フレデリック・ダグラスと友だちになった! そして……
テネシー州西部で、チャールストン少将が大きな勝利を収めたものの、北軍だけで一万以上の犠牲を払った1862年4月、通称「シャイローの戦い」。
その2ヶ月ほど後に、エナペーイと、フレデリック・ダグラスが現れた。
「ねえアニー、トールチーフって、どんな男なの?」
リジィに聞かれたアニーは、まるで自分の家族を誇るように胸を張った。
この病院に来てから、すでに一年近くの時間が過ぎており、いつの間にかアニーも、少女たちの中に溶け込んでいたのだった。
「私とカミラの命の恩人。インディアンで、そのことを誇りに思ってる、ジョージタウン大学の優秀な学生さんだよ」
「インディアンで、ジョージタウン大学みたいなすごい学校(※)の学生? 意味がわかんないんだけど」
※ジョージタウン大学は特に法学部、法科大学院が現代でも有名で、全米15位〜22位程度にランクイン。また、著名な政治家も多く輩出している
「なんでこのユニオン病院に来たの?」
「なんか、カミラといろいろ手紙でやり取りして、今日のことが決まったんだって」
そんな会話を交わしていると。アニーの視界にエナペーイの姿が見えて、アニーは足取り軽やかに彼の元へ向かった。
背中に尻尾がついていたら、ぶんぶんと揺れていただろうと思えるような、いそいそとした足取り。思わずエナペーイが微笑んだことに気づかず、アニーは満面の笑顔で挨拶をした。
「エナペーイさん、お久しぶりです!」
「アニー嬢。お元気そうで何よりです。ご婚約、おめでとう」
「やだ、ケイドから聞いていたんですか? あ、でも、そういえば」
ワシントン砦でチャールストン少将と会った時、チャールストン少将はアニーたちに見向きもしないでエナペーイの方へ向かっていった、ということをアニーは思い出した。
「私以上にケイドと仲がいい人、私嫌いだわ」
アニーのわがままに、エナペーイが苦笑する。
「だって、ケイドって、エナペーイさんとパパが世界で一番好きそうだもの」
「そんなことはありませんよ。ただあいつは軍人生活が長くて、見かけよりも女性に慣れていないだけです」
「あんなにかっこよくて、誰よりもキラキラしてるのに? なんだか変なの。エナペーイさんとケイドはいつ、お知り合いになったんですの? あんなに心を開いているのは、パパを除いてはエナペーイさんだけですもの」
「初めて会ったのは5年ほど前ですね。親しくなったのは3年前のことです」
「大学で、パパに紹介でもされたんですか?」
「まあ、そんなところです。そろそろフレデリックの話が始まりますよ」
エナペーイに促されたアニーの瞳に、フレデリック・ダグラスの姿が入った。
なんか、大きく見える。
リンカーン大統領のように、ずば抜けて背が高いというわけではないのに、そのオーラのせいだろうか。圧迫感があって、でも、目の奥が厳しいのに優しささえ感じるとアニーは思った。
ダグラスが、口を開いた。
「もうすぐ、7月4日の独立記念日ですね。86年前、皆さまの父たる人々はイギリスの専制に、熱心に抗議しました。これは正直で常識的な人間にとって、とてつもない勇気だったことは、皆さんもご存知の通りです。危険人物とみなされる覚悟をした上で、自由と平等を追い求め戦った、皆さんの偉大な父祖たちを讃えた独立記念日。さて、皆さん、それでは我々黒人にとって、独立記念日はどんな日だと思いますか」
独立記念日は、イベント好きなアニーにとっても特別だ。
ワシントン大統領たち建国の父を讃え、バーベキューパーティーをし、花火を盛大に鳴らして、皆で祝う。
皆との絆を確かめ合う毎年恒例の、家族や大切な人たちとの交流でもあった。
「黒人にとって、自由と正義を掲げて祝う独立記念日が、どんな日なのか。黒人にとっての独立記念日とは、自分たちに許されない自由と正義を横目に見ることしか許されない、ありとあらゆる残酷な不正を、改めて思い知らされる日なのです!」
だからこそ、こう断言されたことに、アニーは驚いてダグラスの顔をまじまじと眺めたのだった。
そんなの、うそだ。アニーはとっさにそう思った。
けれど、独立ばんざいと祝うその裏で、まさに鎖に繋がれた人たちが、この世に存在するのだとすれば。
それが偽善でなくて、なんだろうか。
「独立記念日は、奴隷にとってはまやかしだ。あなた方は、自由と平等を叫ぶが、なんて虚しい言葉でしょうか。エナペーイ、君たち
※感謝祭はもともと、先住民族であるワンパノアグ族が新大陸で生き延びるために必要な農作物の育て方や、狩猟や漁の仕方などをイギリス人入植者に教えたことのお礼に、入植者たちがワンパノアグ族を食事に招待したことが始まりといわれている。
奴隷制度は確かに、マーガレットの家のような人の善意だけにすがって成り立っている制度である。
けれど善意はあくまで個人のものだ。法律や国の仕組みは、善意同様に悪意や、もっといえば犯罪行為、神の名の下に裁かれるべきことが必ず現れるというのを前提として成り立っていると、前にアニーは学んだことがあった。
そうだとしたら、法律や国に守られない、人権というものを持ち得ない人が存在するということの意味を、もっと早く理解できたはずなのに、本当の意味では気づいてすらいなかった自分を、アニーは恥じた。
「奴隷制度こそ、今の戦争の原因です。いや、戦争そのものと言っていい。奴隷所有者にとっての奴隷制度の『美徳』と、黒人にとっての自由をてんびんにかけることはできません。自由と奴隷制度は相反しており、善と悪、天国と地獄ほどにかけ離れている! 北部は間違っていました。南部を聞き分けのない子どものように扱い、なすがままにさせてきました。その結果が今だ!」
人が人を、全ての点において支配するということ。
それがマーガレットのような善意だろうと、あるいは悪意だろうと、そこにあるのはただの圧倒的な暴力だ。
「皆さんの建国の父たちは声をあげました。正義を訴えました。そして、行動しました。同じように私は訴えたい。奴隷制度は、徹底的に、邪悪だ! こんな制度を未だ残す国は、他にない。『自由と平等』。黒人や、先住民族がどのように扱われてきたかを考えたら、なんというお笑い種だ!」
イギリスやフランスなどのヨーロッパの諸国は奴隷制度を廃止している。
と、いうことは、さまざまな思惑があるにしても、そこに必ず人道的問題が存在するということでもあった。
「南部の人間は、奴隷制度を合衆国憲法で保護され、許可されていると言います。皆さん、どこにそんな文面があるのか! 序文を読んでください。書かれた目的を考えてください。全ては、自由と平等という奴隷制度とは全く相反する原理が存在します!」
そうだ!という男の人の声がしてから、ガタ、ガタ、という音を立てて、何人かが席を立ち。
それにつられるかのように、しまいには全員が立ち上がった。
なんで今まで誰も、私も、それを言わなかったんだろう。
じゃあ、インディアンは?エナペーイさんたちの先祖は。
「皆さんの建国の父たちが、
す、と右手を胸元に持っていき、お辞儀をしたダグラス。
鳴り止まない拍手と、ぴゅうっ、と口笛の音が響き渡る中、エナペーイが静かにダグラスの元へ歩み寄っていき。
二人は同時に、互いをきつく、きつく、抱きしめ合った。
涙を流すダグラスの肩を叩いてから、エナペーイは周囲を見渡した。
「皆さん。僕からも、お話しさせていただきます」
エナペーイの声に、辺りは静まり返った。
「建国の父の一人、トーマス・ジェファーソン大統領はこう言いました。『人間はみな、平等に創られた』、と。ですが僕はこう言いたい。今のアメリカの現状は、『人間は、黒人と先住民族たちを除いて、平等に創られた』だ。これはつまり、『黒人と、先住民族たち、外国人、カソリック※以外の全ての人間は平等に創られた』ということです」
※当時、アメリカ市民の大半はプロテスタントだった。
エナペーイの声は不思議な響きを持っていた。
決して力強いわけではないのに。柔らかで静かなその声は、なぜか誰よりも聞き入ってしまう力があるとアニーは感じた。
「何が言いたいのか。こういうことだ。もしも誤っているとわかっているのならば、そう感じるのならば、立ち向かうべきです。恐れずに、勇敢に。信じましょう。正しさ、それこそ、我々の力となる」
Right makes might。
それは「力こそ正義」というよく言われるフレーズを逆にしたものだ。
「黒人も、先住民族も、等しく人間であるということを証明するために。どうか黒人と僕たち先住民族に、この戦争を一日でも早く終わらせる手伝いができるよう、力を貸してください! 連邦政府に、黒人や先住民族を始めとした少数民族の部隊を作ると、訴えるのです!」
先ほどの、ダグラスの演説とは違って、風の音さえ聞き取れるほどに、辺りは静まり返った。
そこに。
ぱん、ぱん、ぱん、という小さな拍手が鳴り響く。
その拍手の音はだんだんと大きくなり、アニーを含めた全員が、気がついたら手も割れんばかりの拍手をしていた。
「ありがとう、皆さん」
エナペーイは一つ頷いてから、続けた。
「僕たち先住民族は西部で、自由と平等を手にするために、まさにアメリカ政府と戦っています。僕は強く訴えたい、アメリカ政府よ、自由と平等を謳うのならば、誰よりも先にアメリカにたどり着いたアメリカ市民を傷つけるのをやめて、対話を始めようではないか、と! 黒人も、先住民族も、白人も、外国人も、カソリックや異教徒たちも、ありとあらゆる、この国で生きる国民が一つとなり、この戦争を共に終わらせる! そのためにここにいる全員がこれから力を尽くしていくと、今ここに、誓おう!!」
歓声がさらに響く。
まるで会場中の人間が、全員で一つとなったような、ものすごい熱気だった。
津波のように押し寄せる情熱と、熱い思い。
カミラが、泣いている。
「お母さま」
とカミラはつぶやいた。
そうだ。カミラのお義母さまこそ、合衆国における差別に叩きのめされ、パパと別れて母国へと帰った人だ。
エナペーイさんと、フレデリックさんは、なんてすごい人たちだろうか!
少なくともここにいる人間が全て、価値観をガラリと変えさせられた。
アニーはフレデリック・ダグラスの元に近寄った。
様々な人たちに囲まれている、フレデリックに
「フレデリックさん!」
と声をかけた。
「君は……」
「アニーといいます。フレデリックさん、私の友だちになってください!」
周囲が、しんと静まり返った。
「あなたのこと本当に尊敬します!どうか、私の
誰かのことをそんな風に思うことは、カミラを除いて初めてのことだった。
フレデリックは、にこりと微笑んだ。
「光栄です。私の年若いお友だち」
アニーはうれしくなり、フレデリックにばっと手を差し出した。
フレデリックは力強くアニーの手を握りしめる。
なんて、熱い手だろうか。
アニーは両手でフレデリックの手を強く抱きしめるように握ったが、それだけでは足りないような気がして、そのままぎゅっと抱きついた。
この人こそ、この場にいる全員の誇りだ!
「フレデリックさん、アメリカを変えてください。一緒に!」
「ええ、必ず」
フレデリックがアニーから離れ、男女問わず様々な者と抱き合う中。
私、この人と友だちになったよ!
そうカミラに伝えようと、振り返ると。
カミラはゆらりと立ち上がり、エナペーイの元へと向かっていた。
「エナペーイさん」
そう言うと、カミラはそっと、エナペーイを優しく抱きしめた。
「ありがとう。本当にありがとう、エナペーイさん」
エナペーイは一瞬だけ顔を強張らせた。
そのまま、カミラの頬に右手を優しく触れさせると、カミラはそっと瞳を閉じた。
そのまま、二人は静かに、口付けていた。
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フレデリック・ダグラスの演説は、1852年ニューヨーク州で行われた有名な演説です。
(南北戦争に関連する項目は、1862年に行われたジョン・ロックという自由黒人の演説より引用しています)
また、エナペーイの演説は、リンカーンの演説を借りています。
リンカーンの演説は、同時代に生きて聞いたら涙が出ただろうと思えるくらい、感動的です。
また、アニーがネイティブ・アメリカンのことを「インディアン」と呼んだ理由ですが、当時はどんなにリベラルな人でも、先住民族をそう呼んでいただろうと思ったからです。
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