第肆拾陸話 徒花の棘〈四〉
陰陽国 社殿『
しかし一々説教くさい大叔母“
「…赫夜、聞いているのですか?」
「…聞いてる聞いてる」
「それは聞いていない時の返事です。もっと真面目に聞きなさい、大事な事ですよ!」
「わかってるってば! そうやって一々中断して説教するの、やめてくれない!?」
実は十五夜が話を止めて説教するのはこれが四回目。それだけ赫夜の注意が散漫であるということだが、行事前ということで彼女自身もとてもピリピリとしているが故だった。だが当の本人は知ったことではない、といった様子で今は離れている朔夜のことばかりを考えていた赫夜だったが、また話を中断されこの退屈な時間が長引くことは避けたい為に、仕方なく座り直して黙って拝聴することにした。
「…わかりました、申し訳ありません。もうちゃんと聞くので続きをお願いします」
「いいでしょう。では最初から」
「……さいあく」
もはや赫夜にとっては耳タコではあるが、十五夜がまず最初に話すのは、『
毎年、その代の烏師が
『兎君のことは歴代の烏師たちの力も借りましょう。恐らく兎君がこのままでは国全体もいずれ病むことでしょうから、わたくしが祭主を務めます“祭事”を毎年行うのはどうでしょう』
この烏師の提案により、その年の
その後、病弱気味だった兎君の容態はみるみるうちに回復に向かい、のちに七人の子女をもうけたのだった。そしてそのことに対し烏師と力を貸してくれた先祖たちに感謝し、祭事の二日目の夜には感謝の意を示す『隠君子の舞』を奉納するようになったという。
この長い講説を半分聞き流しながら耳を傾けていた赫夜だったが、堪えきれなかったあくびを思わず零しそうになった、その時。
ゴゴゴ、という地鳴りのような振動が足を伝って二人の脳を揺らした。感じたことのない振動に二人はぴたりと挙動を止め様子を伺った。暫くしてようやく治まりすぐさま立ち上がった赫夜が向かったのは烏の間の外で待機している乳母“
「揺籃」
「っは、赫夜! 失礼いたしました」
「それより今大きく揺れたが大丈夫か?」
「…揺れ、でございますか? いえ特には感じませんでしたが」
「なんだと…?」
赫夜と十五夜を黙らせるほどの大きな振動を何故か揺籃は感知していなかった。焦っていた赫夜は拍子抜けをくらって呆然としていると、背後から十五夜に呼びかけられ揺籃に「ならいい」と返して襖を閉めた。あの振動でも動じない十五夜はどうやら原因に心当たりがあるようだった。
「落ち着きなさい。大丈夫、心配はありません」
「なんでそう言い切れる?」
「今の揺れの原因が、地面からではなく“龍脈”から与えられたものであるからです」
「龍脈から!?」
「はい。でなければあの振動を感知した時点で、神官たちが騒いでいないことが不自然です」
そう言われて赫夜はあの振動を受けて社殿の誰も騒いでいない不自然さにようやく気づき、これが自分達二人にしか認識できないものだと再確認すると、気の抜けた身体はすとん、ともといた座布団の上に戻った。一度早まった鼓動を落ち着かせようと深呼吸をしたのち、赫夜は話を続ける。
「…で、どうして龍脈が突然振動を? 心当たりは?」
「あるわけなかろう。大体
「それに?」
「龍脈自体に問題はなさそうだ。振動の原因になったのは、楔となっている“柱”の方であろう」
「領主たちに守らせてるあの天守のこと?」
「あの天守が“柱”そのものであるいう話はしたな。その天守の地下には龍脈に直接繋がり力が漏れ出さないよう“蓋”がある。そこからなら龍脈が振動する程の影響を与えられるだろう」
だがそこは固く守られている、ということは赫夜も知っていた。“蓋”自体にも強い結界が施されていて、人の手で容易に開くものではない。それがもし万が一にでも開いたとなれば
「…そちらの調査は我々の方で行います。貴方には何が何でも今回の祭事を立派にやり遂げてもらいますから」
「はぁ!? なんでっ」
「優先順位が違います。私の目がないからといって、手を抜くのではありませんよ?」
いいですね、と念押しされた赫夜はこれ以上反論を許されず、後の時間は黙って静聴させられたのだった。
しかし赫夜の本心は、無理矢理にでも
❖ ❖
そしてそれからひと月後、各領主たちを招集して祭事の日を迎える。祭事は二日続けて行われ、一日目は御所内で烏兎の二人と公卿らのみで行われる祈祷の儀があり、二日目は日暮れに宴席を用意して領主たちを招き、舞姫たちが烏兎の先祖らに捧げる舞を披露するのだ。
その為、二日目の前日に到着した領主たちは御所の外のそれぞれに用意された邸にて翌日の夜を待ち、次の日の日が沈む前に昇殿する。この際に領主と同行できるのは領主の家族と、御付きの者が一人と決まっており、それ以外の者は各々の邸にて待機させられる。
今回、祭事に際にして
「…大丈夫か? 本当なら城で待ってもらった方がいいのだが」
「ご心配なく。可愛い従兄弟の大事な祭事を欠席するわけにはいきませんわ。本当だったら、その前の成人の儀にも出席したかったというのに、貴方様が駄目とおっしゃるから」
前回、青林が陰陽国に赴いた朔夜たちの“成人の儀”に際し、本心では共に祝いたかった陽炎だったが、その二日前から体調を崩していた彼女の身を案じた青林に置いてけぼりにされたことを未だ根に持った言い方をした。しかしその件に関して一歩も引かない青林に今にも夫婦喧嘩が始まりそうな雰囲気を崩したのは、夫婦の隣に後から座った南の
「――相変わらず仲が宜しいようですな、青林殿?」
「朱鷺殿、お久しぶりです」
「まぁ、赤帝殿。ご無沙汰しておりました、陽炎でございます。…ところでそちらは?」
病弱故、あまり行事に参加できない陽炎は久しぶりに対面する朱鷺に挨拶すると同時に、その隣に座った若い少年に目を向けた。
「紹介が遅れました。これは私の息子の“
「…お初にお目に掛かります、奥方様」
父の朱鷺に急かされ、遠慮がちに挨拶する少年——朱槿の初々しい様子に陽炎は微笑ましく笑った。まだ反抗期真っ只中といったその様子に、自分のまだ反抗期すら迎えていないが少し生意気な口を利くようになった息子を重ねながら挨拶をした。
「まぁまぁ、ご丁寧に。青林が妻、
「…はい」
「まぁまぁ。とっても可愛らしくて、とっても赤帝殿によく似ておられますね」
普段あまり陽炎のような女性と接する機会のない朱槿がオドオドとしている様を微笑ましく見つめながら、朱鷺は前々から気に掛かっていた青林の父——
「そういえば、青山殿の具合はどうなんだ。この前は少し顔色が良くなったと聞いていたが?」
「…いや、また悪化したようで今日も私は父の名代として出席した次第だ」
「なんと。では青山殿にはお大事に、とお伝えしておいてくれ」
「あぁ…。いや、原因はわかっているんだ」
元々容態の芳しくなかった
「…実はな、一カ月ほど前にその、陰陽国から一人の男が転がり込んできたんだが…」
「ふむふむ?」
「その男が、父上と面会した直後、何者かの手によって、その…、“暗殺”されたんだ」
「……はぁ!?」
思わず大声を上げてしまった朱鷺に静かに、と手振りする青林に慌てて口を閉じた。しかし驚かずにはいられなかった朱鷺は、動揺する口調で詳細について問いただした。
「ど、どういうことなんだ? 青山殿はその男と一体何の話を…?」
「詳しくはわからない。何せ父上が私に教えてくれないものでな、完全な蚊帳の外だ。しかしその男の死やその後に続いた諸々の事情による心労が祟ったらしい」
青林は自身が跡を継いだというのに父や古い家臣たちからまだ世話を焼かれて気を遣われているのが相当不服なようで、そのことへの愚痴をブツブツと呟きながら給仕の女官に注がれた酒を呷った。この後烏師から下賜される菊酒が待っているというのに、このままでは悪酔いしてしまいそうな勢いに陽炎と
「殿、飲みすぎはおやめください」
「涼風の言う通りです。貴方、そんなにお酒強くないでしょう」
どうにも弱い二人から制止され青林は仕方なく盃を置いた。落ち着いた様子の青林に朱鷺はちらりと朔夜たちがいるであろう御簾を目の端に捉えながら青林に耳打ちする。
「…この事、お二人にはもう?」
「いや。その男がどういう意図で父を訪ねたかわからない今、お二人に話すのは憚られる」
「しかし、ただの男が態々青龍の隠居に御目通りを願うなんて、よっぽどの――」
そこまで推理した朱鷺の頭に同じく先月自身の身の回りで起こった“とある出来事”を思い出してハッとする。
「…まさか、この前の“流罪の件”と何か関係が…?」
「なに、“流罪”? そんな重い刑罰がどうかしたのか?」
「実はな、同じ先月のことなのだが。陰陽国から遣いの者が来て、罪人二人の刑の執行の為、我が陵光領の港の船を貸して欲しい、と言われたんだ」
朱鷺の話では、先月の初旬に陵光領に使者としてやって来たのは前々より陵光領の国司を務めていた“
「しかし、流罪か…。確か数十年前にも一度執行されたはずだ、その時は我が朱雀も“とある問題”を抱えていた時期で、城内がごたついたことだけが文献に残っていたはずだ」
「で、一体どこの誰がそんな重い刑罰に処されたんだ?」
「…元大納言の
「何?!」
「他にも、公卿の大半が任を解かれて一家は離散したそうだ」
それを聞いた青林は改めて正面の席に並んでいる陰陽国の公卿たちの顔を見比べ、その何人かが見覚えのない顔に変わっていることにようやく気づいた。
「何故そんなことに…」
「…詳しくは知らないが噂によれば、例の敗醤と常夏の二人を主犯に、派閥抗争が起こったそうだ」
陰陽国内で起こった出来事は基本的、外には伏せられる決まりになっている。それは領主相手も同様。しかし陰陽国の秘密主義は人の口を戸を立てることまではできず、微かな噂が尾ひれを付けて領主たちの耳に入ることも暫し。今回の派閥抗争のことも、朱鷺は他の口の堅くない官吏たちの噂話にこっそりと聞き耳を立てて仕入れた情報だった。
「だが公卿同士の諍いに、兎君がそこまでの沙汰を下すとは考えにくいが」
「それが、両名の抗争で
「…あの温厚な朔夜様を怒らせたとは、それで流罪か」
「納得はできるが、あまりいい気はしないな。前回流罪が執行された御世も、随分と都は荒れていたらしいからな。今後の朔夜様の治世にも影響がないといいが…」
前回罪人に対して流罪を執行した十代目兎君“
『
そんな二人の心配を余所に、浮かれきった既にほろ酔い状態の
「――—久方ぶりでございますな、青林殿。我が孫二人はお元気ですかな?」
「陽春殿…。はい、
「そうでございますか! …因みに、陽炎の妹で私の娘の“
「え…」
陽春には陽炎の他に次女の“
そんな二人の反応などお構いなしの陽春は更に娘の自慢話を始めようとするも、背後からやってきた女官に耳打ちされ、一瞬にして上機嫌なその顔を真っ青に染めた。そして跳ねるように振り向くと、少し離れた自身の宴席の隣で座して待つ妻の姿を捉えた。
陽春の妻であり陽炎を含める三人の娘たちの母である女性“
その様子を他人事として見物していた朱鷺は、思わず吹き出しそうになるのを抑えながら気苦労の絶えない青林の肩を叩いた。
「…っさ、流石の陽春どのも、
「……助かります。もはやあの様子の
陽春の妻で三人の娘の母である遊糸の実父は、二代前の兎君“
恐ろしい笑みを湛えて背後に閻魔を携えた妻の隣に戻った陽春の顔は強張っており、ぎこちない動きで妻の方に振り向けば
「…旦那様。根回しも結構ですが、あまりやり過ぎますと陽炎のように嫌われますよ。わたくし、まだ怒っていますのよ?」
「す、すまない。し、しかし、私はいつでも娘たちの将来のことを第一に考えて、だな…」
「…まぁ、
三姉妹の中で一番自分のことになると周りの見えなくなる自己中心的な娘のことを考えながら、来席者が全員集まったところで始まった大舞台での娘の舞姿を遊糸は静かに見守った。
庭の中心に設置された舞台の正面は兎君の視界を遮らぬように開けてあり、舞台の左右から領主と公卿たちに見物されながら選抜されされた四人の舞姫たちは太鼓と鈴の音に合わせてその舞姿を披露する。
今回選ばれたのは、公卿から二人と国司から二人。国司の二人はそれぞれ北の
前列の右側にて舞を披露するのが、陽春自慢の分家の娘、
一方でその隣で静かな存在感を放つ一人の女性に目が向いた。夕陽とは正反対の大人の女性の雰囲気を醸し出しているのは大納言に昇進した
そしてそんな二人のやり取りの外で与えられた役割を淡々と熟すのが、左大臣“
やがて水面下で女たちの嫉妬が飛び交う中、舞は無事に終わりを告げ、舞姫たちはその場に膝をついた。そのまま動かなくなりしんと静まり返る会場に、青林は隣の朱鷺に何事かと問う。
「…どうしたんだ? 何故退場しないんだ?」
「あぁ、青林殿は今回が初参加だから知らなくても無理はないか。あれは今、兎君による『品定め』の最中なんだ」
「し、品定め?」
「あぁ。昔からの風習らしいのだが、陰君子の舞に選ばれるというのは同時に入内ができるまたとない機会を得ることに等しいそうだ」
それは長い陰陽国の歴史の中で、時が経つに連れて奉納の舞が別の意味合いを持つようになった結果である。
四代目兎君の代より始まった祭事の二日目は未だ未婚の舞姫たちの舞によって幕を閉じる。それが風習化してから三つの代を経て第八代目兎君の御代、当時の兎君はその生母の美貌を余すことなく受け継いだ生粋の美青年であり、陰陽国だけでなく領主の娘たちからも憧れの的だった。そんな彼の前で舞を披露することになった年頃の舞姫たちは浮かれに浮かれ、些細ながら例年ではありえないほど各々に着飾った。そんな彼女たちが舞を披露する姿に兎君は大層喜んだそうで、特にその中でも当時の大納言の末娘に一目で心奪われ、祭事ののち彼女の入内に自ら切望した。その後入内した娘は兎君に一層の寵愛を受け、見事双子を出産した。
このことから隠君子の舞姫に自身の娘を選ばせれば入内も夢ではない、という公卿たちの意識が芽吹き、それが次第に宮中へと根付いたのだ。
「その品定めが終わったのち、お眼鏡に適った者がいた場合は兎君から直々に“
「なぜ
「祭事の前に選ばれた舞姫たちの名前にちなんだ
そう懇切丁寧に朱鷺が説明している中、その隣の玄冬の嫡男、幽玄が下卑た視線で舞姫たちを舐めるよう観察していた。
「いやはや、さすがは陰陽国。女の質も北とは打って変わって良質だなぁ。北方の女は皆、寒さのせいか肉付きが良すぎるのが如何せん―――」
「――幽玄、その辺にしておけ。両殿下の御前だぞ」
「いいじゃねぇか、親父殿。俺だってつい先日嫁を亡くして寂しい身なんだぜ? 少しは慰めてくれや」
「その嫁御が死んだ原因がお前さんの浮気癖でなければ、同情もしてやったがな。間違っても兎君の后に手を出そうなどと思うなよ? 折角あの
「確かに。あの出来損ないが初めて役に立ったんだもんな。大事にしねぇとなぁ」
そんな親子揃って下卑た会話をする二人の姿を実は御簾越しに
「特にあの、梅枝とかいう女がいいな。あいつ、冬牙の
「それは無理だな。彼女はこの場にいるが、既に後宮入りしておる。后までとはいかないが、兎君のお気に入りと耳にしたことがある」
「ちぇ、なんだ。大人しそうな顔してとんだ女だな。――いや、それとも
あの小賢しい
神官は兎君より予め託された
「それでは、兎君よりの贈歌でございます」
「――― “鳴く声も 聞こえぬものの かなしきは 忍びに燃ゆる 蛍なりけり” 以上でございます」
「――静粛に! 皆々がた、両殿下の御前でございますこと、お忘れなきように」
この状況に一切動じず冷静に対処する冬牙の姿に誰もが感嘆するが、実は彼は予めこうなることを予想していたのだ。祭事より半月ほど前にその現場を偶然にも目撃していたわけなのだが、実はそれを目撃していた人物がもう一人いた。だがその人物――
「…以上で幕引きでございます。舞姫方は一度下がり、各々の一族の席へお戻りを」
動揺する彼女達にそう指示したのは、右大臣の
その後、祭事の終わりに御簾から赫夜が姿を現し、その場に出席する者達に空の盃を掲げるよう指示する。その盃に覆面をした神官たちが一杯の酒を注ぎ、全員分を注ぎ終わると赫夜が袖の下から突如、一つの“扇”を出現させた。それはただの扇ではなく、美しい太陽と月の細やかな細工の施された鉄製の扇で、赫夜の腕の半分もの大きさのそれを軽々と振り上げる姿に、
「…父上、あれはなんですか?」
「あぁ、あれは“
「あれが、神器…。俺もいつの日か」
「…そうだな。お前が一人前になって、
赫夜の神器を羨ましそうに見つめる朱槿に、今は腰から離した“相棒”を思い出しながら朱鷺はそう告げた。
鉄扇『
「 ”
「 “我等が育みし愛おしき子らよ、
そして彼等は一気にその祝福された一杯を、飲み干した。その杯の陰で、紫色の女が密かにほくそ笑んだ。
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