しかった。生まれて初めて、誰かに、自分のすべてを受け入れられた気がした。


「ララ」


 エルが静かにつぶやく。「俺ヲ、故郷ニ、返ス、と言ッタナ」


「はい」

「アレは、モウ、イい」

「……え?」

「故郷ナンテ、ナイ。俺ハ 母を、知ラナイ。俺ガ何モノなのカ モ、知ラナイ」


 はっと、ララの腕がこわばる。

 そうだ。エルについて、おおざっぱに「モンスターだ」と判断し、「鳥獣種には帰巣本能があるから」いつかたどり着けるに違いないと、根拠もない考えを持っていた。

 彼が何者なのか、彼自身さえわからないというのに。


「ダカラと言ッテ ココデ 降ろシテくれト ハ、言ワナイ。俺ヲ、旅ニ 連レテいってホシイ」


 腕の中の声は、ララの全身にしがみつくように必死だった。苦しげに、心の底の本音を訴えていた。


「ワガママ ダ。ワカッテル。だカら、ララに 危険ガ ナイ ヨウニスル。俺ヲ守ルナ。俺のコトハ、俺ガ守ル。自分デ隠れル。ララのコトモ、俺ガ守ル」


 喘ぐように、吐き出される言葉。気づかぬうちにララの背には柔らかな黒い翼がまとわりついていた。抱きしめているつもりが、いつの間にか抱きしめられている。


「ララの旅ヲ、邪魔 シナイ。ララの行キタイところ、ドコデモ 行ク」

「……邪魔だなんて」


 ララはさらに、腕の力を強めた。

 生まれつき、残酷な仕打ちを受けてきたエル。家族から切り離され、人間の欲望のままに、むごたらしい方法で得体のしれない研究をされてきたエル。ひとりで必死に逃げまどい、ここまでたどり着いたエル……


 望まれずに生まれ、棄てられたララの孤独と、似ても似つかないのにどこか重なり合うところがあった。

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