あーあぁ、

ninjin

第1話

「あーあぁ、あーあ・・・」

 その光景を目にしてしまうと、「あ」しか出てこない。

 そう、出掛ける前、確かに僕は呟いたさ、『嗚呼、猫の手も借りたい!』って。

 でもさ、それはものの例えであって、『それくらい忙しい!』『だから、君の相手をしている暇は、悪いけど、今は勘弁』って、そういうことだったのだけどなぁ・・・。

 然も、誤解を恐れずに言えば、実際に声に出して僕が口にした言葉は『猫の手も・・・』だった筈だよ。

 もし、君が本当に、僕の言った言葉の意味が分かっていたならさ、こんなことにはならなかったと思うんだ。

 今日はさ、一月前に付き合い始めたばかりの、美由紀ちゃんがさ・・・、初めて僕の部屋に・・・


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 いかんいかん。

 彼女のこと、それから今日これから起こってしまうかもしれない、を、想像し、妄想してしまった。

 頭に血が上り、頬が火照って、のぼせて鼻血が出そうだ。


 冷静にならなくちゃ。


 僕は慌てて部屋の壁掛け時計に目を遣る。

 午後三時三十八分。

 あと一時間ちょっとで、恐らく彼女はやって来る。


 いや、僕にも悪いところはあったよ、それは理解している。

 だって今日は休みだったのだから、ちゃんと午前中から起き出してさ、それなりに時間をとって準備をすれば良かったし、何なら、さっき芳香剤を買いに近所のホームセンターに行ったのも、昨日のうちに済ませておけば良かったことではあるのだけどね。


 そう、それに、君のことを怒る気は更々ないのだよ。

 だってある意味、君のお蔭で。

 そう、そうなんだ。彼女が『君に会いたいっ💕』って、そういうことだからさぁ。


 さっき芳香剤が切れかかっているのに気付いて、慌てて芳香剤を買いにホームセンターに出掛ける前、僕は部屋のテーブルに積まれた漫画本を本棚に整理して、ベッドのシーツを直し、床にクイックルワイパーを掛け、AV機器とPCの埃をハンディWAVEで拭き取った。

 部屋の中は、まぁこんなものか。

 あとはベランダに掛けっぱなしの洗濯物を取り込み、畳んでタンスに仕舞うのと、キッチンのレンジ回り、シンクを拭き上げるだけだった。(今日は美由紀ちゃんが、夕飯の準備をしてくれることになっていた)


 それなのに、それなのに・・・。

 机の上のペン立てはひっくり返り、床のゴミ箱は蓋が外れ、ベッドのシーツはくちゃくちゃだ。

 君をひとり残して、出掛けるべきではなかったよ。


 うん、知っているよ。

 君は僕のことを手伝ってくれたつもりなんだよね?



 僕は確かに『猫の手も借りたい!』、そう言ったさ。それは君も聴いていただろう。


 でもさ、でもだよ、


 君は、豆柴、犬じゃないか・・・。


 豆柴の小太郎が、ハンディWAVEを咥えて、嬉しそうに尻尾を振って、僕を見上げていた。

 



              おしまい

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あーあぁ、 ninjin @airumika

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