兵隊さんたちのとこ行くの、めっちゃ楽しい!
アニーは毎日ウキウキしていた。
各地の病院に訪問することはとても楽しい。汽車に乗って重要人物みたいに護衛されながら現地に向かい、そしてたどり着いた病院ではアニーたちの顔を見ると兵士たちが大歓声をあげる。
彼らの瞳には紛れもない憧憬があり、自分たちが顔を出すことで他の誰かが笑顔になるというのはなんとも嬉しいことだった。
私たちが可愛いからかな?
そう考えた直後に、自分たちの婚約者の存在をすぐにアニーは思い出した。そういえばケイドとエナペーイさんは北軍の兵士にすごい人気だったんだっけ、と彼らのアニーたちに対する熱狂ぶりの真の理由に思い当たった。
今日も病院には、彼女たちを待ちわびる兵士たちが集まっていた。二人が現れると歓声が沸き起こり、その場の空気は一瞬にして変わった。
「皆さん、こんにちは!」
アニーは笑顔を浮かべ周囲の兵士たちに向かって歩み寄った。イケメンもたくさんいる!
「ここでの生活は大変でしょう? 私たちが少しでも皆さんの元気の源になれたら嬉しいです」
アニーの調子に乗った言動は、その場の人間に好意的に受け止められた。
そもそもアニーのようなまだ幼いと言っていいほど年若い少女が、戦場にほど近い場所を訪れるという勇敢さに皆が感動していたのだ。
「お嬢さま方、本当によく来てくださった」
「こちらこそいつも私たちを守ってくださって、本当にありがとうございます! 皆さんがいるからこそ、私たちは安心して暮らせるんです」
アニーは一人の兵士の手を優しく握り、視線を周囲に向けた。
兵士たちの生活や戦闘の様子について尋ねる。兵士たちは、彼女たちに自分の話をすることを嬉しそうに語り、一瞬でも心の重荷を下ろすことができた、と笑った。
アニーとカミラは兵士たちにとっての希望の象徴で、出会えたことで戦場での孤独感が和らいだ、と彼らは何度も繰り返し二人に伝えたのだった。
そんな「戦場の天使たち」の安全と心身の健康を確保するため、裏で多くの者が身を粉にしながら苦心しているということにアニーは気づかなかった。
無論それは彼女たちが与える様々な影響と天秤にかけられた結果によるものではあったが、カミラが彼らへの心配りを忘れなかったため、二人に対する反感もそれほど大きなものとはならなかった。
そうして活動を続ける中、カミラは
「フローレンス・ナイチンゲールの、クリミア戦争負傷兵死亡率の統計」だの、「死体粒子(※1)」だの、「さらし粉(※2)」だの、なんかよくわかんないんだよね。相変わらず難しいことが好きだな、カミラって。
※1 ハンガリー産婦人科医ゼンメルワイスが1847年に助産師による分娩の産褥熱による死亡率が2〜3%ほどだったのに対し、手術後の医師によるそれが実に13%にも登ることに着目。医療手術をした医師たちについた死体粒子が、出産後の女性たちの産褥熱の原因となっているとゼンメルワイスは説いた。彼の死後、死体粒子の正体である細菌がコッホらによって発見された。
※2. 消石灰(水酸化カルシウム)に塩素を吸収させて製造される漂白剤で、1799年イギリスのC・テナントにより発明された。カルキ、クロロカルキ、クロロ石灰ともいう。ゼンメルワイスが手術後の医師が妊産婦の検診に向かう前にさらし粉溶液で手を洗うことを徹底させたところ、産褥熱による死亡率が13%から2%に激変した。
「兵隊さんたちが病気にならないためには、戦地で清潔に過ごすこと、日々の清掃が何よりも大事だということよ、アニーちゃん」
「なんだ、それなら誰にでもできそうですね」
アニーの言葉に全員が苦笑した。
「それがそうでもないのよ。私たちや委員会の医師たちの提案を、戦地の将軍たちは現場の状況を全く理解していない、と鼻で笑って相手にしてくれないの。そんな女々しいことをいちいちしていられるか、ですって」
「ワシントンD.C.やフィラデルフィア(※)なんかの総合病院はまだいいの。私たちが介入できるもの。問題は前線の野戦病院や特にキャンプよ」
※ペンシルベニア州の州都。ペンシルベニア州はアメリカ合衆国において最も歴史のある州の一つであり、フィラデルフィアは、独立宣言や合衆国憲法が立案された場所でもあるため、アメリカ合衆国発祥の地と呼ばれることもある。
アニーに手渡された
"キャンプでの衛生状態確保への取り組み
清潔な水の供給: 安全な飲料水の供給を確保するための井戸や水源の管理を推進する
排水管理: キャンプ内の排水システムを整備し、汚水の適切な処理を行うこと
宿舎の衛生管理: 兵士たちが生活するテントや宿舎の定期的な清掃や消毒を行い、害虫の発生を防ぐための対策を講じること
健康的な生活習慣: 手洗いや体の清潔を保つこと"
「確かにこれは将軍たち、めんどくさがりそう」
パンフレットを見ただけで目がチカチカしそうだ。軍隊の習慣と違う行動を推奨する文面に、彼らが反発するのも無理もなかった。
「じゃあ、あなたはどうすればいいと思って?」
カミラが問いかける。
「んー、私がみんなに『ちゃんと毎日お着替えしてね!』って直接伝えるとか」
アニーが何の気も無しに発した言葉に、カミラがさっと顔色を変える。
なんか変なことを言ったかな、そう考えて周囲を見渡すと、その場にいた委員たちは身を乗り出してアニーとカミラを見つめていた。瞳を奇妙なほどに輝かせながら。
こうして、「アメリカ市民の
ワシントンD.C.やアレキサンドリア(※)の病院ならともかく、アニーを危険な戦場に行かせるわけにはいかない。そう強く反発するカミラとウェブスター将軍をよそに、あれよあれよという間に話が進み。
自分一人ならば前線にも出向くと涙ながらに訴えるカミラに、この役割は明るい人柄のアニーの方に任せたい、という衛生委員会の強硬な要請を受けたリンカーン大統領からの正式な依頼が、二人のもとに届いたのは1862年8月のことだった。
※ アメリカ合衆国バージニア州北部にある独立市。アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.の南10㎞に位置し、ポトマック川の西岸に面している。1861年から1865年まで南北戦争時は北部連邦軍に占領され、
「カミラ嬢、お二人のことは連邦政府の名誉にかけて兵士たちがお守りします。大船に乗ったつもりでいてください」
汽車に向かう前にリンカーン大統領の元へ向かった二人に、大統領が握手を求めた。
「……ええ、全幅の信頼をお寄せいたしますわ」
「アニー、君にもなんてお礼を言えばいいのかわからないよ」
「大丈夫です。私、男の子になりたいって思ったことがあるんです。勇敢な兵隊さんになったつもりでがんばります!」
「頼もしいね。君を心から誇りに思う」
リンカーン大統領に頭を撫でられ、得意げに微笑むアニーを見つめるカミラの眼差しは複雑そうで。それがアニーには不思議だった。
二人の慰問は広報活動も兼ねているようだった。護衛兵たちと共に新聞記者やカメラマンもそばにつき、なぜか一行は救急列車に乗せられて出発した。
負傷兵の効率的な治療や輸送を行うための革新的な手段として、戦場から病院へと速やかに移送する役割を果たすため、救急列車は日々運行している。
空の救急列車に一行が乗り込み、負傷兵を拾ってワシントンD.C.や各地の病院に降ろすという寸法のようだ。
その車両にはベッドや医療機器が備えられ、医師や看護師が同乗して応急処置が行えるように設計されている。また、医療スタッフが車内で治療を続けられるよう工夫されているため、長距離の輸送にも対応できるそうだ。
一列車につきなんと百名以上の搬送を可能とし、可動式担架も装備されている。
「少し変わった旅行してるみたい!」
最新式の設備を見たアニーのテンションはグングンとあがり、興奮気味に窓の外を眺めていると。
カミラがアニーのそばに寄り、ぎゅっと抱きしめた。
「私があなたを守ってあげる」
カミラがぽつりと呟いた言葉に、首を傾けたアニーだった。
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