実は、星条旗好きなんだよね

「そうね。私も、『アンクル・トム』は名著だとは思うけど、全てが正しいなんて思わないわ」


 マーガレットに、カミラが優しく答えた。


「戦争は、大義がなければ始まらないものなのだと思うけれど、その裏側にはいろんな顔があるのだわ。今度のことだって、奴隷解放のためだけに対立が起こっているとは思えないの。産業革命が進んで、しかも移民の多い北部には、奴隷の人たちの低賃金の労働力がさらに必要で、だからこその権力争いの面があると母が手紙で言っていたわ」


 戦争?

 奴隷解放?

 産業革命??


 たしかに聞き覚えがあるが、あまり現実のものとは思えない、難しい単語が並べられたアニーの脳裏には、?マークが並んだ。


 カミラって、勉強できるんだよね。パパも、パパと離婚したカミラのお母さまも頭いいし。

 私も成績は悪くないけど、どっちかってとスポーツ向きだからな。私の亡くなったママに似たのかな。


 そんなアニーとは裏腹に、少し怒った様子だったマーガレットは、すぐ気を取り直したように笑顔になった。


「さすが、あなたのお母さまね。何にせよ、男の方たちが浮き足立っていて、本当に憎らしい。少佐のように、戦争を避けたいと思って下さっている人の方が少数なのではなくて?」

「いや、軍人たちは、北部と南部の現状から、被害が拡がることを考えて戦争反対派が多数を占めています。一般の方々とは違って、賛成する軍人は、利権を手にしたいだけに過ぎません」


 チャールストン少佐……ちょっと、過激?

 嫌いじゃないかも。


「私もカミラも、だいぶ突っ込んだ話をしていたと思うけど、あなたには負けますわね。そんな真正直では、軍人さんとして生きづらいのではなくて?」

「わかりますか? そうなんですよ。だが、こういう自分は変えられない」

「まあ」


 マーガレットがくすくすと笑うと、チャールストン少佐もうれしそうに笑った。


 やばい。


「マギー、それはそうと、女子大学の受験の話を聞かせて! それに、高校生活の話もいろいろ聞きたいの」

 そう強めの口調でマーガレットに甘えてみると。

マーガレットは驚いたように固まってから、了承してくれた。


 知り合いに挨拶に行ったカミラを横目に、マーガレットがいろいろ話をした後、

「あなたは将来、何を専攻するつもりかは決めた?カミラは生理学と言っていたわ」

 アニーにそう問いかけた。

「まだ何も。チャールストン少佐は、いつ軍人になられるか、お決めになりましたの?」

「僕は祖父の代から軍人でしたので、それで自然と。僕たちのような人間は、お飾りとして重宝されるんです。これでけっこう便利なんですよ。何より、僕の言葉がそれなりに通る」

 ずいぶんな言い草だ。けれど、

「仰ることの意味が、わかる気がしますわ」

 アニーが大きく頷くと、チャールストン少佐の瞳がきらっと輝いた。

「飾りというものは、ある局面では偉大な力を発揮する。最初は飾りとして扱われることがどうしても避けられないのなら、偉大なお飾りになりたいですね。まずはそこからだ」


 その瞬間、トランペットの音が大きく鳴った。


 さあ、ウェブスター将軍の娘として、ひな壇に立つ時間だ!


「私も、お飾りとなる時が来たようですね」

アニーがそう言うと、チャールストン少佐とマーガレットが小さく吹き出し、そのままチャールストン少佐が笑いながらアニーをエスコートした。


「紳士ならびに淑女諸君! リンカーン大統領ならびに北軍最高司令官にこの度めでたく就任されたウェブスター将軍です!」


 リンカーン大統領って、木こりのおうちで生まれて育ったんだって。

 最初は優しそうで冴えないおっさんと思ってたけど、なんか今日かっこいいな。威厳がある感じ。


 リンカーン大統領は、自身の妻メアリーと、カミラとアニーたちウェブスター家が演台に立ったことを確認し、口を開く。


「親愛なる合衆国の愛国者の皆さん!我々は大切な家の半分を今、失う危機に瀕しております。

そんな中、我々は対話でその危機を乗り越えようと何度も試みてきました」


 家の半分って。ジョージア州とかサウスキャロライナ州とかの南部が独立しようとしてるって話?


「それらの努力は、残念ながら、サムター要塞※での三日間の暴動を経て、無になろうとしております」


※サムター要塞には当時、いわゆる北部側の兵が占領する形で駐屯していたが、そこに南部側であるサウス・カロライナ出身の名将ボーリガード准将率いる部隊が砲撃を開始し、1861年4月12日〜14日の間続いた闘いのこと。なお、この闘いでの死者は北部側1名のみであった




サムター要塞のことは、特にカミラがとても心配していた。

 もしかしたら、北部と南部の対立が今後深刻化するかもしれないって。


「愛する合衆国の皆さん、軍事的対立関係が避けられないこの状況で、謙遜の気持ちからずっと就任を拒否されてこられたウェブスター将軍が、連邦軍最高司令官の任に就くことを、やっと許可してくださりました! 誰よりも聡明、かつ慈悲深く素晴らしいクリスチャン精神を持つ、我らが勇敢なる最高司令官に、どうぞ盛大な拍手を!!」


「ありがとうございます、大統領閣下Your excellency。皆さん、ご紹介にあずかりました、フィリップ・ウェブスターです。年齢が年齢だから、恥ずかしながら最高司令官就任は何度も断らせていただいたのですが、彼のしつこいほど情熱的で愛国精神にあふれる説得に折れて、老骨に鞭打つ決心をした次第です。奴隷制度に頼る社会のあり方を、必ずしも好いていないリンカーン大統領閣下。この人を我々国民が選んだことが、我らの兄弟たちを強く刺激したことは、皆さんもご存知のとおりです。彼も、彼なりにできるだけ譲歩しようとしたようですが、対立は避けられなかったということですね」


リンカーン大統領がポーズのように大きく肩をすくめ、会場に笑いが起こった。


 そういえば、リンカーン大統領って奴隷制度反対派だったっけ。

 でも奴隷制度をやめさせるつもりはないみたいなこと選挙で言ってたのに、結局南部が怒ったんだよね。


 パパは反対って言うよりは、奴隷制度は男性を堕落させるって言ってたの聞いたことあるけど、ちょっと意味がよくわかんなくて。


「リンカーン大統領閣下が先ほどおっしゃった通り、残念ながら、南部連合を名乗る我らの兄弟たちは、サムター要塞を守る我々連邦軍を武力で撤退させました。要塞司令官アンダーソン少佐は星条旗を持ち帰り、その星条旗はこちらにかがげられております!!」


 そう言って、ウェブスター将軍は後ろを振り返る。


 壁には、大きな星条旗が吊り下げられていた。


「この星条旗に、私は誓います。建国の父たちの子孫たる我々が、サムター要塞の戦いにより、分断の危機に瀕している今。それを食い止めることこそ真のアメリカ人なのではないでしょうか!」


 「真のアメリカ人」という、ウェブスター将軍の力強い声に、会場中が息を呑んだ。

 それは、カミラとアニー、そしてリンカーン大統領夫妻も同じで。


 その言葉は、アメリカ人として生きている者たちの心を真っ向から刺すような破壊力があると、アニーは感じた。


 ワシントン大統領や、約85年前の独立戦争の英雄たちを、アメリカ人は建国の父と呼ぶ。

 それはアニーやカミラを含めたあらゆるアメリカ人にとって、心の支えにも等しい存在なのだ。


 パパ、すごい。


 ウェブスター将軍の言葉を聞きながら、傷だらけの合衆国の国旗を見ているうちに、アニーの胸は高鳴ってきた。


 私、星条旗の歌※を歌う時だって、いつも嫌々やる派なのに。


※「Star Spangled Banner」、後のアメリカ国歌。


 だが、人の言葉、特にそこに心からの想いがのせられている時、いかにも容易く人間は乗せられてしまうのか。

 そのことを悟るには、アニーは、そして人一倍慎重なカミラでさえ、まだ人生経験が足りなかった。

 会場中の人間が、ウェブスター将軍の国を思う「正義感」と、一体化して、しまった。


「私は軍人として、そしてアメリカ人として、建国の父たちに恥じぬよう、微力ながらも自分のすべてを注いで力を尽くしていく所存であります!! 我々は、正義を前に、嘘はつけない! 真のアメリカ人として、国をふたたび一つにすることを、今ここで神に誓おうではないか!!」


 締めくくった後、ウェブスター将軍は優雅にお辞儀をして。


 1秒遅れてカミラと、そしてそれを見たアニーは、深々と膝を曲げた。


 観客たちは静まり返った後。


うわあああ!と壁が割れるような歓声が響き渡り、場内に盛大な拍手の音であふれかえった。


「俺たちは、真のアメリカ人だ!」

「正義には嘘をつけない!国を俺たちの力で分断から守るんだ!」


 その熱気のまま、軍服姿の若い男たちがウェブスター将軍を取り囲み、そのままウェブスター将軍は若者たちに胴上げをされた。


「ウェブスターご令嬢たち!私たちは、アメリカ人であることをこんなに誇らしく思ったことはありません」

「ウェブスター将軍やあなたたちと同じ国民であることを、誇りに思います」


 なに、これ。

 皆が感激して、興奮してわめいてる。


 不思議なのはそれを、ちっとも耳障りと思わなかったことだった。


 縁台の後ろのオーケストラが、

 フォスターの「ケンタッキーの我が家」を小さな音で流し始めた。


 すると。

 アニーのもとに、


 マリンブルーの軍服を身につけたチャールストン少佐が、波打つ金髪をキャンドルの下で輝かせながら。

 そっと手を差し伸べる。


「アニー嬢、よろしければ」


 夢みたいだ。

 

「ええ、ええ、喜んで!!」


クラリネットの高らかな音とともに、

「ケンタッキーの我が家」の音楽に乗ってダンスが始まったのだった。




  懐かしきケンタッキーの我が家に太陽が輝く


  この夏は、彼らも楽しそうだ


  トウモロコシも実り、草地も茂る


  鳥たちは一日中歌を口ずさんでいる


  若者たちは小さな小屋にやって来て


  みんな陽気で明るく楽しそうにしている中


  苦難の時が戸を叩く


  懐かしき我がケンタッキーの家








 「苦難の時」なんて、味わったこともなく、これからどんな運命が待ち受けているのか、ウェブスター将軍の罪さえ知らずに。

 アニーは幸せの絶頂を味わっていた。




 運命は、自分が切り拓いていくものだと、心から、そう信じていたのだ。



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