エナペーイさんを説得してる?

 息子の死を悼み、病に臥したリンカーン大統領夫人の見舞いを終えたアニーは、隣に立つカミラの横顔を見つめた。その視線に気付き、カミラがニコ、と微笑んだ。


 黒髪が窓からこぼれる光にあたってきらめき、長いまつ毛がふせる。その先にある唇は艶やかで、アニーの頬に触れる時はいつも、柔らかい優しさを感じる。


 カミラの美しさを再確認するたびに、アニーは思い知る。あの日のエナペーイとカミラの姿が、実に気に食わなかったということを。


 それは、大好きな姉を他の者に取られる焦りだった。


 彼ともあろう人が、大勢の人たちのいる中で、何も考えず、欲望のままに、カミラにキスをするなんて、傲慢で、無神経だ。


 カミラは、アニーとチャールストン少将が結ばれた後も、ずっとそばでアニーを支えてくれるはずだったのに。


 だがアニーもわかっている。カミラとエナペーイは、ごく自然に心を通わせたのだ。そこにアニーの入り込む隙はなかった。


 それに、アニーだってエナペーイがとても好きだ。穏やかで、けれど熱い情熱を秘めた人で、そして恩人だ。

 友だちだと思っていた。


 あの時。エナペーイはカミラをそっと抱きしめて、一言二言彼女にささやいてから、その場を立ち去った。いつまでもその後ろ姿を見つめるカミラの様子に、誰もが、アニーでさえもカミラに声をかけることはできなかった。


 ぱたん、と音を立てて扉が開き、アニーの意識が元に戻る。


「アニー、ここにいたのか!」

 明るい声が、部屋に響き渡った。


 ウェブスター将軍とエナペーイ、そして。チャールストン少将が、そこにいた。

 シャイローの戦いを経て、北部の英雄となったチャールストン少将が、西部戦線をグラント准将に任せ、やっと東部へ帰ってきたのだ。


「ケイド……!」

 チャールストン少将が足早にアニーの元に走り寄って。

 もつれそうになる足を懸命に走らせながら、アニーも同じようにチャールストン少将の元に走っていった。

 腕を大きく広げたチャールストン少将の首元に腕を巻きつけると、チャールストン少将がアニーを力強く抱きしめながら頬に口付けた。

「会いたかった! ずっと会いたかった!」

「ケイド、ケイド!」


 何度もアニーの頬や髪に口付けたあと、チャールストン少将は顔をあげる。

 

 なんてきれいな男の人だろうか。その金髪とブルーグレイの瞳が、窓からこぼれる陽の光にあたって煌めいている。アニーを見つめてから微笑んだその顔には、えくぼが浮かんだ。


 チャールストン少将は、容姿に優れているというだけではなく、いつもその周りにキラキラと光が輝いているような、エネルギーに満ち溢れた人間だ。

 

 けれど、今日はいつもと違う。エネルギーはそのままに、ほんの少しだけ悲しげだった。

 それでもそのオーラが少しも澱まず、相変わらずも爽やかな正義感に満ち溢れてるチャールストン少将。


 こんな美しい人に、自分は相応しいのだろうか。


「なんだか悲しそう」


 ケイドの薄い唇に口付けたいと、思った。


「そう見えるか?」

「うん。せめて今日だけでもゆっくりできるといいのだけれど」


 言ってから、ハッとして顔を上げると。


 ウェブスター将軍は苦笑しながらソファで既にくつろいでおり。


 その横で、エナペーイとカミラが静かに手を取り合っていた。


「……パパ、久しぶり!」

「やあアニー。元気そうだね」

「それにエナペーイさん、こんにちは!」


 二人の語らいに割って入るように、アニーが声をかける。


 アニーたちの声に、エナペーイとカミラは振り返った。


「アニー嬢」

 エナペーイは、ふわりと頬をゆるませて微笑んだ。そうしてカミラの手を握りしめたまま、とても大切なものを見つめるように、アニーの瞳の奥を見つめた。


 この人は本当にカミラを愛しているのだと、不意にアニーは感じた。

 アニーだけを大切にし、守り抜いてきたカミラごと、全てを。


「エナペーイさん」

 アニーはエナペーイの元に歩いて行き、そしてカミラの手を握りしめる彼を抱きしめた。

「なんでホワイトハウスにいるんですか? リンカーン大統領に何か用があったの?」

 エナペーイがカミラの手をそっと離し、そしてアニーを抱きしめ返す。

「この間ユニオン病院で話したことです。リンカーン大統領は、少数民族マイノリティの陸軍連隊立ち上げに同意しました」

「そう!」

 とてもいいニュースだった。

「さすがエナペーイさん。でも、フレデリックさんは来なかったんですね」

 アニーはエナペーイから体を離した。


「ダグラスのことを、エイブ大統領は過激派と判断しているらしい。エイブは中道リベラル派だからな」

 ウェブスター将軍の言葉に、部屋にいる全員が彼の方へ視線を向けた。


 アニーとカミラのそばに立つエナペーイを、ウェブスター将軍がひたすらじっと見つめる。エナペーイも瞳を逸さなかった。


 まるで、剣と剣で斬り合っているみたいだ、とアニーは思った。


 カミラがそっとエナペーイの手を握りしめたのが、アニーの視界の端に映った。


「フレデリックさんみたいな人のことをそう思うなんて、大統領も案外頭固いわね」

 アニーの軽口に

「アニーにかかっちゃエイブも形無しだな。最近私は、あの男ほど柔軟で大胆な人間はそういないと思っているのだがね。エナペーイのことも気に入ったようだった」

「当たり前じゃない。エナペーイさん、かっこいいもん」

「そうだね。この国は、内戦Civil Warのことを除いても、問題だらけだ。エナペーイのような人間にこそ力を貸して欲しいと、私はずっと言い続けてきた」


 そうだ、確かに前そう言っていた。お前が欲しい、と。


「俺が聞き分けのいい『インディアン』だからですか?」


 エナペーイの穏やかな声音に、なぜかアニーは驚いた。


 アニーはまだ気づいていなかったが、彼はずっと自分たちの事を先住民族native peopleと呼び、決して「インディアン」とは言わなかったのだ。


「君の先住民族としてのバックグラウンドを欲しているというのは、確かにある。だが君自身の能力や、人間性を欲しているのだ」


 ウェブスター将軍は立ち上がり、エナペーイのもとに近寄った。


「教育者として多くの軍人を育ててきた私の眼を信じてくれ。君こそが軍部のトップに立つべきなんだ」

「それで俺に同族の裏切り者になれ、と?」

「裏切り者になんて、俺がさせない」


 今度はチャールストン少将の声が部屋に響き渡った。


「お前の心は俺が絶対に守る。先住民族に対する戦略の方向転換を行うと、約束する。だから、俺の上に立ってくれ!」

「ケイド……」


 アニーは戸惑ってチャールストン少将を見つめた。


「ケイド、どうして? エナペーイさんは望んでいないのに」

「アニー、俺やあなたのような人間が、どれほど恵まれているか意識したことはあるか? そうでない人たちの中に、エナペーイや、ダグラス、あるいは……カミラ嬢のように、自分より数段階も優れた人間が多くいることに気がついたことは?」

 カミラの名前を出した時、チャールストン少将はちら、とすまなそうな顔をカミラに向けた。

「奴隷解放運動の気運が大きく高まった1859年※に、戦争をおこそうとする者、それに反対する者、あるいは傍観する者、さまざまな人間の中を飛び回るエナペーイを見て、それを心底思い知らされた。世の中は変わっていく。どんどん、いい風に進化していくだろう中で、過去に恵まれていたことにだけすがる、なんの進歩もない愚か者にだけは、なりたくないと心から思ったんだ」


※1859年は特に奴隷解放運動が大きく前進した時期である。奴隷解放を目ざしてハーパーズ・フェリーを襲撃した事件、通称ジョン・ブラウン蜂起 が発生した。この事件やジョン・ブラウンに対する後世の評価は賛否両論である。

 南北戦争開始はその2年後の1861年。


「エナペーイ、俺やウェブスター将軍がいればお前をすぐに引き上げることができる。思う存分、力を発揮できる。先住民族を守ることができる。世の中を変えることができるんだ。さあ、軍人となることと、法律家や政治家となること、どっちが有益か」

「甘い」

 エナペーイは、その言葉を切り捨てた。


「軍部の改革だけで、今さらアメリカの対先住民族方針を穏健なものに変えられるはずが、あるものか。両者の間で流れた血が、多すぎる!アメリカの中枢部から、変えるしかない」

「改革とは、一歩一歩だ。まずは進むことが大切だと、俺は思う」

「……俺は、インディアン対策の捨て駒として、都合のいいように扱われることに、うんざりしているんだ!」


 エナペーイの悲痛な叫び。フレデリックとエナペーイの話を思い出したアニーは、涙がこぼれそうになってしまった。


「俺がお前を愛しているのも、俺にとって都合がいいからだと、そう思っているのか?」

 ケイドの言葉に。エナペーイは一瞬顔をしかめたが、ぐっと奥歯をかみしめるようにしてから、また口を開いた。


「どんなに思い合っていても、立場の違いは人を分断させる!俺もお前を心から好きだと思っているが、それでもお前はいつか俺を、先住民族を利用し、打ち捨てる存在なんだ!」

「捨てないよ、絶対に」


 ケイドを、愛している。アニーはふと思った。


 人間はエナペーイが思っているよりもずっと強く、そして善良だ。


 例えどんなに絶望的な景色が、目の前に広がっていたとしても。


「私もエナペーイさん、大好き。何があっても、私もエナペーイさんの味方です」

 アニーを見たチャールストン少将の顔は、今まで見たことがないほどの歓喜に満ちあふれていた。

「俺たちを信じきれないなら。今はアニーを信じてくれないか。俺は、お前も、アニーも、失望させることのないよう、全力を尽くすと誓おう」

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