第3話 不遇の王子

 地面の固さではなく、上質な生地の寝具の感触に違和感を覚えて目を開けると、古いけれ腕の良い職人の手によるものだと素人目にも判断できる手のかかった天井が目に入った。首を動かして周囲の状況を確認すると、どうやら私は寝具に寝かせられているらしい。人間用の寝台でも十分に大きいのに、畳四畳ほどの大きな寝台に縦に置かれた枕に寝せられ、丁寧に猫でも重くない布を布団代わりにかけてくれたようだ。首を動かした時に、全力疾走をした無理の代償で痛めた筋肉がひきつった。

 誰かと視線がかち合ったと思ったら、少し開いた扉から金髪の少年がこちらをこっそり覗いていた。声をかけようと口を開くと、短い悲鳴をあげて少年は扉を勢いよく閉じそのまま逃げてしまった。

 えー、あの少年がいなくなったら誰に聞けばいいのだろうか・・・。途方に暮れていると、少年が出ていった扉から、静かなノックの後に「入って良いですか?起きられましたよね」落ち着いた上品な老人の声が聞こえてきた。どうぞと促すと、声から想像できる執事然とした、白い髪をオールバックにした一部も隙のない紳士がお盆に桶を載せて現れた。

 「猫が人語を介することに驚かないのですね」反応を見るためにまず話しかけた。

 苦笑した紳士は「あなたがケット・シーであれば人語を介すことは別に不思議でも何でもありません。何より、私の主人が言葉を叫びながら森を走り回っていたとおっしゃっていましたから」桶のお湯に浸した布巾を絞りながら「失礼します、森を走り回っていたようなのでさっと清めさせていただきます」ほかほか心地よい絶妙な温もりの布巾で肌を拭ってくれた。

 「助けていただけたのにお礼も申さず問いただす非礼をお許しください。あなたとご主人?のお陰で助かりました、ありがとうございます。ご主人がここへ連れてきてくださったのですよね?」

 「えぇ、慌てた様子であなたが死んでしまうと息を切らせながら帰ってきました」

 もしかしたらさっきの私を見つめていた金髪の少年が彼の言うご主人かもしれない。紳士を見上げ、「ではあなたのご主人にもお礼を言わせてください。彼がいなければ本当に私は死んでいました」

 少し天井を見つめ顎の白くなった髭を一なですると、再び私と目を合わせ「分かりました、主人に伝えます。まずは養生してください。」

 「分かりました。しばらくご厄介になります。」「えぇどうぞそうしてください。主人も喜びますから」頭を下げてから紳士は部屋を後にした。

 そういえば私が目を覚ましてから体を清めてくれたけど、寝てる間にそれもできたのに、ビックリさせないように目覚めまで待ってくれたのかな?紳士はおそらく執事だろうし、執事がいるここはおそらく良家のお屋敷だろう。メイドさんに謝っておかなければ。さっき言えばよかった。咄嗟に出ないなんてぬかったわ。それより、この部屋10坪はあるよね、寝室がそれって、この屋敷の全貌と部屋数を考えたらゾッとしないわ。今の私の体では全て回るまで何日かかるやら。やるつもりはないけどね。考えるだけ。

 ギイ、と再び扉が開くと、またあの金髪少年が部屋に入って来た。目は合っているのだが、どうやら近寄っていいのか思案しているようだ。「ねぇ、こっち来て私の話相手になってくださいませんか?」右手を招き猫のようにちょいちょいと動かしてみると、ぱあっと目を輝かせた彼はゆっくりとだが興奮を隠しきれない様子で寝台まで近づいた。多分この人の寝台か客室だろうが、「ねぇ、ここ座ってよ、立たれてちゃ落ち着かないよ」布団をぽんぽん叩きながら促す。「うん!」何度も頷きながら寝台に腰かけたが、猫の私と目線が合わず、ごろんと横になった。

 横になった彼と同じく横になった私は目を合わせながら、「あなたが助けてくれたの?」「うん、いつも遊ぶ森に大きな竜に追いかけ回される猫がいたから遠巻きに見ていたの。でも竜が倒れて猫ちゃんがそこから離れたから追いかけたんだけど、いきなり倒れちゃったからうちに連れてきちゃった。あそこがもしかしてお家だったの?」眉が八の字になり、不安そうな表情になってちょっとお目目が潤んでいる。これはマズイぞ。

 すうと一呼吸おいて「ううん、気付いたらあの森にいただけで、別に家じゃないの。あなたがお家に連れて帰ってくれたお陰でたすかったよ、本当にありがとうね。」目を合わせあがら謝辞を伝えた。

 今までの不安げな表情から一変、ぱあっと花が咲いたように笑顔になり恥ずかしそうにした。この世界でも名前を聞く前に名乗ることが礼儀なのかな?でも前世の名前を名乗るのはなんだか障りがあるような・・・。素直にこれを言って名前を聞こうかね。

 「あのね、私は名前がないんだけれど、あなたの名前を聞いてもいいでしょうか?」

 「名前ないの?僕はジェイドだよ。」お目目が綺麗な碧眼だからジェイド(翡翠)なのかな?「素敵な名前ね。図々しいお願いなんだけど、名前がないのは困るから名付けてくれませんか?良かったらだけど。」

 えっとビックリしてから、顔を赤くしたり青くしながら、うんうん唸った後、「君はジンジャー柄だからジンジャーはどうかな、そのまんまなんだけど。」人差し指同士をツンツンしながら上目使いをする。あらこの子可愛い。将来きっと女泣かせになるだろう幼いながらに整った顔立ちだわ。

 「ジンジャー、何て素敵な名前だろう、ありがとう!大事にしますね。よろしく、ジェイドさん。」にっこり笑顔を作ると、照れたジェイドはまた部屋から今度は走って退出してしまった。本当に可愛いな。

 またノックが聞こえ、紳士の声が再び扉の向こうから聞こえ、さっきのやり取りをしてから彼が寝台まで近寄ってきた。

 今度は名前があるので「私はさっきあなたの主人に名付けていただき、ジンジャーと相成りました。あなたの名前を教えていただけますか?」

 「ジンジャー様、私はオニキスと申します。この屋敷の執事です。」やはりか。踏み込むのは失礼だろうが、「あの、もしかしてジェイドさんとオニキスさん以外はこのお屋敷におられないので?」恐る恐る伺ってみる。

 「えぇお気づきの通り、主人と私のみでこの広大な屋敷に住んでおります。故にあなたを連れてきたご主人は、傷ついたあなたに焦りながらも同時に仲間ができるのではと期待しているようでした。」

 ますます高貴な子息のにおいがする。「あの、私実はこの世界に来たばかりで、しきたりや立場に疎くてございます。どうかジェイドさんのお立場を口外しないので教えていただけませんか?」

 三拍ほど置いたのち、「まるっきり知らないのでしたらかえってよいかもしれませんね。ジェイド様は、ジェイド・レオンハート。レオンハート国のレオンハート王の息子、つまり王子です。」 

 「ジェイドさ、様は王子であらせられるのにここにおられるということはつまり、」

 「えぇ、母君である王妃様がみまかられ、王が病に伏せると、側妃様が幼いジェイド様を守る名目でこちらの安全地帯にいるように仰せられたのです。」

 「あのオニキス様、差し出口をお許しください。それはつまり、蟄居というか・・・」

 「私の口からは何とも」

 困った表情のオニキス様だが、肯定だと言外に言っているようなものだ。

 どうやらジェイド様は、私が思ったよりずっと、厄介で身動きがとれない立場にあるようだ。

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