まじぶっころす!! でもかっこよかったー!

 アニーとカミラを守ってくれるはずの兵たちでは、マグワイア中尉たちの数には到底対抗できないとカミラは即座に判断した。非常時には、やはり頼りになるのはカミラだった。


 けれど、馬の扱いに関してはアニーの方が一枚上手だ。


「マルコー、ロージィ、いい子ね。静かに、お願い」


 アニーはそう優しく声をかけて、青ざめた顔をしているカミラにロージィの手綱を渡した。


 私も、きっと同じように青ざめているんだろうな、とアニーは思った。


 先ほどは10人ほどだったが、もし裏口にも兵がいたら? 馬小屋の方にあいつらが気づいたらどうしよう?


 幸い、誰の目にも留まることなく、二人は草だらけの裏門を無事に抜けた。


「カミラ、急ごう。15分で波止場に行くよ」


 アニーは土埃に咳き込みそうになるのをこらえながら走った。


 遠い。こんなに走っているのに、慣れた道がこんなにも遠く感じるなんて!


 ポトマック川の船着き場に向かってひたすら走る。だが、到着までが永遠に続くような気がする。


 その時、不意に鳥の大群が羽ばたく音がした。


「あっ!」


 カミラの馬ロージィが怯えたように急に立ち止まる。それに合わせてアニーも、慌ててマルコーの手綱を引いた。


「ロージィ、大丈夫!」


 アニーはロージィをなだめようとカミラが必死に撫でているのを横目で見ながら、ドレスのサッシュをばっと外し、ロージィの瞳に被せた。


「大丈夫、大丈夫。あなたたちが頼り、そうだよね、マルコー」


 マルコーは任せろ、と言わんばかりに軽くいなないた。


「さあ、カミラ、行こう!」


 アニーはサッシュを外すと、再び駆け出した。


 一本道を進むだけだ、と自分に言い聞かせながら、アニーはマルコーの首を軽く叩いた。その時、突然カミラの金切り声が耳に飛び込んできた。


 アニーが振り返ると、遠く小さく見える男たちが4、5名、こちらを追いかけていた。距離はあるが、彼らは銃を持っている。一方、こちらの武器はカミラの拳銃だけだ。


 いやだ、誰か、助けて!

 チャールストン少佐!


 アニーは心の中で叫んだ。


「あっ、カミラ!」


 アニーは砂ぼこりをあげて馬を急停車させた。目の前に波止場が見え、そこには見慣れた船員たちのほか、短く撫でつけた黒髪に褐色の肌を持つスーツ姿の若者が立っていた。


「おんやまあ、ウェブスターご令嬢たちでねえか」


 カミラたちを追う男たちを見て、船員たちは驚き目を白黒させた。


「ワシントンD.C.へ、お願い! 今すぐに!」


 カミラはそう叫ぶと、返事を待たずにロージィを船に乗せ、アニーとマルコーもそれに続いた。


 黒髪の青年は言葉をなくしている船員たちを急かし、船を出航させた。


 ああ、間に合ってよかった! アニーが安堵したその時、遠くで銃声が響いた。


 そこには、アニーの家の馬に乗った、ネイサンと呼ばれる男がいた!


「………!!」


 何か叫んでいる。


「あの男ですか!?」

黒髪の青年が短く問うと、カミラが言葉も返さず何度も頷いた。


「ご令嬢たちは、早く室内に! 君たちはこのまま、船の操縦を」

 それぞれ、アニーたちと船員に指示したあと、

「サッシュの銃を、お借りします!」


 そう言って、カミラの腰につけていた銃をさっと奪い、自身の胸元からも拳銃を取り出した。


「早く安全な場所に!」


 その言葉を聞いたカミラが、足速に船内へ向かって、アニーを強く抱きしめた。


 ガン! と銃声が何度も響く。


 カミラの胸元から体を引っ張り出して、ちらと外を見ると、青年が男たちの馬の足を撃ったようで、一人が馬から落ちた。

 次々と落馬し、血を流す男たちの姿を見て、一瞬だけ馬を可哀想に思うアニーだったが、さすがにマグワイアとネイサンという男は体勢を立て直し、青年を撃ち返した。


 青年は、船の柱にさっと身を隠して、また銃を撃つ。

 船はどんどんと川縁を離れていく。


「ウェブスター!! 卑怯者の、女どもめ!! 自分たちだけ逃げるのか!!」

 ネイサンという男の、声が小さく聞こえた。


 ……私たちを、今、卑怯者って呼んだ!?


「戻らなければ、お前たちの家の人間を、皆殺しだ!! 絶対に、許さないぞ!!」


 生まれて初めて、出会った理不尽な悪意。


 だが、出立した小型の蒸気船は、いったん流れに乗ってしまえば、あとはそのまま速いスピードで進んでいった。


「あははっ、負け犬の遠吠えだ」


 速度はどんどん上がり、彼女たちはマグワイアらを遠くに置き去りにして進んでいった。


 安心したアニーが後ろを振り返り、船員やカミラ、そして一人の若い男性に視線を向けた。


 男性は、カミラを見つめていた。そして、カミラも。


 男性が拳銃をカミラに差し出し、丁寧に返した。 「こちら、お返しいたします」


 さっきの荒々しいやり取りが嘘みたいだ、とアニーは心の中で思う。


「本当に感謝しています。どうお礼を申し上げればいいのか。私たちを守ってくださって、ありがとうございます」

「いえ、当然のことです。とはいえ、先ほどの男たちはまだ馬を二頭残していましたから、別の波止場から追いかけてくる可能性もあります。どなたか、お迎えは?」

「いいえ。私たち、急に家を出てしまったんですの」

「では、僕が目的地までお送りしましょう。近くで貸し馬を借りられる場所も知っています」

 そう言って彼は、そのままデッキを歩み去ってしまった。


 歳を取った方の船員が、コーヒーを差し出してくれる。

「最近、物騒なことが多くなりましたねえ。お嬢さん方もお気の毒に」

「ありがとうございます、あなた方も命の恩人だわ」


 コーヒーを持つ手が震えているのに気づき、アニーは船の振動のせいかと思ったが、どうやら心の底からの震えだった。今まで夢の中にいるようだったが、やっと現実味が湧いてきた。


「これから、合衆国はどうなっていくのかしらね」

とぽつりとカミラがつぶやき、アニーは心の中で思わず突っ込む。


 いや、国のことよりまず私たちでしょ。つーか、家のみんなのことは?

 ジェシカたち、大丈夫かな。


 男は不思議そうに顔をかたむけた。


「まあ、難しいこたあよくわからねえけど、戦争が始まるなら、さっさと終わればいいたあ思いますよ。俺あ、メキシコ戦争帰りだが、腹は壊すし、いいことなしだったしなあ」

横から、船の舵を取っている若い男が口を挟んだ。

「けど、戦争は出世の絶好の機会でもありますよ、お嬢さん!俺は手柄を立てるためにも、義勇兵になるつもりです。急がないと、戦争は終わっちまう」

「おめえ、それはやめておけって、言ったばっかりじゃねえか」

「じいさんの戦争話はうんざりだ。俺はうんと金持ちになって、両親や妹たちに楽をさせてやるんです」

「妹さんがいらっしゃるの、おいくつ?」

「13と12です。かわいくて、もう」

「わかるわ。でも、それならなおさら、妹さんたちやご家族を悲しませないようにね」

こちらを見ながら、カミラがあいづちをうつ様子を見たアニーは少し、いい気分になる。


 まあね。カミラ、私のこと大好きだし。

 ママみたいなもん?

 いや、自惚れは置いておいても、カミラの優しさとか愛情深さは私が一番わかってるんだから。


「カミラ、結局あれってなんだったんだと思う?とりあえず危なかったのはわかったんだけど」

「わからないわ。とりあえず今は、ワシントン砦にいらっしゃる、お父さまのもとに向かうのよ。家の皆のことは、司令部の皆さんにお任せするのがいいと思うわ」


 せっぱつまった様子の二人を、心配そうに見つめていた、気の良さそうな男たちも、二人の会話には触れず穏やかな顔で見守っていた。


「到着ゲートからワシントン砦まではどのくらいかしら」

「すぐですよ、お嬢さん。そちらの馬たちの足なら、ほんの数分の距離です」

 ゆうゆうと水を飲んでいる、二人の愛馬たちを見ながら男が答えた。


 船員が離れるのをなんともなしに見ていると、視線の先に先ほどの若い黒髪の男が立っていた。


 ポトマック川の景色を眺めているようだ。


「あ、ねえ、カミラ。これ」


 思いついて、ゴソゴソとポケットを探った。


 真っ白の絹のハンカチに、白い薔薇や、クリーム色の糸でC.Wという頭文字を刺繍した、アニーの力作だ。


「カミラの誕生日プレゼントのつもりだったんだけど、よかったらあの男性に、お礼に渡して。他にあげられるもんないからさ」


 そう言ったアニーを、カミラは少しだけ口をぽかんと開けて、それからぎゅっと抱きしめた。


「あなたは、本当にいい子ね」


 そう言ってアニーの肩をそっとたたいてから、カミラは男性の方へ向かった。


 遠目にもわかる、ブルネットよりも暗い、カミラと同じ漆黒の、でもカミラと違う真っ直ぐな髪。濃い肌色。


 撫で付けられた短い黒髪に、深い藍色のスリーピーススーツの立ち姿。

 太陽の光にキラっと耳元が光り、目を凝らすと、ターコイズと銀の小さなイヤリングが両耳についている。


 見たことのない、南部の奴隷たちや北部にも多くいる自由黒人たちとも違う、不思議な顔立ちだ。


 でも、典型的なハンサムではないけど。

 さっきのあの助け方は、本当にかっこよかった。

 カミラが一言二言話してから、彼にハンカチを手渡した。


 そのまま、会話を続けており。

 暇だったアニーは、その会話に参加しようと、近づいた。


「私たち、ペンシルベニア州のゲティスバーグ郊外にある祖母の家に避難する予定ですの」

「それはいい。北部は生産力もある。長引くことはあっても、負けることはないかと存じますが、早めに北に避難した方が安心だと思いますよ」


 長引く?

 この情勢のことだろうか。


 そもそも、開戦はしているのだろうか。あまりにもいつも通りすぎて、新聞記者の騒ぎ過ぎのようにも思える。


「長引くって?どういうことですか?」


 アニーがぶしつけに問いかけると、カミラが顔をしかめた。


「不作法よ、アニー」

「ごめんごめん。それで、長引くって、戦争のことですか?まさか、アメリカの話じゃなくてヨーロッパの話、なんてことはないですよね?」

 アニーが勢いよく質問すると、

「バージニア州が、北部からの離脱を決定したということですが、これがどういうことか、わかりますか?」

 説明する気になったらしい男性の言葉が続いた。アニーはその言葉に首を傾ける。


「さあ、わからないです」

「リー大佐※をはじめとした、優れた多くの軍人の出身地。このアメリカ合衆国の、象徴とも言うべき州。この州を心の支えとする者は、あまりにも多い」


※後のロバート・E・リー将軍。南北戦争での南部側の英雄で、アメリカ合衆国で最も著名な軍人の一人。


 つまり、それは

「南部が強くなる、ってことですか?」

「その通りです。おそらく南北の対立は、解消まで数年単位、いや、もっとかかるかもしれません」


男性は、闇色の髪が風になびくのを抑えながら、そう答えた。


「僕たち先住民族への弾圧といい、おろかなことだ」

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