ぷにぷにパラダイス

沢田和早

ぷにぷにパラダイス

 ウリにゃんは猫手ねこて酒造の飼い猫である。

 猫手酒造は創業百年を越える老舗。少ない人員をやりくりして酒造りをしているのでウリにゃんは放ったらかし。ほとんど野良猫状態である。


 そんなウリにゃんの大好物はウリ科の植物だ。

 一年中見かけるキュウリは言うまでもなく、マクワウリ、スイカ、メロン、カボチャ、ズッキーニなど見境なく何でも口にする。

 もちろん肉やキャットフードも食べるのだが、あまりうまそうではない。健康のため仕方なく食っている感じである。


「よし、仕込みを始めるぞ」


 工場ではもろみ造りが始まっていた。酒母に麹、蒸し米、水を加えてもろみを仕込む、非常に重要な工程である。


「今年は通いの蔵人さんは来ないのかね?」

「ああ、腰を痛めたそうだ。もう結構な年だからね。今年は私と君の二人だけだ。忙しくなるが頑張ってくれ」


 蔵元は杜氏に頭を下げた。もろみ造りは経験とカンがものを言う。素人には任せられない作業なのだ。


「やれやれ。こう忙しくちゃ猫の手でもいいから借りたくなるのう」


 杜氏がこうつぶやいた時、作業場の奥から妙な音が聞こえてきた。何かを柔らかいもので叩いているようなぷにぷにとした心地良い音だ。


「うわっ、何をしている!」


 蔵元が大声を上げた。作業場には麹室から出して枯らしを終えた麹が木箱に入れられて並んでいる。そのひとつをウリにゃんの前足がかき混ぜているのだ。


「ウリにゃん、あっちへ行け」

「うにゃ!」


 ウリにゃんは一声鳴くと悪びれることなく悠然と外へ出て行った。蔵元が頭を抱える。


「これは使い物にならんな。しかし捨てるのはもったいない。この麹は手桶に入れて自分たち用の酒を造るか」

「猫の手を借りたいとは言ったが、まさか本当に貸してくれるとはなあ。余計なことを言ってしまったわい。蔵元、すまんな」

「つまらんことで謝らんでくれ。さあ、作業を続けよう」


 その後はウリにゃんに邪魔されることなく順調にもろみの仕込みは終了した。

 それから約一カ月後、蔵出しの日。しぼられた原酒の出来はまずまずだった。


「これならお馴染みさんたちも喜んでくれるだろう」

「蔵元、こっちはどうするかね」


 杜氏が訊ねたのはウリにゃんの麹で作ったもろみである。他のもろみ同様この手桶のもろみも労をいとわず世話していたのだ。


「そうだな、しぼって飲んでみるか」


 ほとんど期待していなかった。猫の前足が触れた麹で作った酒などうまくできるはずがない、せいぜい料理に使えるくらいだろう、蔵元はそう思っていた。

 だが違った。酒袋から出てきた荒走りの段階ですでに独特の香りがする。中取りでも責めでもその香りは衰えない。こんなことは初めてだった。蔵元は枡に入れた原酒を口に含んだ。


「こ、これは!」


 経験したことのない味わいだった。キュウリに似ているがスイカのようでもある。メロンのようでもあるしカボチャのようでもある。そしてうまい。間違いなくうまい酒だ。


「驚いた。猫の手を借りた結果がこんな良質の酒になるとは」

「手桶ではなくタンクで作ればよかったですのう」


 この酒を量産できれば猫手酒造の経営も楽になるはず、そう考えた蔵元は知人に相談した。近くの大学で細菌を研究している生物学者である。


「ほほう、猫の手を借りた結果、名酒が誕生したのですか。実に興味深い」


 知人の学者は原酒とウリにゃんの前足を徹底的に調べ上げた。そして半年も経たずに原因を突き止めた。ウリにゃんの肉球には未知の酵母が生息していたのである。その酵母によって独特の風味と味わいが作り出されたのだ。


「発見した新種の酵母は『猫手酵母二二にゃーにゃー』と名付けました。もちろん培養にも成功しています。来年はこの酵母を使って酒を造ってください。そして私にも一瓶飲ませてください」


 知人の学者は酒好きだったのだ。

 翌年、猫手酵母二二を使った酒が完成した。売りに出すには名前を付けなくてはならない。


「猫の手が麹をぷにぷにしたことで生まれた酒か。ぷにぷにパラダイスでどうだろう。一口飲んでごらんなさい。あなたの気分はパラダイス!」

「若者受けしそうな名前ですな」


 ぷにぷにパラダイスの人気は上々だった。スイカのようでメロンのようでカボチャのような香りが癖になるのだ。

 が、それでも大評判と言えるほど売れたわけではなかった。世の中には銘酒と名高い地酒がたくさんある。それらと肩を並べるにはまだまだ力不足だったのだ。


「手のひらがぷにぷに、ですか?」


 切っ掛けは馴染客との会話だった。最近、左手の親指の付け根がぷにぷにし始めたと言うのである。見ると確かに少し盛り上がっている。触ってみるとぷにぷにする。その感触が微妙に気持ちいい。


「毎日ぷにぷにパラダイスで晩酌しているせいかもしれませんな、はっはっは」


 その時はそれだけで終わった。しかし似たような話がネット上で拡散し始めたのだ。


 ――親指の付け根、ぷにぷにだよ。何で?

 ――もうね、ほとんど肉球。ボクの前世って猫だったのかな

 ――えっ、これってもしかしてあたしが愛飲しているぷにぷにパラダイスのせい?


 そんな書き込みがあっちこっちに散見されるようになった。そしてその原因は確かにぷにぷにパラダイスにあるようだった。なぜなら親指の付け根が肉球になる者は全員ぷにぷにパラダイスを飲んでいたからだ。


 ――あれ、オレはぷにぷにになんかならないぞ。

 ――私もならない。人によるのかな。


 しかしぷにぷにパラダイスを飲んだ者全員が肉球持ちになるわけではなかった。

 さらに調べていくと毎日猫と一時間以上触れ合っている重度の愛猫家がぷにぷにパラダイスを飲んだ時だけ親指の付け根が肉球に変化する、ということが判明した。


「人体に影響を及ぼすような製品を放ってはおけない。とにかく回収しなくては。ご迷惑をおかけしてすみません」


 蔵元はぷにぷにパラダイス回収の広告を出した。しかしそれに応じた者はひとりもいなかった。むしろその逆だった。

 猫手酒造の酒を飲んで猫を可愛がれば誰でも肉球持ちになれる、この事実は日本中、いや世界中の愛猫家たちの心を大いにくすぐったのだ。


「ぷにぷにパラダイス、十本予約します」

「俺は五十本だ。両手両足に肉球を発生させてやる。まさにぷにぷにパラダイスだぜ!」


 世界各地から注文が殺到した。肉球、それは愛猫家たちの夢だったのである。

 猫手酒造は一躍世界のトップ酒造メーカーにのし上がった。今では世界五二カ所に酒造工場を持つ年商十兆円の大企業である。


「猫の手を借りた結果、こんなことになるとはな。ウリにゃん様様だ」

「にゃあ」


 裕福になった蔵元は毎日ご馳走をたらふく食っているが、ウリにゃんは相変わらずキュウリやスイカを食べている。自分の手を貸してやって周囲の状況が激変しても、自分の生活を頑なに変えようとしないのが実に猫らしいと言える。


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