猫の手は、誰よりも・なによりも強く早く、そして聡くて

fujimiya(藤宮彩貴)

震えて怯えるだけなら誰にでもできる

 新緑薫る、五月。

 明るい青天の下、今日は私の高校で体育祭が行われている。生徒たちの笑顔が輝き、クラスTシャツが存在を主張している。我がクラスは黄色。目に眩しい。


 私は運動部でもないし、そもそもスポーツは得意ではないので、出場するのはごくごく平凡な団体競技がほとんどだった。不満はない。むしろ、自分が足を引っ張ってしまうのではないかと内心ビクビクしている。なるべく早く、無事に終わってほしい。


 体育祭はクラス対抗戦。


 ひとつ、特に困ったなと思う競技があった。


『借り物競走』。


 走るのが遅い私にはうってつけの競技なのだろうけれど、どんな『借り物』が飛び出すのか不安に包まれている。


 おかしな『モノ』を当てちゃったらどうしよう……。

 たまにおかしなモノが指定されると聞く。クラスメイトは後方支援で絶対協力すると確約してくれたとはいえ、それでも手に入らないモノに当たってしまったら?


 すべては運である。


 借り物競争のスタートラインに立つ五人の戦士。とはいえ、どの生徒もおっとしていて穏やかそう。いかにも借り物競走に出るしかないねって面々だった。

 それでも、私はよーいドンの合図と共に懸命に走った。手を振ると早く走れると習ったものの、遅い遅い遅い。


 それでも私は三番目に、借り物が書かれているくじ引きにたどり着けた。

 距離にして百メートルもなかったのに、すでに息が上がっている。


 選んでいるヒマはない。

 くじ箱の中から勢いよく、えいっと一枚の紙を引っ張り出す。

 どうか、おかしなモノに当たりませんように!


 震える手で、内容を確認する。そっと。そーっと、薄目で。


『猫の手』


 その文字列を目にした次の瞬間、私は白い紙を閉じた。


 なんかの冗談?

 ここ、普通の都立高校なんだけど。ペット科もないしトリマー科もないし。


「北條さん! なにが当たったの?」


 茫然と立ち尽くしている私に、クラスメイトが声をかけてくれた。

 私――北條柚ほうじょうゆずは紙を広げつつ、半泣きの顔を向ける。


「猫」

「ネコ?」

「……の手」


「孫の手じゃないよね」

「ねこ」

「ぬいぐるみでもいいのかな」


 あたりをきょろきょろ見渡す。ここは高校のグラウンド。私物は教室かロッカーの中にしまってあった。クラス全員が自分のポケットを探ったり、声を掛け合ってくれている。


「ネコ好きいる?」

「猫のキーホルダーとかない?」

「ねこのて……」


 どうしよう。競走を降参とか棄権ってできるのかな。私はパニック寸前だった。猫がキライになりそう。


「俺、やるよ猫の手」


 背の高い男子が、手を挙げながらクラス席より立ち上がった。

 バスケット部のさわやか男子。勉強もできるので人気がある。名前を白川虎太朗という。しらかわこたろう……ん、こたろう……『虎』……とら……トラ……。


 あ、ネコか! ネコ科!!


「コタロー、ナイス!」

「猫いた!」

「猫確保」


 クラスの、特に女子が虎太朗くんの周りを取り囲んだ。


「手をそれっぽくしてくれる? 肉球っていうのかな、アレをつけてくれたら北條さんとゴールまで走るし」


 立候補した時点で虎太朗くんは覚悟を決めているようだった。


「か、顔! ヒゲ書いていい? 美術部、よろしく」

「あと猫耳が必須でしょ。ハンカチをつなげて作ろう」

「Tシャツが黄色でトラっぽいから、いいね!」


 女子たちはそのへんに置いてあった備品のビニールテープや私物を使い、虎太朗くんを数分で猫に変身させた。


「行こう、北條さん」


 差し出された手は、猫の手だった。


 美少年なはずの虎太朗くんは、ハンカチで作った即席の猫耳を乗せ、両頬には立派な三本ヒゲを油性ペンで書き込まれ、両手は色画用紙を丸めた肉球な猫手を装着させられている。

 身体にもカラーのガムテープでトラ柄が施され、ネコ科動物と化している。


 す、すごすぎ……私はことばを失いそうになった。


「北條さん?」


 虎太朗くんの声で我に返る。


「わ! ごめん、よろしくお願いします」

「こっちこそ」


 頭を下げた。あとでもう一度謝ろう。てか、顔の油性ペンは落ちるのかしらと思いつつ、私はクラス席にも声をかける。


「みんな、ありがとう!!」


 怖かった。でも、勇気をもらった。


「がんばって、ゆず」

「ゆず、走れ!」

「勝てるよ! 勝つ・勝とう・勝つとき・勝てば……」


 大きな声援が返ってきた。私、引っ込み思案でクラスになじめてなかったから、よけいに嬉しかった。


「走るよ」


 ネコに変身した虎太朗くんは、肉球の手で私の手を握った。さらなる大歓声がほかのクラスの席からも上がった。

 恥ずかしいやら楽しいやら、私は残りのトラックを走る。あと半周。

 ほかの学年のクラス席の前も通る。虎太朗くんはバスケ部の先輩にも笑われていたのに、必死で私を励ましてゴールまで引っ張って行ってくれた。


 噓みたい。

 私は一位でゴールした。ゴールテープを切ったことなんて生まれて初めて。テープは私の体に、一瞬しゅるっと吸い込まれるようになりながら地面へとゆっくりと落ちた。不思議な感覚だった。


「ありがとう、虎太朗くん」

「みんなのおかげだよ。北條さんも最後までがんばったじゃん」


 応援の声が、拍手に変わった。

 虎太朗くんは晴天に向かって右の肉球を掲げた。


「黄色チーム、優勝するぞ!!」


 ***


 猫の手を借りた結果、私は借り物競走で人生初の一等賞を獲った。

 私のクラス……黄色チームも優勝できたことも記しておこう。


 その日の夕方、体育祭の打ち上げがとても盛り上がったことも付け足しておく。


 いちばんの話題はやっぱり、『猫の手』。ゴシゴシこすって落とそうとしたようだけれど、さすがは油性ペン、虎太朗くんの三本ヒゲは少し薄くなっただけで頬にくっきり残ってしまった。なのに虎太朗くんは笑顔で写真を撮りまくっている。


 私は虎太朗くんの隣に座り、炭酸飲料を飲む。

 ここは、輪の中心だった。


 普段なら目立たない隅っこで会が早く終わることを祈るか、不参加を決めるのに、今日はいつまでも皆と話していたい気持ちだった。

 慣れない場所に戸惑いながらも、私は相槌を打ち、懸命に会話に参加し、驚き、一緒に笑った。



(了)

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猫の手は、誰よりも・なによりも強く早く、そして聡くて fujimiya(藤宮彩貴) @fujimiya

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