パパ、なんか隠してる?

 アニーは目の前の光景に思わず言葉を失った。


 うわ、なにこれ。


 ウェブスター将軍の司令部は薄暗く古びていて、なんだか気味が悪い。装飾もほとんどない部屋は、まるで長年放置されていたかのように感じられる。壁の漆喰はひび割れ、古い地図が埃をかぶっており、蝋燭の灯りだけが頼りの薄暗い空間で、湿った木の匂いが鼻をついた。


 船員たちと別れ、勇敢な男性とともにワシントン砦へやって来たアニーとカミラ。なんとかその男性を引き留めて向かった先が、こんな部屋だったとは。


「エナペーイ! お前、どうしたんだ!」

 と、アニーとカミラの二人には見向きもせずに、驚くチャールストン少佐の声が響く。


 アニーも

「パパ!」

と駆け寄ったが、父はいつもとは違う、生気のない表情で顔を上げる。


 パパ、なんか覇気がない。


 パーティではあれほど力強かった目が陰っている。司令官としての責務が、ウェブスター将軍の心身を削っているのだろうか。それにしても、あの時とはまるで別人だと、アニーは思わず首をかしげた。


「エナペーイも一緒だったのか」

 将軍がその青年に目を向けた。エナペーイの表情は硬く、アニーには少し不機嫌そうに見えた。


「この方、私たちの命の恩人なのよ」

 と、アニーとカミラが同時に言うと、将軍はゆっくりとうなずき、口を開く。


「そうか。さすがエナペーイだな。この青年はジョージタウン大学の学生、エナペーイ・ジョゼフ・トールチーフだ。私の大学時代の学友、スミス教授のゼミに所属している。エナペーイ、こちらは私の娘、カミラとアニーだ。助けてくれて心から礼を言おう」


 紹介され、カミラは礼儀正しく、アニーも慌てて膝を折った。

 だが、エナペーイは相変わらず無表情だった。


「助けるべきだったから、助けただけです。それ以上でも以下でもありません」

 彼の低く抑えた声には不思議な重みがあり、アニーはなぜか部屋の空気が冷えたような気がした。


 アニーはエナペーイを盗み見る。初対面から感じていたことだが、この青年はただ者ではない。彼の瞳は深い森のように謎めいていて、まるで見通せない。


 少佐が口を挟む。

「エナペーイ、お前、また何かやったんだな? あの時と同じだ」

 少佐の言葉に将軍の目が鋭く光る。


「さあな」

 エナペーイが短く答えた。彼の言葉には、妙に他人を黙らせる力がある。


 カミラが、ウェブスター将軍に向かって一歩進み、問いかけた。


「お父さま、マグワイア中尉という男はどんな人間ですか?」


 将軍は一瞬、視線を逸らした。

「……元は軍部に所属する有能な科学者だった。だがある日、彼の研究所で不可解な事件が起きてな。その後、私の下に身を寄せたが、結局……逃亡者になった。それ以上のことは言えない」


「でも、どうして私たちを狙ったの?」

 アニーの言葉に将軍は答えない。だがその沈黙が、余計に二人の胸に不安を植え付けた。


 カミラは続けた。

「お父さま、私たちに隠していることがあるのですか?」

「カミラ!」

 将軍の声は強張っていた。

「……その質問に答える義務はない。お前たちを守ることが、私の最優先だ。それ以上は詮索するな」


 そのやり取りの最中、ふとチャールストン少佐が低い声で呟いた。

「マグワイア……奴が動くとはな。気味が悪い」


 なぜマグワイアが自分たちを拘束しようとしたのか、アニーにはまだ理解が追いつかず、だがそれでも理由を考えた。


 パパを揺さぶるための交渉材料ということなのかも。家に兵士を置いていたのも、こういった事態に備えてのことだったのかな。


「なぜマグワイアはお前たちを襲おうとしたんだ?」

 と将軍が問う。


「いや、わかんない。ともかくカミラが見抜いて、私たちポトマック川を渡って逃げてきたの」

 とアニーは答える。


 カミラが説明を加えた。

「お父さまからの手紙を見せるよう求めたら、筆跡も封蝋も異なっていたのです」


 その時、アニーは昔気質なウェブスター将軍が封蝋を使うことにこだわっていたことを思い出した。


 マグワイアってやつ、パパの署名を真似ることだけはできたけど、印璽いんじはさすがに偽造できなかったみたい。


「少ない判断材料で正しい選択をしたようだね。お前が私の部下にいたら、この内戦civil warはすぐに終わるだろう。カミラは本当に軍人向きなのに、惜しいことだ」

いつもの言葉で締めくくる父に、カミラが苦笑した。

「私は軍人には向いていないわ。臆病なんですもの」

「いや、軍人にこそ慎重さは必要だよ。ただ打って出るだけでは、勇敢なのではなく蛮勇というものだ。そうは言っても、ここぞというところの度胸がなければ、お話にならないがな」

「それ、カミラのことじゃん」

「そうだね。お前も中々鋭い洞察力だ。いい軍人になれるよ」

「やだよ軍人なんて。私わがままだし」

「お前みたいな素直な気質の、いい軍人も多くいるよ。さてと」


 将軍はそう言ってから、チャールストン少佐以外の者を部屋から下がらせた。


「エナペーイ、君も」

「ええ、それでは」


 そう言って立ち去ろうとするエナペーイの背中に、ウェブスター将軍が声をかけた。


「だが、忘れるな。私は君に出会った時から、君を欲しいと思っている。そのことは、決して忘れないでくれ」

「エナペーイ、俺もだよ。あの時以来、俺の上に立つのは、お前だけだと思っている」

 微笑むチャールストン少佐を見たエナペーイは、

「勘弁してくれ、ケイド」

 そうとだけ答え、立ち去った。


 あの時って?チャールストン少佐たちはエナペーイさんといつ知り合ったんだろ。


 てか、エナペーイ・トールチーフって、ちょっと発音しづらい名前だよね。先住民族って言ってたけど、先祖代々の名前なのかな。


 ウェブスターは「紡ぐ者」、スミスは「鍛冶屋」。

 チャールストンはシャルル一世、別名 カール大帝Charles the Greatが由来だ。


 トールチーフ、背の高い、チーフ。


「さあ、カミラ、アニー」

 ウェブスター将軍が言った。


「お前たちはこのまま、この砦に部屋を作るから、ここに残るように」

さらりと告げられた言葉。

「私たち、このままペンシルベニアに向かうつもりだったのだけれど……」

「ああ、だめだだめだ。もしマグワイアがお前たちをまた襲ってきたらどうするつもりかね。お前は私の胸をつぶすつもりかい?」


 ウインクとともに明るく言われたその声が、アニーにはどこか不自然に響いた。


「ですが、将軍ジェネラル、おそらくあいつがこれから向かうのはバージニア州か、あるいはメリーランド州の反乱兵のもとではないでしょうか。

そう考えると、ご令嬢方は戦地となる可能性のあるこの砦より、ペンシルベニア州のご親族のおそばの方が安全かと」


 チャールストン少佐が、不思議そうに問いかける


 ずいぶんくわしいことを教えてくれるな。


 二人が当事者でもあるからには、ある程度の情報共有が望ましいという判断だろう。


「今はそうでも、いつペンシルベニアが戦場となるかはわからん。本当は母上もここに連れて来たいところだが、母上は家を離れるのを嫌がっているし、公私混同にもほどがあるからね」

「お父さま、それはおかしいわ。さっきはマグワイアのことを心配して、その次にはペンシルベニアが戦場となることを恐れて、結局お父さまは何を思っていらっしゃるの?」

 黙るウェブスター将軍に、カミラはさらに言い募った。

「言い換えるわ。お父さまはなぜ、マグワイアが私たち姉妹に、お父さまに執着してると思っていらっしゃるの?」


 そもそも。ただの逃亡兵が、偶然ではなく計画的に、アニーたちに狙いを定めた、そこに何の意図があったのだろうか。


「チャールストン少佐」

「はっ」

「軍人は、いかなる機密事項も外部には漏らしてはならぬ。……復唱せよ!」

「はっ! 軍人は、いかなる機密事項も外部には漏らしてはならぬ!」

「そういうことだよ。さっきのチャールストン少佐は、処罰に値するな。まして、私は今は北軍のトップという位置にいるからね。いくら愛するカミラでも、教えられないこともあるのだよ」

「私たちが、当事者だとしても?」

「そうだ。それが、私の娘として、北部の花として讃えられた、お前たちの義務だよ」


 カミラとパパの会話はいつもこうだ。お互いに正論をぶつけ合っているけど、どこか噛み合わない感じ。


 アニーは静かにそのやり取りを見守るしかなかった。


「いいわ、お父さまがそう仰るならば、ここに残ります。アニー、それでいいわね?」

カミラはため息とともに、そう言った。

「カミラがそう言うなら、私も従う」 


 カミラとパパって、なんか似てる。

 優しいけど、何考えてるかわかんない感じとか。


「カミラ、パパどうしたんだろ?」

 アニーは将軍が去ったあとに、カミラにそっと問いかけたが。


 カミラはなぜか、答えてくれなかった。

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