第2話 呪いの森
どうやら私は猫になったようだと、見慣れた肉球を備えた両手を眺めてぼんやり考えた。足元を見れば二足歩行で、猫が四足で歩かないところを見ると、これが異世界転生というやつだろうか。意識を失う前の記憶を手繰ると、そういえば猫ちゃんを抱えてうっかりトラックの前に飛び出してしまったから、まさかとは思うが猫ちゃんと存在が混じってひとつのからだに魂が同居するとかそういう?
(察しがいいですね、その通りです)脳内に直接厳かでありながら品のある声が響いた。
「もしかしてその件に関係する神様でしょうか?」(ええ話が早くて助かります)
私は右手で右頬をポリポリと掻きながら、この神は目的があって転生させ、それを果たさない場合の罰則がないかどうか不安になり「異界から来た私にしかできない行動があって、それを望むのでしょうか?」そのまま問いかけた。少し思案する気配がした後、神は「いや、それもいいけどあなたは今猫の身でしょう?人間にとっても対峙すればその大きさにすくむような巨大な竜退治を頼んでも困るでしょう。私もそこまで鬼ではありませんよ、神ですが。」
竜には恨みはないけれど、どうやら神にとっては目の上のたんこぶらしい。だが先程の言葉は聞き捨てならぬ。猫の身だから人間より遥かに大きい竜を退治できないだって?できないって言われると意地でもやり遂げたくなる反骨心がむくむくと沸き上がって来た。
「いいえ神様、お言葉を返すようですが、なんとかとハサミは使いようといいましょう。猫だからこそ油断した鈍間な竜を出し抜くこともなきにしもあらず。失敗したら私が命を失うだけですが、成功したら御の字では?ここは是非私にお任せを。ただ・・・」
(ただ?何か入り用ですか?)
「えぇ神様、今の私の能力とこの世界について、そして魔法があるかどうか一通りご教授いただきたい。」
(まず予想通りに魔法が使える世界であり、ここでは魔物や魔物を眷族にできる魔族、あなたと見た目はほとんど違わないケット・シーなど、人間以外の種族も数多く住んでいます。なので腕が立つか魔法が使えないと詰みますね。)
「私は魔法は」(使えませんね)ジトッと神がいるか分からないが明後日の方向を見ると(さすがに魔法を持たないただの二足歩行の猫に巨竜退治は無体でしたね。)
その通りだよ、どこの世界に無力な猫を犬死に(やると言ったのは私だけども)させようとする抜け作がいるのよ、確認しなきゃ竜のおやつか森の肥やしになるところだった・・・。社会人時代に染み付いたホウレンソウが功を奏したね、危ない危ない。
(では、まず私からの加護を、そして魔法を使うためにケット・シーにあなたの体を作り替えます。魔法の使い方は適当に覚えて下さい。そして言語ですが、全ての生物と意思疏通を図れるようにしましょう。識字は読めるだけですが、書くためには勉強してください。では)
頭の中からスッと気配が消えたと思ったら、何度呼び掛けても神は返事をしなくなった。まだどこの巨竜を倒せばいいのか聞いていないのに!あの神様、抜け作の他にものぐさでもあったのか。何て厄介!ケット・シーになったというけれど、具体的に何が変わったのかしら。めんどくさそうに話す辺り、自分で考えて行動しなさいっていう割りにいざ自己判断で動くと「どうして自分の裁量で判断するのか、何て身勝手!」批判する二律背反上等な人物である可能性が高いな。あとは自分でやれと言われたけど、現地のなるべく万事に通じた識者に教えを乞う方がお利口だろうね。いきなり大勢がいる前に人語を介す猫が現れても、見世物扱いさせてもまともに話を聞いてもらえなさそう。少人数で教養高い、どこかの子息の懐に入って情報収集といこうかね。いや、まずこの世界の文明というか時代設定を知らないと。そのためにはこの森をどうにか抜けなければ。まさかこの森に竜がいたりしないよね。
地震とは違う地響きに私は飛び上がった。自分の跳躍ではなく、バレーボールを打ち上げる要領で何センチか浮き上がっただけだが、それが連続するのはおかしい。そして今は昼だったのに、なぜか夜みたいに暗い。いや、暗いんじゃない、何か大きなモノが私の目の前にいてその影に隠れてしまっただけだ。現に太陽ほどの高さからはぁはぁと生々しい息づかいが聞こえ、生暖かい息が耳を撫でた。
恐る恐る首をあげると、逆光で何も見えないし、大きさが違い過ぎては虫類見たいな横線が等間隔に広がる黄色がかった白い腹しか見えない。日本画の竜ではなく、とかげの腹部を豊かにして二足歩行にしたいわゆる西洋竜「ドラゴン」が目の前に立ちはだかった。といっても、あまりに大きくて幅も把握できないし、手足は当然猫である私の何倍もの大きさ。恐らくはぁはぁ荒い息を吐く割に私の存在を認識できていないと思う。人間にとってノミ、象にとってのネズミとかそんな感覚じゃないかな?腹の周りにはは虫類らしくワニのようなごつごつした肌なのだが、それらしい艶がない。黒いのだが、まるで泥というよりコールタールみたいなねばつきが鱗をベッタリと覆っていて正直これに打撃を加えるのは気が引ける。
神の言うところの竜が彼(彼女?)か?もしそうなら早速目的が達成できて手間が省けるが、魔法を授けられたというがまだ使い方を知らない。とりあえず距離をとってから魔法を試して見て、状況次第では逃げよう。竜から目を離さないように音を立てずに後ずさる。これだけ小さい私の動きは分かるまいよ、高をくくっていたら、下がった分だけ竜が距離を積めてくる。
まさか、その魔法が使える故に感知されているか、ケット・シーだから存在を認識されているとか?こうなりゃ火を噴かれても猫の脚力で全力を出せば竜をまくことくらい容易かろう。四足に戻って走ってみると、なかなか早く走れない。あれこれ考えないで体に染み付いた動きに任せると、やっと走れた。もしかしたらこの体の持ち主が教えてくれたのかな。
猫の時速は約40キロは出る。いくら竜でも敵うまい!にやにやしながら振り向くと、一本一本の歯が私の体ほどの凶悪な口と、シトリンのような綺麗な瞳に黒い縦線が入った眼球、二本の角が生えた正真正銘のドラゴンの顔があった。口からは舌と溢れる涎が見え、先行する私にびちゃびちゃと涎が飛んでくる。逃げねば。
右に左に避け、急停止して急発進を繰り返し何分走ったろうか、長時間の全力疾走に適していない猫の体は悲鳴をあげる。肺はキリキリ痛むし、肉球も地面に擦れてヒリヒリする。もしかしたら出血しているかも。いやそれより、この状況を打破せねば。
何か決め手はないかと走っていると、森の奥まで来たようで、古い祠らしき石造りの古めかしい歴史を感じる建物があった。人一人が入れる程度の大きさだが、今の私の体の大きさ的にはかなり広い。蔦が建物全体を多い、祠の前に回り込んでも蔦だらけで何が祀ってあるのやら。「ごめんなさい、ちょっとご神体を見せてください」拝んでから蔦を爪で切って払うと、ご神体なのか幅広剣が一本石に突き立ててあった。祠の奥の壁には「剣が選んだもののみが抜け」刻んである。竜も祠を見つけたようで、地響きが大きくなってゆく。ええい、四の五のいってられるか!剣の柄を握るために飛びかかった。私の手が剣に触れた瞬間、祠を眩い光が包んだ。にょにょと間抜けな音を立て、白い光を放ちながら剣が縮み、猫の手でも握れる鉛筆に持ち手と柄をつけたようなレイピアが手の中にあった。
その瞬間、竜が背後に現れ、私を食べようと顔から突撃してきた。咄嗟に今手に入れたばかりのレイピアを突き刺すと、竜の大きな鼻に刺さった。鼻は他より柔らかかったようで、耳をつんざく重低音の悲鳴をあげながら悶絶し、コールタールみたいなねばつきが竜から離れ、空に吸い込まれていった。竜は悶絶した姿勢のまま硬直し、私はその隙にまた全力でそこから離れた。
竜と追いかけっこした時よりもずっと長く走ったら、くたくたになってもう動けなくなってしまった。どうやら体力の限界のようだ。思う間もなく意識を手放すと、泥のように眠った。
近くの木の陰で私を見つめる目があるとも知らず。森を全力疾走していた猫が、疲れはてて動けなくなるのを見ていた金髪の少年は、そっと猫を抱き上げてどこかへ去って行った。
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