第肆拾参話 徒花の棘〈一〉



 中納言改め、大納言への出世を余儀なくされた憂鬱な桔梗は、都の南東に位置する自身の邸宅へ帰路を辿っている途中だった。つい十日ほど前、朔夜と赫夜の両名による不穏分子の一斉摘発の場に居合わせた桔梗は、大納言の敗醤ハイショウと中納言の常夏トコナツの二人に“流罪の刑”が言い渡される瞬間を目撃した。この聖地で流罪は一番重い罰であり、執行されることは稀である。二人はそれだけ、朔夜の怒りを買ったということだった。

 不本意な昇進宣告を終えて帰宅した桔梗を待っていたのは、豪華な食事と酒の用意された珍しい宴の席。そして娘“蛍袋ホタルブクロ”の出迎えだった。


「…何事だ?」

「お父上様、本日は大納言に御昇進あそばしましたこと、誠におめでとうございます」

「…誰から聞いた?」

「はい。界雷カイライ様が、どうせ父上は素直に話さないだろうからとわざわざ知らせてくださいました」


 正直なところ、娘や邸の者たちにもあまり大々的に知らせずにおこうとしていた桔梗だったが、どうやらその考えは友人にはお見通しであったようだ。こんな時ばっかり気の利く友人に頭を抱えながらも、桔梗はとりあえずその場で出迎えの礼を言う。


「……態々の出迎え、御苦労であった」

「いえ、我が家の一大事ですので当然でございます」

「折角用意してくれたんだ、有り難くご馳走になるよ」


 もはや逃げ出せる状況ではないことに観念した桔梗は、蛍袋と共に宴会の場に引きずり出されることにした。しかし宴と言っても、出席者は主役の桔梗と娘の蛍袋のみ。大勢で賑わう席があまり得意ではない桔梗ら親子らしい静かな宴は幕を開けた。

 独り寂しい父の隣を陣取った蛍袋は、あまり乗り気ではない桔梗に普段振る舞うことのない上等な酒を注いでいく。


「誠におめでとうございます。父上は昇進にはまったく興味のない方ですので、内心とても心配しておりましたのよ?」

「まぁ、仕方のない処置と言ったところだ。それに昇進したのは、私だけではないしな」

「と、言いますと?」


 今回、朔夜が『烏師派』と『兎君派』を一掃したことにより、大納言が一人、中納言が二人、参議がなんと三人全員欠員したため、このままでは政もままならないということで、急遽昇進が決定したのだ。しかも急な昇進に当てはまる人物がおらず、その選別は大臣二人の独断によって行われた。


「つまり、今回昇進なされた方々はどちらかお二人側の人間であるということですか?」

「そうだ。界雷の方にはその気がなくとも、冬牙殿の方は自分に都合の良い人間を選出しているのがよくわかる」


 そう言って桔梗は酒を煽りながら今日就任した新たな公卿たちの名前を一人ずつ述べた。


「――まず初めに大納言に名前を連ねることになったのが、私と引き続き分家の陽春ヨウシュン殿だ」

「陽春殿は今回の件に一切の関与はありませんでしたの?」

「あぁ。恐らく少しでも接点を持てば、常夏ら諸共粛清されかねないと考えたのだろう。浅慮そうに見えて中々どうして侮れないお人だよ」


 それでも界雷たちには遠く及ばないが、と心の中で付け足した。


「次に中納言には、冬牙殿の推薦した“藤内トウナイ殿”と、界雷が推薦した“華岳カガク殿が就任した」

「どちらも聞かないお名前ですね?」

「そうだな。華岳殿は元々南の陵光領の国司を勤めていたお人で、なんでも界雷の父がお世話になった人だとか」


 華岳に関しては、界雷本人に素性を聞いたのだが、珍しく言葉を濁していかにも話したくなさそうな雰囲気だったため、桔梗も詳しくは知らなかった。


「もう一人の藤内の方は、お前も聞き覚えくらいあると思うぞ」

「えぇ?」

「…蛍袋、『藤花事件とうかじけん』を知っているか?」

「…確か、十代目兎君の御代に当代の烏師が男を片想いしてしまって、最終的に自害してしまった、とかなんとか」

「概ねそんな感じだ。その時、烏師を惑わした罪で今回のように流罪の刑にかけられたのが神官の男。名前は、尾藤ビトウ。藤内の先祖にあたる」


 朔夜たちから数えて七代前、十代目兎君の時代にあって最大の事件として歴史上に残る通称『藤花事件とうかじけん』を知らない者はこの陰陽国にはいない。なにせ、この事件は過去稀に見る流罪の刑が執行されただけでなく、犠牲者がという点が世間を騒がせた。


「当時の烏師、日和ヒヨリ様は自身の后土殿に務めていた神官の尾藤に一目惚れし、側に置いて重用するようになったという。尾藤というのが稀に見る美青年でな、日和様が殊の外気に入っていたのが、藤の花のような紫色の瞳だったらしい」


 十代目烏師の日和ヒヨリは御所にある居所“紫藤殿しとうでん”の庭に咲く藤棚を殊の外愛でており、その藤の花と同じ瞳をした尾藤に惚れ込み、側に置くだけでは飽き足らず、身の回りの世話を全て任せて后土殿に引きこもるようになった。そのことを不審に思ったのが、当時の兎君で日和の兄の“日高ヒダカ”だった。そして兎君が調べさせたことがきっかけで、二人の関係は明るみとなった。


「…密通こそしてなかったにしても、これは明らかな烏師の裏切り。激怒した兎君は烏師から尾藤を引き離し、后土殿の神官の男たちは悉く暇を出されたそうだ」

「でも、そこで事件は終わらなかったのですね?」

「あぁ。愛する者と無理やり引き離された烏師は絶望し、人目の少なくなった后土殿の中で密かに自害した」


 生き絶えた日和の亡骸はすぐに発見され、兎君は変わり果てた妹の姿を前に、人目も気にせず泣きついたという。そんな彼の悲しみと怒りは留まる事を知らず、行き場のないその感情らは事の発端である尾藤に理不尽にも向けられることとなる。


「烏師を惑わした重罪人として、尾藤は流罪となり二度と陰陽国の土を踏む事はなかった」

「尾藤殿の血縁者の方々は如何したのですか?」

「見事に尾藤を見捨てたよ。元々、家長の末子を厄介払いのように神官にしていたものだから、尾藤が裁かれようと一族は痛くも痒くもなかったわけだ」

「ですが、現に今の今まで尾藤殿の一族の名前を聞き及んだことはありませんでしたわ。やはり何からの制裁がありましたの?」


 鋭い蛍袋の言う通り、保身のために尾藤を切り捨てた一族だったが、矛先を失った兎君の怒りは彼等にも及んだことを桔梗は語った。


「結局、尾藤を排した一族の者も殆どが役職を追われ、次々に出家していったそうだ。公卿としても名を残し、代々神官としても国に尽くしてきた一族の哀れすぎる末路だ」

「しかし、今回冬牙殿が推薦してきたのがその一族の末裔、藤内トウナイ殿でしたか?」

「あぁ。冬牙殿は良くも悪くも実力主義だからな。恐らくあの藤内という男、相当優秀な人材なのだろうな」


 あまり危機感を感じない物言いでその話題を終わらせ、酒の肴に手を付けながら次の話題に移る。


「最後に参議が二人。冬牙殿の推薦した“野分ノワキ殿”と、界雷が推薦した“釣鐘ツリガネ”の二人だ」

「……冬牙殿の方は兎も角、二人目は、えっと、なんとも言えませんね」

「はぁ、まったくだ」


 二人が微妙な顔をするのも無理ない事である。何故なら界雷の推薦した“釣鐘ツリガネ”という男は、桔梗の同母兄であり蛍袋の伯父であった。碌に仕事もせず遊び呆け、女の家に泊まっては別の男と鉢合わせて喧嘩三昧、と良いところが一つたりとも見つからないような男である。そしてそんな男を更に毛嫌いしているのが、姪の立場にある蛍袋。


「…今になって、伯父様から送られてきた恋文の寒々しい文面を思い出してしまいましたわ」


 実は女好きで名の通ったこの伯父は、まさかの姪である蛍袋の美貌の噂を聞きつけるや早速恋文を送って来たのだ。このように親類縁者同士の結婚自体は珍しくはないものの、既に嫌というほど釣鐘の悪い噂を知っている蛍袋からしたら迷惑極まりない駄文であった。ちなみに受け取った恋文の枚数は二桁にも及ぶが、そのすべては桔梗の指示のもと、邸の庭で丁重にしたのだった。


釣鐘あいつの女好きは昔っから治らない悪癖だが、まさか実の姪にまで手を出すとは。…まったく、あいつはどうやら“恥”というものを母の胎に忘れてきたようだ」

「…その分、お父上様は恥や外聞を気にする方になったわけですが」

界雷あいつもあいつだ。他に選べる人材がいないからって、あんな奴を…」


 この二人の反応を見てお察しの通り、桔梗とは裏腹に自分の趣味にしか情熱を注げない釣鐘は、はっきりと言って公卿としては無能。つまりは数合わせの為に抜擢されたといっても過言ではない。

 一方で冬牙の方の推薦者もまた、難点を抱えていることを語る。


「だが、正直今回の参議に関してはどっちもどっちでな。冬牙殿の推薦した野分ノワキ殿も割と女性関係は奔放らしい」

「その、野分殿と冬牙殿はどのようなご関係で?」

「義両親の娘婿だそうだ。中流貴族の息子らしいのだが、最近身重の正室を放って遊び回っているそうだ」

「似た者同士ですね」


 話を聞く限り、どうやら野分の方も数合わせか、はたまた義両親からの圧力によって抜擢された説が濃厚だった。

 しかしこれで他の勢力による権力争いも今後はなくなるだろう、とひとまず安心して杯を煽る桔梗の隣で、なにやら考え込んだ様子の蛍袋は何かを思い出し、妙齢の女中を呼びつけた。


千代女チヨメ、先日届いた文はどこ?」

「あの、桃の花と一緒に届いたものでございますか?」

「そう、それよ。持ってきて頂戴」

「かしこまりました」


 急いでね、と付け足され足早に去っていく老女の背を一瞥しながら、桔梗は聞き耳を立てていた二人の会話の内容を思い出す。

 老女は確か、“桃の花と一緒に届いた文”と言っており、桃の花の花言葉は『あなたの虜』であったことを思い出し、また随分と気障な物好きがいたものだ、と桔梗は溜め息混じりに肩を竦めた。正直言うと、娘の蛍袋は男達にとてもモテる。幼い頃から母親がいないことで苦労させたくなかった桔梗が、世話役の老女や女中たちを才女で固め、十分過ぎる教養を身につけて更に歳を重ねる毎に増す美貌に、その噂はあらゆる尾鰭が付いて若い公卿たちの耳に届けられた。故に連日あらゆる場所から文が届けられては、とりあえず目を通した蛍袋がその返事を素っ気なく二、三文ほどで返す、という流れが出来上がってしまった。これに関しては最終的に決めるのは蛍袋本人である為、桔梗はなるべく関わらないように努めていた。

 だが、老女が急ぎ取ってきたその文を蛍袋は珍しく桔梗に見せた。


「…父上様、これを」

「なんだ? 誰か条件の良い男でもいたのか?」

「いいえ。この方自体にはなんの魅力も感じませんが、この差出人の名前を見てください」

「名前?」


 そう言われて差出人の名前を読み上げた桔梗は、そのまま開いた口が塞がらなくなった。


「……の、野分」

「…世間は狭いようでございますね、父上」


 これは波乱の予感、と桔梗は次の日二日酔いと共に頭を抱えた。



 ❖ ❖



 同時刻

 陰陽国 御所内 『旋花殿せんかでん


 御所内において烏師の居室である『紫藤殿しとうでん』の奥には二つの曹司ぞうし(女官や役人の部屋)がある。すぐ隣に建つ『旋花殿せんかでん』とその更に奥に建つ『木花殿このはなでん』のうち、旋花殿は代々烏師の乳母に与えられる部屋であり、今は烏師・赫夜カグヤの乳母である揺籃ヨウランの物である。何かあればすぐさま駆け付けられるように眠りの浅い彼女は、眠りにつく時間も遅い。特に今夜は訪れるであろう待ち人を心待ちにしながら、実家の父母たちに向けた文をしたためていた。既に夜も更け、燭台の灯り一つで手元を照らしながら筆を走らせていると、ふと蝋燭の先がゆらりと揺らめき、不意に流れた夜風が待ち人の訪問を揺籃に知らせた。恐らく待ち人は随分と疲弊した顔で現れるであろうと予想していた揺籃だったが、そこには予想以上に顔色を悪くして眉間に普段の数倍は皺を刻み込んだ夫の界雷カイライの姿があり思わず目を見張る。しかしすぐに柔らかく微笑むと労いの言葉を掛けた。


「…お勤め、ご苦労様でございました」

「…あぁ。すまない、少し待たせた」

「いいえ。それよりさぁ、ここへどうぞ」


 そう言って文机から身体を離した揺籃が徐に自分の膝を軽く叩いてそこへ界雷を誘った。既に疲労が尋常でないほどまでに積み重なった界雷の思考能力は、普段の数倍は鈍っており、常であれば拒否しそうなこの誘いに対して素直に応じた。まるで大きな子供のように揺籃の膝の上に頭を乗せる界雷に、クスリ、と笑いを零しながら深く刻まれたままの眉間の皺を指先で揉み解しながら夫の愚痴を聞いた。


「―――それで、どうでしたの? 新しい公卿の就任については」

「…どうもこうも、左大臣あちら側に比べて右大臣こちら側の力の差が大きすぎて、頭が痛い」

「旦那様の味方で唯一信頼できるのは、桔梗殿くらいでしょうか」

「あぁ…。今回、できれば“華岳カガク殿”の力は借りたくなかったのだが、両親の横やりも入ってな」

「…私もよくは知りませんが、華岳殿と義父様おとうさまは旧知の仲で、確か、旦那様の…」

「……あぁ、私の、顔も見たことない妹の養父だ」


 これは揺籃も結婚して随分経った頃にようやく知った、とある昔話。

 界雷は長らく自分には兄弟がいないと思っていたが、成人して勉学ばかりにかまけていた頃になって初めて、両親から実は妹が一人いたことを聞かされた。その頃の父は界雷が知る限り、母にまったく頭が上がらず完全に尻に敷かれているという認識だったが、父の浮気を憤慨しながら語る母曰く、“家に帰るのが億劫だった時期に、たまたま見つけたぼろ家の娘に一目惚れして通う内、いつの間にか女は子供を産んで死んでいた”とのことだった。周辺に住む者の話によれば、その女のところに通っていたのは父だけで、父が界雷の縁談話で忙しくなった頃に産気づき、無事に女の子を産んだものの、子供を世話係の老女に託して亡くなったという。そしてそれを知ったのが、子供が産まれてから六年後のことだった。その間すっかり女のことを忘れていた父だったが、その娘を託された老女から文が届いたことで事態を知り、焦って隠そうととするも簡単に母に知られてしまったというのが事の顛末。

 そこまでは揺籃も界雷本人から聞かされていた。


「それで、結局その幼子はどうなりましたの? 話の流れから察するに、義母様おかあさまは引き取るのに反対したのでは?」

「その通りだ。従順だと思っていた父の不義の子、そんなものをあのひとが歓迎するわけもなく、父は仕方なく引き取り手を探した」

「そこで浮上したのが、華岳殿というわけですね」


 元々交友関係の狭い父に子供を引き取ってくれそうな友人は殆どおらず、唯一二つ返事で了承してくれたのが、当時まだ都に滞在していた華岳カガクであった。本人曰く、子供は男ばかりで女も欲しい、とのことで幼い娘を心から歓迎した。

 これでようやく肩の荷が降りた父は、数年経って無事に縁談もまとまった界雷にその事実を告げたのだ。しかしこの話にはまだ続きがあり、その後の出来事こそが界雷に華岳や父に対する険悪感を持たせる原因であった。


「その養女になった妹君はその後どうなったのですか?」

「…華岳の話によると、彼が南の陵光領の国司に任命された際に共に都を出て、その後陵光領のとある“やんごとなき身分”の者に嫁いだ

…とは?」

「一度も、会わせてもらえたことがないのだ。私だけでなく、父も」


 そう、問題はそこにあった。

 行き場のない娘を快く引き取った華岳だったが、その目的はやはり陵光領の名家との縁組だったようで、娘を実子として嫁がせたのであろう華岳は、その嘘がバレないように徹底的に界雷たちとの接触を拒んできた。その事に界雷の父は然程気にする様子もなかったのだが、完全に蚊帳の外に追いやられていた界雷は一度たりとも顔を合わせたことのない異母妹のことをずっと気に掛けていた。故に頑なに面会や嫁ぎ先を明かそうとしない華岳を界雷は心中では嫌っていた。

 そんな華岳を今回、公卿にしたのは他に候補がいなかったためで、その候補にすら入らなかった“とある人物”が臍を曲げていたことを揺籃は界雷に告げた。


「…そういえば、トモエが少し拗ねておりましたよ。何故自分を推薦してくださらなかったのか、と」

「…まったく。自分が推薦されなかった理由すらわからないから、あやつは駄目なのだ」


 そこで界雷の息子に対する愚痴大会が始まったことを悟った揺籃は、また始まった、と心の中で大きな溜め息をついた。


「では、どこが至らないのか、わたくしにも解るように説明してくださいます?」

「…まず一つはいつも何時でも詰めが甘いところだ。あやつは真面目になんでもこなす器用で容量の良い男に見えるが、あと一歩のところでボロが出る。なんでも顔に出るのが悪い癖だ」

「そうですわね。あの子はどうも朔夜様絡みのことになると、冷静さに欠けるというか…。困ったものです」


 二人のたった一人の愛する息子への親目線の愚痴を知ってか知らずか、隣接する木花殿このはなでんでは小さくトモエがくしゃみをしたことは誰も知らない。

 界雷が未だ未熟者と称する息子のことを思い浮かべながら、数日前に実家へ顔を出しに行った際の両親の不快極まる発言を思い出してしまい、表情を一気に曇らせて大きく溜め息をついた。その突然の気落ちに気づいた揺籃が、彼の髪を梳かす片手間尋ねた。


「…どうか致しましたか?」

「…実はな、少し前実家に帰ったのだが、両親から今度の“隠君子節会いんくんしのせちえ”のことで要らぬ小言を言われたのを思い出した」

「あのお二人から? 一体どうして…」

「今年の隠君子節会も、我が家から出せる娘がいないことだ」


 まったく詮無いことを、と大きく溜め息ばかりこぼす界雷に、揺籃は苦笑を浮かべた。要は、揺籃が娘を産まなかったことを責めているのだ。二人は年の差婚であり、揺籃と界雷の年の差は十もある。故に子供のことも一人でいいだろうと考えていたため、一人息子の巴が産まれてからは第二子のことは完全に諦めていた。しかし界雷の両親からすれば、息子の次は娘が欲しいというのが本音で、その事で昔少し揉めたことがあった。以来、界雷の配慮で揺籃は義両親と面と向かって会っていない。ぶつける先を失った義両親の不平不満は、どうやら久しぶりに顔を見せた界雷にぶつけられたようだった。それを申し訳なく思いつつも、未だねちねちと小言を漏らす義両親に対し、呆れ果てることしかできなかった。


「あの二人もよくも言えたものだ。彼等だって邪魔者扱いして私の異母妹いもうとを養女に出してしまった癖に」

「…まぁ今更言っても仕方のないことですよ。で、その代わりの舞姫は如何する予定なのですか?」

「あぁ、その件なら桔梗に任せた」

「桔梗殿のところといえば…、確か娘の、蛍袋ホタルブクロ、さん? がいらっしゃいましたね」


 いつぞや界雷から桔梗の娘の話を聞いたのを思い出し、その時に知った蛍袋の名前を揺籃が言い当てる。桔梗の正室は既に故人であり、長男は東の孟章領もうしょうりょうの国司で家を離れ、今は父と娘二人で広い邸に住んでいるというのを昔聞かされた。年齢は朔夜サクヤより五つほど上であったことを思い出しながら人柄について界雷に尋ねる。


「どのような方ですの? 失礼ながらそのお年頃でまだ独り身というのが引っかかるのですが」

「本人は至って普通の女性だった筈だ。手元に残ったたった一人の身内だったせいか、桔梗が随分と手を掛けてあらゆる教養を身につけさせたらしいからな。彼女が誰かの妻にならないのは、邸に一人残されるかもしれない父を思ってのことだろう」


 人付き合いがうまく飄々としているが、実は意外にも孤独に慣れていない友人を思い出しながら界雷は推測する。


「しかし、もし今回の舞の席で朔夜様がその方を気に入ってしまったら、必然的に離れ離れになるのでは?」

「…あぁ。だがその事なら了承済みだ。なにしろ、それよりなによりの方が厄介だからな」


 烏兎一族の分家の当主である陽春は、今や自身の地位の向上に躍起であり、大納言の安定した地位に就いても尚、朔夜や赫夜に頼りにされない現状を変える為に一刻も早く娘を后にしたいらしい。

 年齢から考えても、五つ離れている蛍袋より陽春の娘の方が年齢も近く釣り合っている、と界雷は懸念していたが普段赫夜の側で朔夜を見ている揺籃からすれば、その心配は完全に杞憂だった。


「…その点に関しては心配ないと思いますよ」

「何故だ?」

「朔夜様は、どちらかと言えば年下より年上の方が好みですから」

「……そう、いう問題、か?」


 実際の理由は別にあるが、それは揺籃の立場的に口にするのは憚れる為、その場は軽く受け流したのだった。


 その夜、疲労した界雷はそのまま揺籃の部屋で一夜を過ごしたのだが、翌朝母の部屋から出てくる父の姿を見た巴の表情は、なんとも言えないものであった。

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