強かな猫
平 遊
借りたつもりが・・・・
「やっっっべぇぇぇーっ!」
ノートとノートの間から顔を覗かせたA4の紙に、拓馬は顔面蒼白になった。
(シャレになんねぇシャレになんねぇシャレになんねぇ・・・・マジヤバイって!)
その紙は、大学で選択した講義を担当している教授から、拓馬に直接渡されたもの。
指定の本を熟読し、レポートにまとめて期日までに提出せよ、との指示が書かれている。
出席日数が極めて危うい拓馬への、教授からの温情とも取れる最後通告。
もしレポートを提出することができなければ単位を落とすことになり、留年はほぼ確定だ。
記載されている期日は、明日の正午。
だが拓馬は、指定の本をまだ、一文字も読んではいなかった。
(どうしよ、どうする俺?!まだアレもやってないし、アッチも提出明後日だしっ!)
頭の片隅にはあったのだ。
だが、バイトとサークル活動とゲームに明け暮れている内に、いつの間にか気づけば期日は明日。
幼い頃からいつでも、宿題はギリギリになって慌てて取り掛かるタイプの拓馬。
時には友人や親の力まで借りることもあったが、さすがに大学生になってまで親の力を借りることは、いくらなんでも憚られるし、もう夕方近くの今になってからでは、明日の昼までに提出のレポートを手伝ってくれそうな友人も見つかりそうにない。
ちなみに親からは、
「留年するなら、学費は自分で払いなさいよ」
と、大学入学時に釘を刺されている。
(ああぁぁぁ・・・・時間がねぇっ・・・・猫の手も借りたいっ!・・・・まぁ、【猫の手】なんか借りたってどうにもならんが)
とりあえずと、熟読することは諦めつつも指定の本を鞄から取り出した時。
コンコン
控えめなノックの音が響いた。
「なんだ?」
拓馬の声に、開いたドアから顔を覗かせたのは、高校生の妹、明奈。
クリっとした吊り目が猫のようで、性格もどちらかと言えば犬よりは猫に近い。
「どうかしたの?すごい大声が聞こえたけど・・・・」
明奈の顔を見たとたん。
拓馬はピンと閃いた。
この際、留年を免れるためなら何でもアリだ。
明奈には、【猫の手】になってもらおうと。
「なぁ、この本読んだ事あるか?」
「え?あぁ、それならこの間ちょうど読み終わって、図書館に返したところだよ。なんだ、お兄ちゃん持ってたんだ?」
拓馬とは血の繋がった兄妹とは思えないくらい、明奈はしっかりものの妹。
宿題も、ギリギリになって慌てた事など一度も無い。
おまけに、明奈は幼い頃から大の読書好き。
小学生の頃には中学生が読むような本を、中学生の時には高校生でも読んでいる人は少ないと思うような本を、そして高校生になってからは、時折拓馬の大学での講義のテキストにもなっているような本を好んで読んでいた。
(ビンゴっ♪)
部屋のドアの隙間から顔だけを覗かせている妹を、拓馬は部屋の中へと招き入れる。
「明奈ちゃん、こっちにおいで」
「・・・・なに?お兄ちゃん、また何か企んでるでしょ?」
眉を顰めながらも、明奈は言われた通りに拓馬の部屋へと入って来る。
「モノは相談なんだが」
「いやよ」
「ちょっと待て。俺はまだなにも」
「お兄ちゃん、またズルするつもりでしょ?」
「ずっ、ズルとはなんだっ!お兄ちゃんは、使えるものはなんでも使う、ただそれだけだっ!」
「・・・・それがズルなのよ。結局自分でやらないんだから」
はぁっ、と溜め息を吐きながら部屋を出て行こうとする明奈の腕を、拓馬はとっさに掴んだ。
まさに、藁にも縋る思いで。
拓馬の留年回避の為には、明奈の協力は絶対的に必要不可欠だった。
「タダでとは言わないっ!」
拓馬の腕を振り払おうとする明奈の動きがピタリと止まる。
「お前が欲しがってたあのバッグ、お兄ちゃんが買ってやる!」
「・・・・ん~・・・・」
明奈が迷い始めたのを見て、拓馬はもうひと押しとさらに被せる。
「財布も一緒でどうだっ!」
正直、バッグと財布の出費は、拓馬にとっては痛い出費だ。だが、年間の学費と比べれば、大したことはないだろうと、腹を決めた。
「もう、しょうがないなぁ、お兄ちゃんは。で?何をすればいいの?」
ニコニコしながら隣に座りなおす明奈に、拓馬はホッと胸をなで下ろしながらも、可愛い妹の将来がふと心配になった。
(お前、悪い男には絶対騙されるなよ・・・・)
こうして【猫の手】明奈の協力もあり、拓馬は無事に提出物を全て期日内に提出することができたのだった。
-数日後-
「いやぁ、よくここまで深く読み込んだものだねぇ。まさかキミからあれほどまでに素晴らしいレポートを提出されるとは、夢にも思っていなかったよ」
講義の終わりに呼び止められ、ガランとした教室で拓馬は教授と対面していた。
教授の言う【素晴らしいレポート】とは、もちろん明奈が作成したものだ。
レポートはWord作成のメール提出のため、誰が作成したのかなど教授に分かるはずはない。
念のためと、明奈には拓馬のPCでレポートを作成させ、メール提出自体は拓馬が行った。
何も問題は無いはずだった。
だが。
「で?誰なんだね?【明奈】さんというのは」
「・・・・えっ?」
「レポートの最後に署名が入っていたよ」
落ち着けば、いくらでも言い訳はできるはずだった。
だが、言われた瞬間、拓馬の頭は真っ白になった。
(嘘だろっ?なんであいつ・・・・)
思いかけて、ハッと気づく。
クセなのだ。
明奈はいつも、何か文章を作成した後に必ず【明奈】の名前を入れていた。
途中、眠いと言って眠ってしまった明奈がレポートを完成させたのは、提出期限の15分ほど前。
時間がなかったとはいえ、中身を確認することもせず、慌ててそのまま送信してしまった拓馬の痛恨のミスだった。
「一度ぜひ、【明奈】さんとお話してみたいものだねぇ」
穏やかな笑顔を浮かべながらも、教授の目は笑ってはいない。
「すっ・・・・すみませんっ!明奈は俺の妹ですっ!どうしても間に合わなくて、それでつい妹に・・・・」
拓馬の言葉に、教授の顔つきが変わった。
「妹さん?」
「はい、高校生なんですけど」
「それはまた・・・・」
拓馬を見る教授の目が、何やら怪しげに輝き始める。
「今度、私のところへその妹さんを連れてきなさい。是非一度、このレポートについて話を聞いてみたい」
「・・・・はぁ」
「それからキミの単位についてだが」
教授の言葉にドキリとし、拓馬は直立不動で教授を見た。
そんな拓馬に。
「今回のレポートは未提出とみなす。よって、キミは残念ながら留年確定だ」
教授は無常にも告げた。
「・・・・そんなぁ・・・・」
だが、ガックリと項垂れた拓馬を見て、教授はニヤリと笑って言った。
「と言いたいところだが。キミにはレポートをもうひとつ追加しよう。ひとつは今回のレポートだよ。今度はキミ自身が作成するように。それからもうひとつは、明奈さんとキミのレポートの相違についての考察だ。完成したら、明奈さんと一緒に私のところへ来なさい」
「えっ?それじゃあ・・・・」
「もちろん、今回のレポートが未提出の場合は、単位はあげないよ」
そ言うと、教授は弾むような足取りで教室を出て行く。
「久々に面白い子に会えそうだ・・・・」
などと呟きながら。
「明奈~、ちょっといいか?」
「うん」
ドア越しに声を掛け、明奈の返事を待って部屋に入った拓馬は、読書中の妹の顔をじっと見た。
明奈が今読んでいる本も、講義のテキストにでもならなければ拓馬は読まないであろう類の本。
その明奈の後ろには、先日拓馬が買ったバッグが置かれている。きっと同時に買った財布も、その中に入っているのだろう。
一緒に買いに行った時には、拓馬が恥ずかしくなるくらいに纏わりついて離れなかった明奈だが、今は本に夢中で拓馬を見ようとさえしない。
まるで気まぐれな猫そのものだ。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
部屋に入ってきてから一言も喋らない兄をさすがに不審に思ったのか、明奈がやっと本から顔を上げた。
「あの、さ。今度・・・・」
「いやよ」
「ちょっと待て。俺はまだなにも」
「私もう、欲しい物無いから。お兄ちゃんのズルは手伝わないからね」
「違うってば」
「じゃあ、なに?」
訝る明奈に、拓馬は今回の事の顛末を話して聞かせる。
と。
「先生、私のレポートちゃんと読んでくださったのね」
何故かうっとりした表情を浮かべる明奈。
「え?」
「私実は、先生の大ファンなの」
「・・・・お前もしかしてわざと・・・・」
「ふふっ」
「マジか・・・・」
その後の拓馬のお願い【教授の所に一緒に行く】については、明奈からはもちろん二つ返事で承諾を貰えたものの。
(なんか俺・・・・【猫の手】借りたつもりが、あいつに上手いこと使われたような・・・・?)
可愛い妹の思いもよらぬ強かさに、やはり将来を心配する兄、拓馬なのであった。
(頼むから、男の心を弄ぶような奴にはなってくれるなよ・・・・)
【終】
強かな猫 平 遊 @taira_yuu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
転べばいいのに/平 遊
★30 エッセイ・ノンフィクション 連載中 9話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます