第拾伍話 若き青龍〈五〉
「――青林様、これで全員です」
青龍城の家臣たちに荒縄で両腕を拘束され、城主・青林の前に引っ立てられたのは、商人の恰好をした侵入者たち総勢二十人ほどだった。城内での大規模な乱闘の末、地の利と数の暴力に屈した商人たち一行は、残念ながら一人残らず捕縛されてしまった。
その目の前の上座に座る青林をまるで仇のように睨みつける一行の主犯格の男に、青林は冷静に目的と素性を問うた。
「…さて、まずはお前達の正体とこの城に忍び込んだ目的を聞こうか。素直に答えてくれると手間が省けるのだが」
なにせ青林には、抱えているもう一つ大きな問題があるからであった。それは言わずもがな、六花を脱獄させて行方を晦ました嫡男の青葉の捜索である。そちらにも人員を裂きたいところだったが、生憎目の前の商人たちとの乱闘によって半壊した城内の後片付けに追われ、家臣たちはそれどころではなかった。
あらゆることで手の回っていない青林が憔悴した様子で溜め息をつけば、そんな青林を嘲るように商人の男は小さく笑った。
「…は。情けないな、青林。所詮お前などこの程度。お前達にこの地を統べることなど不可能なのだ」
「…ほぉ。ならば、一体誰ならばこの地を統べるに相応しいと言うのだ?」
「決まっている、“烏兎様”たちに他ならない! この地に人が住めるよう計らってくださったのは、他ならない烏兎の御二人なのだから!」
熱く語る男を目の前に青林は、烏兎派の連中か、と呟く。未だこの地に深く根付いた双子の始祖への信仰は陰陽国が滅んで久しいこの時代にも密かに耐えることなく、『烏兎派』という総称で呼ばれ、今でも烏兎一族への信仰を続けている。中にはこの商人たちのように四君主の領地を荒らす過激派も存在するが、その多くは既に各領主たちによって捕縛された。目の前の商人たちはその生き残りであろうと推測した青林は、興奮する男の熱弁を暫く黙って聞くことにした。
「ではお前たちは、この地で起こっている異変を烏師たちのせいではないと言うのだな?」
「…それについては烏兎に責任がある。だが狂い出したのはもっと前だ」
「……なんだと?」
商人の男は青林が知り得ないであろう情報を自慢げに語り始める。しかし肝心の内容は随分とぼかした言い回しであり、青林は次第に苛立ちを覚え始める。
「何故知ろうとしない。烏兎の一族の最初の“はぐれもの”のことを。奴は“柱”を狙っている。“柱”を失えば、この地に再び混沌が訪れることになる!」
「はぁ…、もういい。そういう与太話は飽きた。そろそろお前たち自身の話をしろ」
お前たちは何者だ、と青林が問うと、男は余裕のあるのを見せつけるようにほくそ笑んで答える。
「我々は、“からす” 天上に輝く日輪を守護する者たちだ。
商人の男の最後の言葉を合図に、その場に捕縛された者たちは一斉に顔を上げると同時に青林にもわかるように、奥歯を噛み締めた。その意味に気づいた右京がすぐさま男の口を開かせようとしたが、時すでに遅し。
商人の一行は一人の例外もなく、全員がその場にて服毒自殺したのだ。右京らが全員の生命活動の停止を確認し終わり、悔し気に首を横に振るのを見て青林は眉間に皺を寄せる。
「“常夜衆”に、“からす” か…。問題は山積みだな」
そういえば、と青林は家臣に青葉の捜索状況の進捗を問い、あまり芳しくない様子で家臣は答えた。
「…申し訳ございません。なにせ城内を知り尽くしている青葉様の捜索ですから、予想以上に難航しております」
「無理もないか。もしくは、もう既に城内にはいないかもしれんな」
「――その仮説、的中でございますよ、殿」
二人の会話に突然割り込んできたのは、今の今まで姿すら見なかった四人の老中の最後の一人『
「殿、
「…なんだと?」
左近から告げられた鈴蘭の言伝に、青林は勿論その場にいる全員が驚愕のあまり言葉を失った。予想通りの反応を目にし、左近は不敵な笑みを浮かべる。
左近の老中就任に一躍買ったのは、青林の側室の“鈴蘭”である。涼風の抜けた穴を即座に埋め、反乱後の事後処理を進めたい青林に当時側室になって日の浅い鈴蘭が推薦したのが左近である。左近の家系は祖父の代までは西の『白虎』に仕えていたが、権力争いに負けて祖母の親類の伝手で、東に移ってきた一族である。彼の父は城内であまり力を発揮することなく病死したが、息子の左近は若くして類まれなる才覚を発揮して、城内では次の老中に、という声も多かった。しかしこれが進まなかった原因は、同じように彼が青林に側室として鈴蘭を推薦したからである。お互いに利害関係の一致した左近と鈴蘭が青龍内部に深く食い込もうとしていることは明白で、他の老中たちは左近の推挙を拒んだが、人手が足りないことのは事実であり、青林は老中たちの反対を押し切って左近を空席の老中の座に据えた。
しかしそれ以降、左近は側室の鈴蘭派の人間たちをまとめ上げ、正室の陽炎派の人間たちと対立するようになってしまった。
そして今回も鈴蘭の虚言なのか、それとも事実なのかまだ明白ではないが、正室の陽炎についてよくない噂を青林の耳に届けた。その真偽を確かめるため、青林はすぐに陽炎の部屋へと急ぎ足で向かった。
その背中を見届けた左近は捕虜の死体の処理を任せると城内の奥座敷へと向かい、正室の陽炎の部屋より少し離れて手狭な、西の『白虎』において城内で大切に飼われている神獣扱いの『白馬』の描かれた屏風が目印の部屋にやって来た。その部屋の主は勿論、側室の鈴蘭である。
「あら、御遣いご苦労様」
脇息に凭れて寛ぎながら、どうだったの? と結果を聞く鈴蘭の前に左近は膝を付くと、彼女にとって芳しい報告を述べた。
「思惑通り、殿はお方様のところへ」
「そう…。これであの女が正室の座から転げ落ちてくれれば大成功なのだけれど。やっぱり一番の障害は、子がいるかいないか、かしらねぇ」
「…はい。鈴蘭様には一刻も早く、“青龍の血”と“白虎の血”をひくご子息を産んでいただかなくては。故郷の“白秋様”の足掛かりになりませぬ」
「わかっているわ。可愛いかわいい、甥っ子の為ですもの」
彼女の言う『可愛い甥っ子』の姿を思い浮かべ、彼女の言う可愛いという印象にまったく共感できない左近は少々引き気味に笑った。
愛妻家で知られる青林の唯一の側室である鈴蘭は、十年前の反乱の二か月後に西の『白虎』との同盟の証として嫁いできた、白虎の一族の姫。反乱で亡き者となった
今回の企みは、そのための一歩であった。
「…未だに殿の陽炎に対する寵愛は健在。わたくしがいくら誘惑しても露ほども靡く様子はない。やはり今一番の課題は、どうにかして陽炎を正室の座から下ろすより他にはないわ」
「確かに。他の老中たちも皆、正室派。その力の差をなんとしても覆さなければ、殿の子を産むなど夢のまた夢」
「今回の騒動で、万事うまくいくはずよ。左近、新しい打掛の準備を手伝ってくださる?」
突然専門外の衣装についての助言を求められた左近は頭を鈍く痛みだすのを感じながら、かしこまりました、と承諾する。
補足すると、鈴蘭の衣装選びというのは通常の日であっても最低で四時間はかかるのである。
「――あらいけない、忘れてわ。左近、これを至急甥のところに飛ばしてくれるかしら?」
「これは…、
「えぇ。このことを甥っ子にも知らせてあげるのよ」
鈴蘭から左近に手渡された文は、すぐにでも伝書鳩によって白秋のもとへと届けられたのだった。
❖ ❖
青龍城の奥座敷の一番広い部屋は城主の正室である女性のために作られた私室であり、その襖にはこちらを睨みつける大きな青龍が描かれている。まるで人の侵入を拒むような青龍の金色の瞳に挨拶するように目を伏せると、青林は襖の向こうの人物に声をかける。
「… 陽炎、いるのだろう? 入ってもいいだろうか」
「えぇ、どうぞ。私も、貴方様と話さなければと思っていたところです」
青林がこの襖の先に入るのは約九年ぶり。反乱後、青林のことを極力避けてきた陽炎の心中を察し、青林はあえて自分から陽炎と接触することを避けていた。しかしそれでも時折声をかけるも、入室については本人は勿論のこと、父を目の敵にしている娘の浅葱にさえも許可が出ることはなかった。九年ぶりに入る妻の私室に些かの緊張を伴いながら、青林は襖に手をかける。施錠などない襖は軽々と開き、室内へと足を踏み入れる。既に日が沈み夜を迎えた座敷内は障子窓から覗く月明かりが優しく包み込むように差し込み、それでも足りない光源は
陽炎と向かい合うように腰を下ろした青林だったが、何から話せばいいか考えあぐて二人は視線を合わせたまま数分ほど黙り込んだ。数分間の沈黙の後、呆れた陽炎の方から仕方なく口火を切った。
「…元気でしたか?」
「…あぁ。だがここ最近、胃の調子が悪いな。悩み事が多くてな」
「それはそれは、大変ですこと。領主というものは苦労が絶えませんね」
他人事のように軽く返事をする陽炎の顔は労う様相を呈しておらず、まるで興味がないかのように無表情が張り付いていた。彼女からすれば、先陣を切って先に口を開いたのだから、さっさと用件を述べてほしいところであり、それを察した青林は未だ夫婦の会話を続けたかった気持ちを抑えて本題を切り出す。
「…単刀直入に言う。何故、“あのような真似”をした?」
「“あのような真似”ですか? はて、なんのことやら」
「とぼけるなよ。何故、青葉たちを逃がした? 返答によってはお前であろうと処罰せねばならない」
脅迫するような青林の言葉にまったく臆することなく、平然を保ったまま陽炎は自分の心の内をありのまま伝えた。
「私がそうしたいからしたのです。私は私の選択と行動を決して悔やんでおりません。ですので、どのような処罰も恐ろしくはありません」
どうぞいかようにも、と粛々と頭を垂れて罰を甘んじて受けようとする陽炎の潔さに腹が立った青林は、膝の上で拳を握り締めて声を荒げた。
「っ何故こんなことをした!? お前の立場をわかっているのか。下手をすれば、正室の座から引きずり降ろされるかもしれないのだぞ?」
「…貴方様には感謝しております。反乱後も、周囲やお
「…ならば何故、そのまま大人しくしていられなかった。何かをすれば、目を付けれられるのはわかっていただろう?」
この城内で烏兎の血を引く陽炎がどれだけ危うい存在であるかは、青林は勿論本人の陽炎もよくわかっていた。
十年前の反乱後、烏兎の血族である陽炎の存在を一番に排斥しようとしたのは、青林の母だった。青林の父である先代の正室はのちに迎えられた継室であり、青林の実の母親ではなかった。青林の成人を見届けぬまま亡くなった先妻の代わりに先代を支えた継母の存在は大きく、青林にとっても母親代わりの人だった。故に彼女が陽炎を跡取りの正室として相応しくない、と判断した際には領内の別の女性を正室にしようと画策し、そのために陽炎を離縁させようとしていた。それだけでなく継母は、嫡男の青葉すらも廃嫡して浅葱はまさかの尼僧にしようとしていた。そのことに腹が立った青林はきっぱりと、“離縁もしなければ、青葉と浅葱を手放すこともしない!”と言い放ったことで、三人は守られたのだ。
十年経った今、継母は既に病死していないが、彼女の残した側室の『鈴蘭』や彼女に加担する者たちの手によって陽炎の立場は今でも密かに脅かされている。そんな彼等に彼女の弱みを握られることを青林は恐れていた。
しかし、陽炎は見抜いていた。青林は本当に“恐れているもの”の正体を。
「――違うでしょう。貴方が本当に恐れているのは、自らの罪を責められること。十年前のあの日の過ちを“間違いだった”と思いたくないから」
「………なんだと」
「私にはわかります。貴方はあの十年前の日、『青龍の本懐』を失った。失ったと思い込んでいる」
膝の上で震える青林の拳をそっと包み込むように陽炎の手が握り返した。いつの間にか目の前に寄り添っていた陽炎の真っ直ぐな瞳を青林は真っ直ぐに見つめ返す。
「… 私はあの反乱で、青龍の当主が受け継ぐべき“誠実”の心を自ら捨て去った。今の私に、青龍を名乗る資格はない。だが、後を継がせるには青葉はまだ若すぎる」
「はい。だから貴方は矜持も何もかもを捨てて、あの子の世に残るであろう『不安分子』をすべて排除しようとした。その一つが、“あの噂”ですね」
「青葉の代で烏兎派の残党や“常夜衆”の反乱が起これば、苦労するのはあやつだ。それを取り除いてやるのも、父親としての私の役目だろう。それが例え、私が自身の罪から目を背けようとする行為だったとしても」
陽炎の手の中で小刻みに震える青林の拳から伝わってくる彼の『不安』と『恐怖』を感じ取り、青林が今までどれだけ心の奥底で苦しんできたかを改めて実感した。
十年前、あらゆる要因に後押しされて最終的に反乱を切り出した青林だったが、本来その性質は『誠実』や『忠義』であり、主人と認めて生涯の忠誠を誓った相手に反旗を翻すことは、彼自身の心の奥の一番深いところを傷つけ、徐々に蝕んでいった。それでも青林が折れずに領主でいられたのは、期待を寄せる後継者がいたからである。嫡男の青葉に寄せる期待は本人には伝わっていないが、本人が思う以上に青林は青葉を後継者として認めており、その成長を誰よりも喜んでいるほど。
青葉が一人立ちできるまで、青林は当主の座を下りるわけにはいかない。その固い決意が今の青林を支えている。それを重々承知の上で、陽炎は常々思っている胸の内を語った。
「…殿、もうよいのです。青葉はいつの間にか、自分で自分の道を決められるほどに大きくなりました。今回のことも、自分で考えて行動しました。私はその後押しをしただけ、決めたのはあの子です」
「それは…」
「殿。一度は見失った“正義”ならば、今一度取り戻せばよいのです。この陽炎が全力でお手伝いいたしますから。もう一度、『青龍の心』を取り戻してください」
「……ありがとう、陽炎」
ついに陽炎の名前を呼び、その手を握り返した青林の表情はどこかすっきりして吹っ切れた様子で、つられて陽炎の表情も徐々に綻んだ。暫くお互いに見つめ合った二人だったが、さてと、と陽炎の方から手を離して元いた場所に戻り、不思議そうな表情を浮かべている青林に優しく微笑んだ。
「ひと段落したところで、お茶にいたしません?」
「今から?」
「えぇ。今日はまだお茶をしていないの。折角、
陽炎の提案で青林は自分が騒動のせいで碌に休息もとらず、夕餉もいつもの時間に取っていないことに今気づかされた。ハッとする青林の思考を読み取った陽炎は、部屋の外で密かに待機していた女中――
数分後、手慣れた様子でお茶と茶菓子を用意すると、青林と陽炎の前にそれぞれ差し出した。それを目にした青林は自分のものと陽炎のものを見比べて、一つの違和感に気づく。
「…陽炎、この羊羹は」
「角都一の老舗店の羊羹よ」
「それは知ってる。だが、君のは栗蒸しで、私のは…」
よくよく見れば、今まさに一口目を口に運ぼうとしている陽炎の羊羹は栗蒸しであり、それを眺める青林の前に置かれているのは普通の羊羹。その質問の意図をくみ取った陽炎は逆に、不思議そうな顔をして答える。
「だって貴方、栗嫌いでしょう?」
「な、なんで、知って…!?」
栗好きの青葉の手前、実は苦手だったことを今の今まで隠していた青林だったが、いつの間にか見抜かれていたことに驚きを隠せない。動揺する青林に得意気に微笑んで羊羹を一口食べながら、陽炎は一言。
「――だって、貴方の妻ですもの」
お互いは顔を見合わせて、そして小さく吹き出した。
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