エナペーイさんとダコタ族

「ケイドの言う通りだね」

 ウェブスター将軍の声に、アニーは振り返る。

「君は軍人になるべきだ。政治家はともかく法律家には向いていない」

 エナペーイもウェブスター将軍の方に顔を向けた。

「ケイドとエナペーイは同じ種類の人間だよ。自分の考える正義を貫くためには、法やルールを破ることも厭わない。そんな人間が、法に携わる資格はないと私は思う」


 エナペーイさんたちが、法律を破る?そんな、バカな。

 一瞬アニーはそう考えたが、エナペーイの顔は真剣だった。


「え……、カミラ」

 アニーが思わずカミラに状況を問いかけるように話しかけると、カミラはアニーの手をきゅっと握りしめた。


「……俺たちが奴隷解放運動に関わっていたことをご存知だったのですか」


 奴隷解放運動。それはこの間のように演説をする程度のことではなく、逃亡奴隷をかくまうという、れっきとした法律違反行為ということだろうか。

 なんて、大胆不敵な。アニーは二人の恐れを知らない勇気におののいた。


「ああ、知ってたよ。だが例え正義だろうと、いや、そうであればこそ、法律を志す者はこそこそと動くのではなく堂々と声をあげて異を唱えるべきだったのではないか。それができないのであれば法という侵しがたい領域を踏みにじることとなると私は思う」

「あなたがおっしゃることは俺も何度も考えた。だが俺が見捨てた瞬間、目の前の者は死ぬ! そんな状況で、法の正義とは何か。この世に普遍的正義が存在するとしたら、目の前で命の危機にさらされる人間を、自分の命をかけて守ること。そう考えて行動したまでです」

「エナペーイ、それが軍人の心だ。お前はここにいる誰よりも、軍人の心を持っている」


 ウェブスター将軍の言葉に部屋が静まりかえった。


「騎士道精神、あるいは軍人の心。呼び方は様々だが、大切な人たちが生きるこの合衆国を守るという思い。それこそが私の後任に求める資質なんだ」

「そうして、その資質は俺にもあると将軍は考えてくださっている」


 ケイドがエナペーイの手を取った。


「だが俺は自己中心的で、物事を深く考えることも苦手だ。そしてお前が世の中を根本から変えるためには、俺というサラブレッドの上に立つ必要があると思う。エナペーイ、お前ならば少し訓練さえすればウェブスター将軍同様、今後の連邦軍の舵取りも可能だ」 

 ケイドの手を外したエナペーイは、深いため息をついた。


「将軍は俺に何を望むのですか」


「ミネソタ州に行ってくれ。今あそこでは、まさに暴動が起きようとしている。命を守るというのならば、先住民族たちをお前の力で守れ! 」


 エナペーイはすっと指をやり、自分の耳に触れた。そこには銀とターコイズのイヤリングが今日も煌めいていた。


「お前が今動いているように外側から彼らを守ろうとしても、もうどうにもならない。インディアン管理局を連邦軍の名のもと統制管理するのだ。それができるのは、ミネソタ州のダコタ族と深いつながりを持つお前を置いて他にいない」


 ふっ、とエナペーイが口端を歪めるような笑みを浮かべた。


「結局はそれだ。どんなに甘言を弄しても、あなたにとって俺は使い勝手のいいインディアンでしかない!」

「お前の恩人であるダコタ族を守れるのだぞ!?」


 白熱した空気におびえたアニーは、思わずカミラにしがみついた。アニーの様子に気がついたカミラは、無言でアニーの頬に優しく触れ、少しだけ目を伏せる。どこか遠くを見つめるその瞳は、ほんの一瞬揺れるように見えた。静かな恥じらいと、困惑が入り混じった表情を浮かべているようだった。


「エナペーイさんは少年の頃、義理のご両親のもとから家出してウィスコンシン州からミネソタ州まで川で下ったそうよ。その際、彼を保護したのがダコタ族の方々で、彼らは連邦政府の不手際で餓える直前だったにもかかわらず、冬の食事を分け与えてくださったんですって」


「それで俺は、インディアン管理局を半ば脅してウィスコンシンにいた父へ連絡を取り、父はすぐに地元に呼びかけて食料を集めダコタ族に送り届けました。アニーさん、自分たちが今にも飢えるその時に、縁もゆかりもない子供に無償で食料を譲る、これが正義でなくてなんだと思いますか!? そんな彼らが、今なお飢えで苦しんでいる。カミラさんは政府の不手際と言ったが、それはあまりに優しすぎる言い方だ」


 エナペーイの言葉に、カミラがふと下を向いた。その仕草には、わずかに顔を赤らめ、自分を責めるような気持ちが滲み出ていた。


 アニーはその姿を見つめながら、心の中で感じた思いを口にする。


「でも、私……確かにエナペーイさんにしかできない仕事なような気がする。インディアン……先住民族の人たちも、エナペーイさんしか信用しないんじゃないかな」


一つの民族を武力でなぶり倒す。アメリカ市民が彼らの土地を奪い取って栄えてきたことを思えば、その意図はおのずと明らかだった。

 アニーは、心の中で自分が愛する国の歴史に対する矛盾を感じた。


 その時、カミラの表情がわずかに変わる。それは驚きでも怒りでもなく、ただ静かな誇りがこみ上げてきたような、そんな表情だった。そうしてだんだんと浮かんだ微笑みを見た。涙を浮かべながら、彼女はアニーを誇りに思っているという気持ちが伝わってきた。


「アニー……」


カミラの声がかすかに震えていた。アニーはその目に映る姉の笑顔に心が温かくなるのを感じた。


正しさこそ私たちの武器となるright makes might、でしょ? エナペーイさん」

「……条件があります」


 そして、ついにエナペーイが折れたことを実感したアニーは、胸の奥から込み上げる喜びを抑えきれなかった。自分がエナペーイに影響を与えたこと、そして姉を失うのではなく、愛する人と素晴らしい兄を手に入れることができたことが、心から嬉しかった。


「カミラさんと婚約をさせてください」


「構わない。むしろ望むところだ」


 ウェブスター将軍はあっさりと頷いた。


「私が最高司令官であるうちに婚約をしてくれれば、お前を引き上げる理由にもなる。まずは大佐からだ。あとはミネソタ州で手柄を立ててもらう必要がある」


 カミラはその言葉を聞くと、勢いよくウェブスター将軍の元へ駆け寄り、力強く抱きついた。


「……お父さま、ありがとう!」


 カミラは嬉しさに満ちた顔で何度も何度も将軍の頬にキスをした。その様子を見守るアニーは、心の中で静かな幸福感を感じていた。隣に立つチャールストン少将と、エナペーイの姿を見つめながら、アニーはふと、手を伸ばして二人を両腕で抱き寄せた。


「これからきっと、私たちみんなに幸せが待っているわね」


 アニーの心は温かく満たされていった。どんな困難も乗り越え、これから一緒に歩んでいける喜びが、アニーを包み込んでいた。







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 その後、アニーたちの預かり知らぬことではあったが。

 連邦陸軍大佐となったエナペーイは、北軍の一連隊を率いることとなった。同時に彼は南軍捕虜を利用することを提案し、リンカーン大統領ならびにウェブスター将軍から同意を得るとすぐに各地の捕虜収容キャンプと連絡を取った。


 北軍ならびに南軍の収容所は悲惨の一言ではすまされない状況だった。ともに捕虜たちは不衛生さからくる病気や管理不行き届きによる飢えで骨と皮までに痩せ細り、腹部だけが奇妙に膨れ上がるという状態までに追い詰められた者も数えきれないほど存在した。


 その中でも、比較的状態がよい捕虜をターゲットとしたエナペーイたちは、捕虜たちに以下を伝えた。


①ミネソタ州のインディアン管理局へ向かうため、北軍連隊とともに南軍の捕虜を同行させたいということ。

②北軍と連邦に敵対しないという書面に署名すること。ただし忠誠の誓いpledge of allegianceではなくあくまで中立の立場であるということを誓うという、破格の待遇を約束するということ。

③インディアン対策へ駆り出されるということ。

④最長4年間(ただし、戦争が長引けば延長の可能性あり)の奉仕活動で釈放されるということ。

※なお、食事面などの待遇は北軍と同様の扱いとする。


 各地の収容所はエナペーイの案を歓迎し、特にリンカーン大統領とも縁の深いイリノイ州にあるキャンプダグラスでは南軍の捕虜の扱いと数ヶ月後に迫る冬支度に苦慮していたとのことで、両手を挙げて賛同したそうである。

 なにより、収容所で飢えに苦しんでいた捕虜たちは「忠誠の誓いを求めない」という項目に惹かれたのかそれなりの数が応募し、エナペーイは目的の人数を無事確保することとなった。


 南軍の捕虜と北軍の連隊を集めたエナペーイが、真っ先に彼らへ伝えたのは

「インディアンと呼ばれる者たちへの、いかなる先制攻撃や暴行も認めない。もしもそれらが確認された場合は、私自身がインディアンと呼ばれる人間だという私怨をもって、厳正なる処分を下すこととする!」

 との言葉だった。

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