家事代行サービス・猫の手

紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中

お代はひとつ

「オイ、ゴラァ! 返却期限、とうの昔に過ぎてっぞ! 借りたモンはちゃんと返せってガッコで習わなかったんか? あぁん?」


 ガァンッと扉を蹴られる音で目を覚ました。時計をみれば、もう夜中の二時になろうという頃だった。

 草木も眠る丑三つ時。真っ暗な部屋の中に、洗濯機の回る音がする。ベッドから体を起こして電気をつけると、小さなテーブルの上にラップをしたご飯が用意されていた。

 ご飯と味噌汁に焼き鮭。ツナサラダもあれば、小松菜としらすの和え物やちくわの磯辺焼きまである。魚多くないか? というかほぼ魚……と思っていたら、再び扉が荒々しく蹴り上げられた。


「いるのは分かってんだぞ! さっさとドアを開けやがれ! じゃないとぶち破るぞ、ゴルァッ!」

「落ち着きなさい、キジ。それに扉を破るのは違法ですよ」


 ガラの悪い声の主――キジと呼ばれた――を宥めるように、今度は落ち着いた柔和な声が聞こえた。


「何だよ、ハチ。違法っつったら、返却期限過ぎてもシロを返さないコイツも違法だろうが」

「それはそうですが、闇雲に怒鳴るのは品位がありません。ボスからも言ってやって下さいよ」

「……にゃ」


 どうやら扉の向こうには三人の男がいるらしい。

 気性の激しいキジと、宥め役で知的な雰囲気がするハチ。そして低い声で溜息をついた、ボス。彼らは僕が借りたものを引き取りに来たらしいが……はて? 僕は何か借りただろうか。


 ここのところ仕事が忙しく、帰宅してもすぐに眠る生活が続いていた。食事は三食コンビニ弁当。掃除も洗濯も追いつかず、元からそう綺麗好きでもなかった僕の部屋は一週間もすれば立派な汚部屋へと変わり果てていた。


 立て込んでいた仕事は何とか片付けたものの、無理がたたって熱を出したのが確か三日前。食べるものもなく、意識朦朧の中で119番へ電話したはずだったのだが……もしかして間違ってどこかへ電話してしまったのだろうか。

 そう思い慌てて周囲を見回すと、床に転がったスマホの横に一枚のチラシが落ちているのが見えた。ひっくり返して裏を見ると、そこには「家事代行サービス・猫の手」と書かれている。


「猫屋敷様ですよね。あの、まずは扉を開けて頂けませんか? こちらといたしましても穏便に済ませたく……そちらへ出張しているシロを返却して頂きたいだけなのです」

「あっ! あぁっ、すみません! 僕も熱を出して寝込んでしまってて……いま開けます!」


 どうやら僕は間違って家事代行サービスを利用していたらしい。完全にこちらのミスだ。キジという男は少々怖い気がするが、温和そうな声のハチさんがいるなら暴力沙汰にはならないだろう。きちんと説明して謝れば分かってもらえるはずだ。そう期待して開けた扉の向こうにいたのは、三人の……いや、三匹の猫だった。


 キッと目つきの鋭いキジトラと、シュッとしたスマートなハチワレ。その二匹の間にどっしりと構えるのが、少しでっぷりとしたサビだ。


「おぉぅ、やっと開けやがったな! おっせーんだよ、このノロマが」


 そう悪態をついたキジトラが、僕を見上げてシャーッと威嚇した。キジトラを制止するように一歩前に出たハチワレが、長い尻尾を揺らしながら僕の足元から部屋の匂いを嗅いでいる。


「あぁ、今夜の晩ご飯は焼き鮭にツナサラダとちくわの磯辺焼き。ついでに小松菜としらすの和え物ですね。ご馳走じゃないですか! シロがお役に立ったようで何よりです」

「シロ?」

「猫屋敷様のお宅へ派遣した、うちの従業員ですよ。実は彼女、ボスのお気に入りでして……なかなか帰って来ないので、今夜こうしてお邪魔させてもらいました。ね、ボス?」

「……にゃ」


 ボスと呼ばれたサビは照れ屋なのか、それともただの無愛想なのか、さっきから一言しか喋ら……鳴かない。まるでこの辺りを牛耳るボス猫のような貫禄だ。目つきも何となく鋭い。


「そんなに大勢で来るなんて、一体どういうつもりなの?」


 不意に、部屋の奥から女の高い声がした。

 どこぞの令嬢みたいにツンとした声の主は、白く綺麗な毛並みの白猫だ。洗練されたモデルみたいに部屋の奥から歩いてくるので、短い廊下がまるでファッションショーのランウェイに見えてしまった。神秘的な青い瞳に見つめられれば、さすがのボスもデレデレに。


「……にゃ」


 ……ならなかった。いや、分からないだけで悩殺されているのかもしれない。


「まぁ、そう言わないで下さい、シロ。ボスはあなたが心配でニボシも喉を通らなかったんですよ」

「失礼しちゃうわ! 私が二足歩行の男とどうにかなるとでも思ってたの? 私は与えられた任務を完璧に遂行しただけよ」

「契約期間は昨日までだろーが! 伸びるならちゃんと連絡入れろや、ゴラァ!」

「相変わらず、キジは野蛮で嫌だわぁ。こんなヤツ放って置いて、さっさと帰りましょ、ボス。いっぱい働いたから、わたし疲れちゃった。帰りに『マタタビカフェ』に寄っていきましょうよ~。いいでしょ?」

「……にゃ」


 最後までニヒル?なサビはそのままシロを連れて夜の闇へと消えてしまった。とりあえず彼らのボスがいなくなったので、少しだけ場の空気が軽くなる。無口でいてもいなくても分からない感じだったけど、やっぱりサビは紛うことなきボスだったようだ。


「……はぁ。本当にボスはシロに甘いんですから……」

「まぁ、アイツの無事も確認できたわけだし? あとは代行サービスの料金しっかりもらって、さっさと帰ろうぜ。俺もマタタビ吸いたくてたまらねぇや」

「ほどほどにして下さいよ、キジ。あれを吸い過ぎて廃人になった猫を、私は数多く見てきましたからね」


 それはマタタビと言うより白い粉……。


「えぇと、猫屋敷様」


 正面に回ったハチが、背筋をぴんっと伸ばすように尻尾を伸ばして僕を見上げた。その隣で落ち着きなくウロウロするキジは、何だか完全に薬の切れたヤバい人(猫)みたいだ。


「この度は家事代行サービス・猫の手をご利用頂き、ありがとうございます。契約期間は二日とのことでしたが、一日オーバーしておりますので追加料金がかかります」

「追加料金……。えぇと、全部でいくらですか?」


 元々の料金も分からないので、とりあえず財布から一万円札を取り出した。するとそれを見たキジが、突然牙を剥き出しにして僕に飛びかかってきた。そのまま僕の手から一万円を掠め取り、地面に丸い手でダンッと叩き付ける。ぶわっと広がった尻尾が、キジの怒りをあらわにしている。


「バッカ! お前、バッカじゃねぇの!?」

「え? 何、どうして怒ってるの? まさか一万円じゃ足りないとか」

「この二足歩行のアホンダラァ! 紙切れ一枚で腹が膨れると思ってんのか、ゴラァッ!」

「じゃぁ何で払うんだよ!」


 たまらず言い返した僕をジトリと見上げて、キジが剥き出しにした爪でガリッと一万円札に穴を開けた。


「俺らの褒美といえばひとつしかねぇだろうが」


 ギラリと光るキジの目に、僕の喉がゴクリと鳴る。


「――ちゅーゆ、寄越せや」



 

 明くる朝。

 穴の開いた一万円は、大量のちゅーゆに変わった。


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