北部の危機、カミラの演説!

" アメリカ連邦軍最高司令官ウェブスター将軍の最初の妻が、スペイン領東インド解放運動家であることが露見

ロンドン、1863年7月20日 — 「デイリー・グラフィック」紙より


アメリカ合衆国連邦軍北軍の最高司令官ウェブスター将軍の最初の妻が、スペイン領東インド※で解放運動過激派テロリストとして活動していることが明らかになった。

カミラ・ウェブスター嬢の母親にあたる旧ジャスミン・ウェブスター(現在 ジャスミン・オンザヒル丘の上のジャスミン)はスペイン領東インドで活動している人物で、当地のインディオ先住民と共に植民地主義に反旗を翻す過激派だという。………"


(※) 現在のフィリピン




 ウェブスター将軍が直々に指揮をし、辛うじて反乱軍南軍を撃退した悲惨極まるゲティスバーグの戦いと同日、エナペーイがミシシッピ州のヴィックスバーグの戦いで勇敢な活躍を見せ、ついに少将の位に昇進した。戦の中で彼が見せた冷静な判断と果敢な行動はまさに英雄的で、彼が成し遂げた勝利は戦局を有利に進めるための転換点となった。


 ヴィックスバーグに関する文章を読み終えたカミラが、最初にその記事を見つけたのはアニーが食事の準備をしている最中だった。

 テーブルの隅に置かれた「デイリー・グラフィック」紙が目に入ったカミラは、その記事を手に取った。


 彼女の視線が一行一行を追うにつれて、最初は驚きが浮かんだが、すぐにその表情は固まり、眉を美しくひそめた。


「アニー、これを見てちょうだい」

 カミラが静かに言った。


 アニーが振り返ると、カミラは新聞を持っていた。

 記事に書かれた内容を読み進めた瞬間、アニーの心臓は速く打ち、息が詰まるような感覚に襲われた。


「何、これ?」


 ウェブスター将軍の名前が悪意を込めて取り上げられ、アニーの義理の母ジャスミンの過去が暴露され貶められている。


「何これ……!」

 アニーの激しい怒りに、カミラの瞳がわずかに揺れたがすぐに表情を引き締めた。その冷静さが、アニーの苛立ちをさらに刺激した。


「これ、絶対マグワイアが仕組んだんだよ。私、あいつのこと初対面から嫌いだった!」


 カミラは頷いた。驚いたことに、アニーの当てずっぽうに近い言葉をカミラは否定しなかった。


「もちろん、南軍のスパイやイギリスが干渉する口実としてこの記事を載せた可能性はある。他にも色々考えられるわ。けれどあの男の性質や南軍での立場を考えると、あなたが言う通りマグワイアが関わっている可能性は高いと私も思う」

 カミラは新聞の文章を指さした。

「この記事の内容、お父さまの机にあった極秘の報告書と一致している部分があるわ。マグワイアはその報告書にアクセスできた立場よ」

 ワシントンD.C.に逃亡した直後、ほんの一時だがカミラはウェブスター将軍の秘書のように働いていた。

「じゃあやっぱり! マグワイアが」

アニーの声が高まる。

「でも、彼が狙っているのは単に私たちを傷つけることじゃない。この国全体を揺るがせるつもりなのよ」


 アニーはその言葉にハッとして口を閉じた。


 新聞記事の暴露はただのゴシップではなく、国の存亡に関わる問題だった。奴隷解放宣言で欧州列強の干渉を遠ざけることに成功していた北軍にとって、ジャスミンの過去を利用した今回の記事は、再び欧州を南部側に引き寄せる絶好の口実になり得る。マグワイアの暗躍がその背景にあるのは明白だった。


「どうしよう」

 アニーは声を絞り出した。先ほどの怒りは急激に萎んでいた。

「ジャスミンお義母さまに、こんなひどいことを言うようなやつらにどうやって対抗すればいいの? 私たちに何ができるの」


 アニーはゲティスバーグで、自分たちを守るために人に銃を向けさえした。そのことに後悔はなく、むしろ誇らしくすら感じる。

 それなのに、今のアニーは無力だった。


 カミラは少しだけ微笑んだ。

「止められるかは分からない。でもあなたを見習って、できるだけあがいてみるわ」

 その笑顔には、どこか覚悟が滲んでいた。


 その日の午後、二人はウェブスター将軍の執務室を訪れた。

 将軍の眉間には深い皺が刻まれ、机の上には同じ「デイリー・グラフィック」紙が広げられていた。


「アニー、カミラ」

 父の声はいつもより低く、険しかった。

「君たちもこの記事を見ただろう。何が起きているか分かるか?」


 アニーは答える代わりに、カミラを見た。彼女は一歩前に出て、将軍と向き合った。


「お父さま、これはただの偶然じゃありません。誰かが意図的にこの情報を流しました。マグワイアの仕業だと私は考えております」


将軍は目を細めた。

「その可能性は高いが、確証がない。しかもこれで外交問題が悪化すれば、我々の軍事的立場にも影響が出る」


カミラは力強く頷いた。

「だからこそ、私たちは動くべきです。お父さま、この問題を解決するために協力させてください」


アニーはその場で思わず叫びそうになった。

「カミラ、そんな無茶な!」

 だが、彼女の声を遮るように将軍が低く言った。


「分かった。だが、私の命令には絶対に従うことだ」


 将軍が低く声を発した後、しばしの静寂が部屋を支配した。

 アニーの胸が不安で高鳴った。カミラの言葉に導かれていく道の先に何が待ち受けているのか、予測できず心が掻き乱れていた。

 ただ一つ分かっていたのは、カミラと自分がまた新たな戦場に足を踏み入れたことだった。


 ウェブスター将軍の言葉を受けて、カミラはすぐに行動を起こした。数日後、アメリカ中の新聞社から集められた記者たちが広間に並んだ。数十人もの目がカミラを注ぎ、会場は一瞬で緊張に包まれた。


 カミラが深呼吸をし、静かに立ち上がるのを見守りながら、アニーは胸の中で不安が広がっていくのを感じた。記者たちの目が一斉にカミラに注がれ、会場に張り詰めた静けさが漂った。

 アニーはその空気の中で、カミラがこれから何を言い、何を成し遂げようとしているのかを想像しようとしたが、その先に待つものは見当もつかなかった。


「皆様、お集まりいただき心より感謝申し上げます。カミラ・ウェブスターと申します」

 カミラの声は落ち着きがありながらも美しく響き渡った。


 記者たちのペンが動く音、カミラの声が静かに響く音、それらすべてが遠く感じられ、アニーの心臓の音だけが大きく響いていた。


「私の母ジャスミンは、スペイン領東インドでの平和活動に身を投じています」


 カミラが言葉を続けた。


「現在、一部の報道では、母が過激なテロリストであるとされています。ですがそれは事実に反します。母が求めているのは、武力や分断ではなく、話し合いと共存の道です。例えば、母は現地の先住民とスペイン側の自治官との間で直接対話の場を設け、双方が合意のもとに新たな協定を結ぶことに成功しました。それは、小さくとも未来を拓く第一歩でした」

 記者たちのメモを取る音が会場中に響き渡る。

「母はかつて手紙で私にこう語っていました。『共に繁栄する世界を築くには、まず人々の間の不信を取り除かなければならない。力ではなく理解を。戦争ではなく共生を』と。母は信じています。スペインと新たな関係を築き、共に歩んでいけるということを!」


 カミラの目は、会場の記者たちをしっかりと見据えていた。


「私たちがここに立ち、連邦北部が掲げる奴隷解放宣言を支持する理由も、まさにこの信念に基づいています。この戦いは全ての人が自立しながら共存し、そして力を合わせることによって、新たな未来を築くためのものです」


 記者たちが一斉に顔をあげた。


「そして、ここにいる多くの皆様が知っているように、私の婚約者であるエナペーイ・トールチーフ大佐もまた同じ信念のもとに戦っており、先住民族解放運動に人生を捧げています。トールチーフ大佐の目指す未来も、異なる文化と信念を持つ人々が互いに学び合い、支え合いながら生きる世界です」


 その言葉に会場の空気が変わった。カミラの言葉は力強く、正義の名のもとに響いていた。


「母の願いも、トールチーフ大佐の志も、私自身の信念も、すべて同じところに向かっています。それは、この国だけでなく、世界全体が平和で繁栄する未来を築くことです。今の私たちに必要なのは、母を非難する声ではなく、母のように希望を持ち行動する力です。どうか皆様、ジャスミンという一人の女性が求める平和と共生の未来を、共に信じ、共に進んでいきましょう」


 カミラが演説を終えると、しばしの静けさが会場を包み込んだ。アニーはその場に立ち尽くし、周囲の記者たちの様子に目を向けた。彼らの顔には、何か言葉にできない感動が漂っていた。皆が、カミラの言葉の一つ一つを噛み締めるように静かに黙っていた。


 アニーはその光景を見て、胸が熱くなるのを感じた。カミラが言っていることがただの演説ではないことが、記者たちの反応からも伝わってきた。彼らが感じているのは、カミラの言葉がただの政治的な発言を超えて、真実から発せられた力強いメッセージだということだった。


 アニーの心に、誇りが溢れた。しかし、それと同時に、ほんの少しの羨望も感じた。カミラのように、こんなにも人々の心に響く言葉を放つことができるのだろうか。自分にはまだそんな力がないように思えた。しかし、アニーはすぐにその気持ちを押し込めた。今はカミラの輝きを見守ることこそが、自分の役目だと心に誓った。


 きっと、いい風に変わっていく!


 はたしてその後に報道が広まり、ジャスミン・オンザヒルの評価は驚くべき速さで変わっていった。彼女の活動が「過激派」から、「平和主義の先駆者」として評価されるようになった。

 ジャスミンが追求しているのは異なる文化や信念を持つ人々が共に歩む未来。欧州の植民地主義を推進しようとする勢力とは裏腹に、このことが広く理解されたことで、北部は国際的な支持を集め危機を脱することができた。


 だが、その成功が全てを順風満帆に進めたわけではない。スペイン政府にさらに目をつけられるようになったジャスミンとは、未だ連絡すら取れずにいる。

 そしてアニーはマグワイアのことを思い出し、少し顔をしかめた。彼の計画が完全に裏目に出たことを知っていたからだ。ジャスミンの過去を暴露することによって、彼は北部とその国際的な支持を揺るがそうとした。しかし予想に反して、その策略は逆効果となり奴隷解放宣言の信念がますます強く支持される結果となった。


 マグワイアはそのことを、決して許すことはないだろう。彼の中で怒りと恨みがますます深まるばかりということを、アニーは深く感じ取った。


 そうしてジャスミンの過去を巡る騒動は、カミラの機転によって一旦の収束を見せたが、内戦の火種は消えることなく燃え続けていた。そんな中、9月にエナペーイが束の間の休息を得てカミラたちの下宿先を訪れ、またケイドもクリスマスの翌日に突然現れた。

 一年ぶりの再会はどちらも短く、若い恋人たちの心を完全に満たすには程遠いものであったが、それでもその密かな触れ合いは次なる試練に立ち向かうための力となった。


 その試練は、南軍の傷病兵たちと向き合い戦争の後始末を担うという形で訪れた。


 ゲティスバーグの戦いから1年9ヶ月後の1865年4月、南部バージニア州にある仮設病院。その場所では塩素ガスによって深く傷ついた南軍兵士たちが、薄暗い空間の中で苦しみ続けていた。北部による化学兵器使用の噂は、たとえ実情と異なろうと、南軍兵士たちに根強い恨みを植え付けていた。


 あの酷い内戦はついに終わりを告げようとしていた。だがその爪痕は深く刻まれ、アニーの目の前には平和への道を切り開くために越えなければならない新たな戦いが広がっていた。

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