第弐拾弐話 赤き大鳥の国〈一〉
「――だからな、各領主たちにはそれぞれ補佐役として“
「へぇ。じゃあ青葉のところは何人いるの?」
「
と、道中得意気に六花に語る青葉の機嫌は常に最高潮であり、その様子を六花の巾着の中から聞き耳を立てていた髑髏の朔夜はやれやれ、と呆れ気味に溜め息をついた。
青葉の舌が饒舌に語り出したのはつい先刻からのこと。東の『
「じゃあ、じゃあ! その名前を継承している人たちは世襲制なの?」
「いいや、絶対ってわけじゃない。親子二代に渡って同じ名前を継承している者も、別の名前を継承したって例も過去には存在するけど、基本的にはその世代で一番実力がある者が領主直々に選抜されるようになってる」
青葉が鼻高々に語るのは、生前の朔夜も多少は聞きかじったことのある青龍一族の『老中制度』のことである。呆れ気味の朔夜は昔、
代々東の領地を治める『青龍一族』を支えてきたのは、五人の老中たち。それぞれに受け継がれる名前は『
反対に他の老中たちは、年代ごとに出自も家柄もバラバラであり、必ずしも世襲制というわけではない。何故か特別視される“風真”とは違い、他四人の老中たちはその時代の家臣たちの中から一番有能な人物を領主直々に選抜して任命される制度となっているという。
ふと青葉の話に意識を傾ければ、現在の老中たちについて大まかな人物の特徴を誇らしげに語っているようで、特に自身の守役である
「今の老中で一番歴が長いのが、祖父の青山の代から仕えている“
「次に俺の守役も務めてる老年の“
「次に唯一父が推薦した老中の“
「……そして最後に、老中の中の嫌われ者の“
特に城内で敵視されている左近のことは気まずそうに語る青葉だったが、次の瞬間には目を輝かせながら自分が一番尊敬する人物の説明を始めた。それは言わずもがな、“
「そして俺の師匠、その名は“
そう言われて六花が思い浮かべたのは、角都を脱出する際に手を貸してくれた、“あの冴えない人相の優男”の姿だった。この青葉が『師匠』とまで尊敬している人物にはあまり思えない男の姿を思い出しながら、六花は小さな頭を軽く傾げた。
「…あの人が?」
「…まぁ見た目に関しては置いておいて。はっきり言えるのは、涼風は今の孟章領の中では一番の剣豪だ。恐らくは父上でも歯が立たないだろうな」
「へぇ。人は見かけによらないのね」
おしゃべりに夢中の二人のつま先を不意に何かが掠め、ぴたりと口を閉ざして足を止めた。二人同時に足元を見下ろせばそこには、薄汚れて欠けた茶碗が転がっていた。誰のとも知れぬ家財道具が見渡せばあちらこちらに散乱しており、それは二人が今まで辿って来た道すがらにも続いている。それまで見て見ぬふりをしてきた青葉は目の前に広がる光景に大きな溜め息をつきながら、話の終着点を語る。
「――要するに、領主の支え、時にはその行いを正すのが老中の役目。だがどうやら、南は思った以上に酷い有様らしいな」
「これは見れば明らかだね。朔夜もそう思うでしょう?」
同意を求める六花が巾着から朔夜を出せば、眼球の埋まっていない両の穴で現状を把握した朔夜も青葉同様に大きな溜め息をついた。
「これは酷いね。しかもただの廃村というわけではなく、ひと騒動起こった後みたいだ」
「…恐らくな」
朔夜の言う通り、六花たちが今立っている場所はただの道ではなく、恐らくは半月ほど前までは立派が農村があったであろう場所の中心であり、何の理由か今は荒れ果てた家屋の残骸と枯れ果てた畑だけが残る廃村となっていた。残された家屋の所々には人同士で争ったような形跡が生々しく残されていて、この場所で農民と何者かによる争いがあったことを六花たちに語った。例えこの場所が都からほど遠い村だったとしてもここまで荒れ果てているのを自身の領地で見たことのない青葉は、目の前に広がる有様に憐みを抱かずにはいられなかった。
「…昔父上に連れられて領地を端から端まで視察したことがあったが、ここまで酷い村を見たことはなかった。少なくとも、父上の目の届かない場所であっても然るべき人物によって管理されていた」
「当たり前だ。各領地の村々は領主の補佐たる老中や家臣たちがきちんと管理して然るべきものだ。それを怠れば、領主は忽ちの内に領民からの信頼を失う」
この僕のように、という言葉を静かに飲み込んで朔夜は黙り込む。その様子に気づかず、青葉は少し前に教育係の左京から聞かされた南の陵光領の話を思い出し、二人に聞かせた。
「聞いたところによると、今の陵光領の領主は十三歳の娘らしい。政なんてまだ全てわかるはずもない彼女の代わりに政務を行っているのは勿論…」
「老中たちか。問題はそこにありそうだな」
「…この有様じゃ、都もあまり期待はできないかもな」
この先の道中に不安を抱えながらも、三人は陵光領の都の港を目指して再び歩き出した。
そこに残されるのは、人跡途絶えた廃村の数々。
❖ ❖
四方暦九年
南『
聖地唯一の港町を都とした栄えてきた南の陵光領。その都・翼都の小高い丘の上に築かれ聳えるのは、特徴的な朱色の瓦屋根の城『
しかしその噂話も囁き声も、城に届くことはない。否、届かないようにされている。そのような計らいをしているのは、勿論老中達―――ではなく、その幼い姫に仕える忠実な女中たちであった。その中でも、筆頭として立ちまわっている女性が一人。
城内は日常的に忙しなく働く女中、使用人らを静々とした足取りで横切る一人の若い女中の姿があった。他の女中と何ら変わらず質素な身なりだが一つだけ頭に高価な鼈甲の簪を差しており、それは一介の女中にはどれだけ働いても手が出せない代物であることは一目瞭然であった。そんな高価な物を堂々を彼女が身に着けているのには、至極簡単な理由があったからである。
彼女の名前は、
「… なぜ、何故わたしがこんな目に…、先代の頃はあんなにも…、これからどうしたら……」
永遠と今後の不安を呟き続ける男の背中を見送りながら、彼の憔悴の原因を思い浮かべながら大きな溜め息をついた。そしてその原因の人物がいる座敷の前に立つと、上座側の襖の前に膝を着いてゆっくりと開けた。
雲雀の「失礼いたします」の挨拶と同時に中から響いてきたのは、別の商人の声高らかな商品紹介だった。
「――ですから、この反物の一番良いところはやはり美しいこの、“朱雀”の刺繍でございます。こちらを背中に背負うようにして打掛に仕上げれば、まさに朱雀の姫に相応しいお品になりましょうぞ!」
「…ほぉ? 其方はその反物が
「はい! 我が店自慢の“朱雀紋”は、先代の頃から御贔屓にさせてもらっておりまして。先代の御父上様や奥方様にも、大層喜ばれまして……」
鼻の下に口ひげを生やした商人の男が磨きがかった饒舌な口調で上座に座る十代のまだ幼い少女に向かって熱弁するも、聞かされている少女本人は心底うんざりとした感情を隠す気もなく不機嫌丸出しの真顔で脇息に肘を着いていた。両者の温度差に雲雀はやれやれ、と肩を竦めながら少女の傍らに寄り添うように座ると、雲雀の存在に気づいた少女の顔がパッと明るくなって嬉しそうに彼女を歓迎した。
「…! 雲雀、来てたのね」
「はい。遅くなりまして申し訳ございません、
雲雀を誰よりも頼りにしているこの城の主で朱雀一族の現当主“
「…其方、もうよい」
「…は」
「今後其方の入城を禁ずる。妾の着物は他の
下がれ、と冷たく言い放ってその場から去って行く朱華を呆然と見上げる商人の顔から血の気が引いていくのを横目に、雲雀も彼女の後を追った。恐らく先程すれ違った商人も同じようにして厄介払いされたのだろう、と予測していた雲雀は人気のない廊下を歩く朱華の小さな背中に問いかける。
「姫様、何故あの者たちを解雇したのですか?」
「…だってあの人たち揃いも揃って、“先代” “先代”って煩いんだもん。わたしは、お父様じゃないのに」
朱華の癖のようになっている一人称の『
「そうですね。あの方々の発言も軽率でした、しかし姫様も毎度毎度癇癪ばかりでは、いずれ味方が一人もいなくなってしまいますよ」
「え…。じゃ、じゃあ、雲雀もそのうち、いなくなるの…?」
周囲への横暴な態度の目立つ朱華を軽く叱って忠告したつもりの雲雀だったが、次の瞬間、青い顔をして雲雀の袖の裾を抓む朱華を見て、一気に血の気が引いた。本気で怯えた様子の朱華を雲雀は慌てて抱き締めてあやした。
「あ、有り得ません! 私が姫様から離れることなんて、死んでもありませんから!」
「ほ、ほんと…?」
「えぇ、勿論です! だから安心してください!」
抱き締めた肩越しが少し湿ってきているのを感じながら、雲雀は心の中で猛省していた。
“今後一切、朱華に寂しい思いもさせない。絶対に泣かさない” と、昔とある人物と約束したことを思い返し、雲雀は自分を責めつつ必死に震える朱華の身体を宥めた。それでもグズグズ、と鼻を啜るのが止まらない朱華に、雲雀は何でもしてあげる、と言って宥めようとする。それに対して朱華は鼻声でか細く一つの願いを呟いた。
「さぁ、姫様! 何がいいですか? そうだ、今日の茶菓子は姫様の一番好きな黒蜜たっぷりの餡蜜にしましょうか?」
「…… お母さまに会いに行きたい」
朱華のか細い要求に、それまで彼女の頭を撫でていた雲雀の手がピタリと動きを止め、別の意味で焦りを滲ませた雲雀の表情が強張ったまま顔に張り付いた。朱華のそう要求だけは雲雀にとっては一番躊躇させられる願いであり、叶えてやるか否か迷って言葉を濁らせると、ようやく止まりそうだった朱華の大粒の涙がまた真紅の瞳から零れそうになる。
「え、えっと、それは…、ちょっと、、」
「ダメなのか……?」
正直、朱華のこのお願いは叶えても結果的に誰も幸せにならないことは、事情を知っている雲雀に明白であり、本音を言えば朱華と“奥方様”を会わせたくはない。だが、幼い頃からの朱華のおねだりの時のこの顔に雲雀は弱かった。
「っ――仕方ありませんね。一応、伺ってみましょう」
「ありがとう!」
雲雀大好き、と歓喜の声を上げた朱華は雲雀に抱き着き返すとその頬に軽く口付けしてお礼をするのだった。本来であればその場で喜ぶ朱華の行動だが、その時の雲雀は生気の抜けた顔でそれを受け止めるのだった。
その後の朱華は上機嫌で雲雀と共に御殿の、西側の奥の奥座敷に向かった。長い廊下を渡って西側には代々朱雀の当主の正室が暮らす座敷があり、今そこに居を構えているのは先代朱雀の当主“
足を進めるほどに灯りが減っていき、暗さが目立つ廊下の先の朱雀紋の襖を開けば、
やがて女中の掛け声と同時に、御簾の向こうから着物の裾を引き摺る音から響き、慌てて頭を下げる雲雀と嬉しそうに顔を上げて微笑む朱華の二人の前に座ったその部屋の主・華月は、朱華の喜びとは裏腹に静かで無情な声で話し始める。
「…久し振りですね、朱華。息災で何より」
「はい! お母さまもお元気そうで」
「…雲雀も、この子の世話をご苦労様」
「…いえ、当然のことですので」
凡そ
「あ、あのね! この前とても素敵な着物を仕立てさせたのよ。また今度着て見せに来るわね」
「それとね、この間雲雀が用意してくれた練り菓子がとても美味しかったから、今度一緒に―――
「――朱華。母は忙しいのです、なのでお前とそんなことに費やす時間などないのですよ」
――あ、そ、そうですよね。ごめんなさい…」
無邪気に話すことすら許さない華月の冷血な態度に、いくら女中であろうと我慢の限界の近かった雲雀が咄嗟に声を上げようとするも、華月の畳みかけてくる声に遮られてしまう。容赦のない言葉の刃が朱華を襲い、やがてまだ話し足りなさそうな朱華の唇はキュッと結ばれて開くことができなくなった。
「それに朱華。貴女は朱雀の当主なのですから、それ相応の振る舞いをしなさい」
「…でも、当主って言っても名ばかりで。
「当たり前です。幼い貴女に政はまだ早い。未熟な貴女のために老中や家臣たちが代行しているのです。感謝こそすれ文句を言うなんて、恥を知りなさい」
「……はい」
「未熟な貴女が今すべきことは、当主として必要な振る舞いを学ぶことと、朱雀の女として相応しい器量を備えることです。今のままでは婿を迎えることができず、いずれ朱雀は断絶してしまうでしょう」
「……」
永遠と続く華月の小言に黙り込んでしまった朱華の今にも泣きそうな気配を察し、雲雀は無礼を承知で華月の話しの腰を折って進言した。
「――申し訳ありません。姫様はこれよりお花の御稽古だったのを思い出しましたので、これにて失礼させていただきたく」
「あら…、そう。なら早く行きなさい」
主人の話しに割り込んできた雲雀を叱ることもなく、意外とあっさり了承されたことに肩透かしをくらった雲雀だったが、今は一刻も早くこの場から朱華を連れ出したい一心で一礼したのちそそくさと退室した。
背後で二人の存在を閉め出すように襖がぴしゃり、と閉じた音を聞きながら雲雀は朱華の無抵抗な手首を掴んで御殿の表の方に向かって早足で戻っていく。その間もずっと無言だった朱華のことは終始心配だったが、雲雀はこの薄暗い奥座敷から抜け出して日の光の差し込む場所まで戻ってから振り返って朱華の顔を覗き込んだ。案の定、朱華の柳眉は八の字に垂れ下がり、俯いた瞳は涙までは零れない程度に潤んでいた。
こうなることを予想出来ていた雲雀はやはりあの時止めておけばよかった、と後悔しながら手首を掴んでいた手で朱華の手を優しく握ると微笑んで言った。
「…姫様、お稽古はありませんので、この雲雀とお茶の時間にいたしましょう。御茶菓子は餡蜜でよろしいですか?」
朱華は、声を出さずに小さく頷いた。
❖ ❖
御殿の
「お、なんだなんだ。またあの我が儘姫のご機嫌取りに行くのか?」
「…貴方と呑気にお喋りしている暇は生憎ないの。口より手を動かしなさい、猿子」
「わかってるって。でもよぉ、毎度毎度ご苦労なこったな。自分じゃ何一つできない姫様の御守りを一身に引き受けて、疲れないわけ?」
「……」
「面倒な政務ほっぽって、毎日贅沢三昧。してることといえば有り余るほどある着物の収集と商人を呼びつけての無駄な浪費。ったく、これじゃあ亡くなった先代も浮かばれねぇよな?」
「……っ失礼するわ」
城勤めの人間としてはあるまじき発言を連発する目の前の男に内心隠し切れない怒りを滲ませつつも、猿子のこの軽口は今に始まったことでないため、今回も見事に無視を決め込んで用意の終わった盆を手にすると早急にその場を去った。去って行くその後ろでもまだ猿子の声は鳴り止まなかったが、全て右耳から入って左耳から捨てた。それでも猿子はめげずに話し続け、最終的に先輩料理人から御叱りを受ける声を背中越しに聞くのだった。
正直常日頃から猿子のしつこいほどの絡み癖には辟易していたが、今は特に精神的にも疲弊しておりそこへ追い打ちをかけるような空気読めない男から無駄なお喋りのせいで、雲雀の内心はかなり参ってしまっていた。
そこへ雲雀の行く手を阻むように横道から姿を現した一人の若武者に気づくと、ぴたりと足を止めて僅かに頬を緩ませた。
「――あら、
「あぁ、久し振りだな。相変わらず忙しそうだ、雲雀」
長く首元まで垂れた黒髪を一つにまとめた色白の青年――
「…思ったより元気そうでなによりだ。でも、少し痩せた、か?」
「そんなことないわ。ついさっき猿子の喧しい声を聞いたせいよ」
「あぁ、またか」
旧友の悩みの種の一つである若者の顔を思い出し舌打ちする隼も同様に、要らぬお喋り好きな猿子のことは気に入らなかった。いつ如何なる時も能天気な顔を思い出して、隼は少し前に聞いた噂話をふと口にした。
「…そういえばこの前猿子が珍しく興味深いことを言っていたな」
「あの猿子の話に私たちの興味がそそられるなんて、一体どんな話なのかしら?」
「あぁ。なんでも、数日前の“
「なんですって…?」
無駄なお喋りの多い猿子だが、彼はその分城内の大小限らずあらゆる噂について詳しい。なんでも鵜呑みにしがちな猿子のことだから、噂の真偽性には些か疑念があるものの、一揆鎮圧については雲雀の耳にも届いていた。
三人の老中と一人の大老の計四人の家臣たちよって支えられた朱雀一族の政を今一身に引き受けているのは家臣たちすべての頂点、大老“
「確かあの鎮圧軍を指揮していたのは…」
「あぁ、あの高慢ちきな“
大老・鵺のお気に入りの武官“
「あの男が総大将に選ばれたってことは、もう明白ね」
「恐らく鵺は、東の村の納めるはずの年貢が滞っていることを知り、それを強制的に徴収するために軍隊を差し向けたんだろう。そしてそれを表向きは一揆の鎮圧として片づけた」
「…つくづく腹の立つ男ね」
鵺の横暴な振る舞いは今に始まったことではなく、それは他の老中たちも同様。彼等は先代の当主が亡くなったのをいいことに、十年もの間陵光領を我が物顔で牛耳ってきた。そして彼等の悪行の殆どは、現当主である幼い朱華に押し付けられている。
しかしその現状を覆そうと動いている人々もいた。
「――それと雲雀、最近“文”は?」
「えぇ、滞りなく。私も“おばあ様”も毎日のように文のやり取りをしてます」
「…そうか。で、あの御方の様子は?」
「…お元気だそうよ。今でもよくやんちゃしているらしいわ」
二人は名前を明かせないとある人物の近況を語りながら、それを自分のことのように嬉しそうに語り合った。その人物と直接会ったのは大分昔のことではあるが、今でも二人は何人もの仲介人を通してその人物と連絡を取り合っていた。そしてその人物こそが、今の陵光領をひっくり返す『切り札』であった。
「…やはり、あの御方に戻ってきてもらわねばならないな」
その隼の呟きに、雲雀は大きく頷くのだった。
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