第捌話 血涙流るる森の中〈一〉


 天街てんがいの表通りは日が落ちた時こそが、一番の稼ぎ時である。日の光が消え失せ、人々が闇への恐怖が掻き立てられるのを防いでくれるのは天街に広がる無数の色鮮やかな提灯の灯りである。咸池屋以外にも多くの妓楼が建ち並ぶ中、天街でも名高い太夫“若菜ワカナ”の次に人気があるのが、彼女の先輩にあたる天園屋てんえんやの太夫“朝顔アサガオ”である。

 咸池屋がまさに凩の一件で騒がしい頃、その天園屋の二階の座敷に通されて朝顔太夫自慢の三味線を聞きながら酒を酌み交わす、二人の男がいた。噂に名高い朝顔は澄ました顔で三味線を奏で、その座り姿はそこに凛と咲く大輪の花と言っても過言ではない美しさに、さかずきを片手に朝顔の演奏に聞き入る朱色の髪の男は満足気に微笑む。


「――流石は、天街一の太夫。きっと他の名立たる太夫も、勝るとも劣らない美女才女ばかりなのだろうな、旦那」

「… 太夫、すまぬが少し席を外してもらってもよいか?」

「まぁ、仕方ありませんね。でも、あとでわっちにも構ってくださいな、旦那方」


 朱色の髪の男とは反対に、どこか落ち着きのない相手方の男は二人きりになるために朝顔を退室させると、焦る気持ちを抑えるように杯に注がれた酒を一気に飲み干すと密談を始めた。


「…話を始めましょう。あまり時がありませぬ故」

「確か、お家には内密の事でしたな。いいでしょう、早速を始めましょうか、若旦那」


 二人は元はこの西の“監兵領かんぺいりょう”の人間ではなく、その拠点は南の“陵光領りょうこうりょう”であり、二人はとある密談のために態々遠路はるばる西の天街にまでやって来たのだ。

 地味な紺色の着物を着ている気がそぞろな男とは正反対に、派手な唐紅色の小袖を着こなした中性的な隈取り化粧の男は杯を盆の上に置くと、商談相手の男と向かい合って話し合いを始める。


「…依頼の内容は確か、西と東の国境を接する奥深い森で行方知れずとなった、妹君の捜索だったか?」

「はい。もう一年も前のことです。東の“孟章領もうしょうりょう”の商家に嫁入りの途中、妹を連れた一行は森の中で忽然と姿を消した。死んでいるなら形見を、もし生き延びているのならどうか我が家に、連れてきてほしい」

「まったく…。俺の稼業が殺し屋であって、人助けは論外だというのに。困ったお人だ」

「…お願いいたします! もう貴方にしか頼めないのです!」


 そう言いつつも、朱色の髪の男はどこか楽しそうに微笑んでいる。酒で火照った頬を冷ますため、出窓に腰掛けて心地良い塩梅の夜風に当たっていると、店の外ではどこかいつもと違う喧騒に包まれており、男の興味はそっちに移ってしまった。

 天園屋の二軒隣の若菜太夫のいる咸池屋の前は不自然な人だかりができており、その店の二階では一人の若い男が助けを求める叫び声を上げていた。


「誰か助けてくれ――! お、鬼だ! 鬼が出た――!!」


 乱心した男の言葉を半信半疑で聞く群衆たちを押し退け、駆け込んできた奉行所の人間たちが騒ぎの中心である咸池屋に今まさに乗り込もうとしていたその時、一人の女が男達の前に立ち塞がった。その女は不自然に少し汚れていたが、その身なりから咸池屋の女将であることが朱色の髪の男は察した。女は堂々とした態度で男達に向かい合う。


「――なんの騒ぎだい? ここを天下の咸池屋と知ってのことかい?」


 男達に毅然とした態度で臨む女の背後を頻りに気にする素振りに気づき、男は出窓から身を乗り出して店の裏道を覗き込んだ。そこには裏道を無我夢中で駆ける人影が一つあり、男はその人影が向かう先を予測するとそれまで放置していた商家の旦那に詰め寄る。


「旦那! 旦那の妹が消息を絶った場所は、どこだと言っていたか?!」

「は、はい。西と東の国境近くの、『天横山てんおうざん』の森でございます!」

「…わかった。この依頼、俺に任せておけ」


 そう胸を張って言うと、男は何か楽しいことが起こる予感を感じながら西と東の国境を目指して旅立った。そのことを朔夜と六花は、勿論知る由もない。



 ❖ ❖



 天街を出た六花と朔夜は、揺籃の忠告通り監兵領の奎都けいとへの道を逸れて東へ向かった。監兵領から東の孟章領に入るには、二つの経路が存在することを朔夜は道中六花に説明する。


「――孟章領へ入るための関所は、主に二つある。一つは奎都からの道で、もう一つは国境近くにある天横山てんおうざんを通り抜ける道があるわけだが、我々が向かう道は一つ」

「天横山を通り抜けるしか、ないわけね」


 人通りのない田舎道を一人歩く六花は地図を片手に、巾着の中の髑髏しゃれこうべと会話を繰り広げている。誰の目も気にすることのない田舎道である故、六花も朔夜も気兼ねすることなくいつもの声量で話し続けている。


 二人の話の中に出てきている『天横山てんおうざん』とは、西と東の国境近くに聳える“四大霊山”の一つである。四大霊山は元陰陽国を囲む山々のことであり、その山に囲まれた円状の渓谷に都『庚辰こうしん』と朔夜たち烏兎一族の住む皇宮があったのだ。元々陰陽国を守っていた霊山であるが故に、その山道は険しく子供一人の足で通るには困難な山であることを二人は重々理解していた。


 揺籃から聞いた「白虎が朔夜の首を探している」という情報を聞いた二人は、安易に奎都に入ることはできなくなり、二人の目的地は“孟章領”の角都かくとに急遽変更となった。そして二人が安全に監兵領を抜けるには、険しい天横山を抜ける他なかった。既に歩くことに飽きていた六花は、零れ出る溜め息を抑えることはできなかった。


「はぁ、田んぼ道の次は山道か。このままじゃ将来、足が男のように太くなってしまうわね」

「仕方ないな。良い美容方法をその内教えてあげるから、今は我慢して」

「…なんでそんなこと知ってるの?」

「よく赫夜にせがまれて、やってあげたんだ。だから赫夜の脚はいつも、細くて綺麗だったよ」


 相変わらずの朔夜の甘やかし話に六花は適当に頷くと、地図を懐にしまって朝日の昇り始めた田舎道を歩き続ける。

 懸命に文句一つ言わずに歩き続けた六花は自力で、昼頃には天横山近くの小さな村に辿り着いた。そんな六花の度胸に朔夜は感嘆するしかなく、身体が戻ったら必ず彼女の脚の按摩マッサージしてやろうと心に誓ったのだった。


 しかし村に辿り着いた二人は、村の異様な光景に目を見張った。あまり広くはない村であるが、その敷地内は荷車を引き連れた商人たちの一行で埋まり、数少ない宿場も商人たちでいっぱいであった。一室の空きもない宿の状況を目にし、六花は茶屋で途方に暮れていた。


「どうしようかな。野宿は、さすがにな…」


 ぶつぶつと独り言を漏らしながらその口に団子を詰める六花は、自然と耳に入ってきた村人たちの噂話に聞き耳を立てた。それは巾着の中で息を殺す朔夜も同じであった。


「――聞いたか? 

「本当か!? まったく、森に出るのせいで、いつまで経っても商人たちが村に居座り続ける」

「あぁ、困ったものだ…」


「あの! それは本当の話ですか!?」


 中年の村人二人の間に突然割って入ったのは、団子を片手に片方の頬を膨らませた六花だった。見覚えのない怪しい少女の登場に村人は顔を見合わせ怪訝な表情を浮かべるが、二人の噂話に目を輝かせる六花の姿に根負けして噂の詳細を説明し始める。


「実はな、嬢ちゃん。この先に聳える天横山には、“人食い鬼”が出るのよぉ」

「人食い鬼、ですか?」

「そうよぉ。なんでも、縄張りの森を通ろうとする者を捕まえては頭から首を一飲みにしたのち、残った胴体を木の枝に逆さに吊るして血を抜き、干物になったところで食べるのだという。恐ろしや、恐ろしや…」

「その鬼が出るのは最近のことなのですか?」

「いいや。噂自体はあるが、頻繁に人死にが出始めたのは一年前からだ。そのせいでこの道を通って国境を越えようとする商人たちは、この村で足踏み有様よぉ」


 村人の中年の語る噂を真面目に聞きながら、六花は鬼による人の食べ方を想像してぶるりと身震いした。その一方で口を出せない朔夜は冷静に噂について分析する。

 鬼が出る、という噂はこの地ではよく聞く噂ではあるが、朔夜が引っ掛かったのは噂自体が広まったのが『十年前』という点であった。鬼というものは一つの感情に執着し、その感情に則った行動しかとらない。それは天街の凩がいい例であり、彼女は自分を愛してくれた若菜の想いを叶えるために人を殺していたのであり、鬼とは元来そういうものである。しかし今回の天横山に出現するという鬼は、縄張りに入った者を見境なく殺しては食っているという。例えその場所が元々住んでいた場所でそこに何かしらの執着があったとしても、広い天横山のすべてを縄張りと認識しているというのは朔夜には合点がいかず、その鬼が自然発生したものではなく、『鬼道きどう』によるものであると予想していた。それであれば、人に無差別に害を成す鬼がうろついていてもおかしくはない。しかし、朔夜が知る限り『鬼道』が使える人間はただ一人、

 鬼道とは、死んだ人間を人為的に鬼化させて使役するものであるが、その力は生まれつき備わっている赫夜でさえ完全に制御できるものではなかった。もし噂の鬼が本当に十年前から出現しているのだとしたら、それは反乱の際に赫夜が暴走した際に放たれた“鬼神”の一体ではないか、と朔夜は懸念していた。鬼道を使う主人の命令によって動く鬼神が、赫夜の命令通りに殺戮を行い続けているのであれば、それは朔夜にとって見逃せない問題である。

 もしくは、彷徨っていた鬼神が一年前にそこで死んだ人間にとり憑き、その人間の願いによって殺戮しているのかもしれない。


 考え出すとキリがなく、朔夜はとりあえずこのままでは六花も国境を越えられないため、その解決策について考え始めることにした。

 そんなことは露知らず、六花は最初に頼んだ団子を三本食い尽くし、追加のもう三本に手を付けながら村人たちの話に聞き入っていた。


「困ったな。私、どうしても国境を越えて孟章領に行きたいの! どうしたらいいでしょうか?」

「そうさな…。一人じゃ危ないからな、他の商人の一行にくっついていけばいいんじゃねぇのか?」

「成程! ありがとう、おじさん達」


 ご馳走様、と最後の一口を飲み込んだ六花は茶屋の席を立ち上がると、荷物を持って再び村の中を散策し始める。村人の二人は去って行った六花の残していった団子の串の総数が十本以上であったことに、密かに驚愕するのだった。


 どこか一緒に森を抜けてくれそうな商人の一行を探して歩く六花は、とある大所帯の一行を目にする。

 十数人もの商人たちを引き連れている一行の長は、でっぷりと肥え太りせっせと稼いだ金に溺れているのが一目してわかり、そんな重量級の男を乗せるであろう牛車の牛が可哀想に見えてきてしまうほどの巨漢に、六花は呆れを通り越してある種の潔さを感じていた。そんな男が金に物を言わせて雇ったであろう、武器を携えた大層人相の悪い男たちが一行の周りを囲むようにして屯している。

 幼い六花一人ではとてもじゃないが同行を頼める雰囲気ではないため、見て見ぬふりで通り過ぎようとしていた時、六花の倍はある大きな手が突然背後から彼女の肩を叩いた。驚いて飛び跳ねるようにして振り返った六花の背後に立っていたのは、顔じゅうに白い包帯を巻きつけている長身の男。顔に隙間なく巻き付いた包帯の間から覗く金色の瞳は怪しく光り、六花の幼い姿を静かに見据えるとスッとその目を細めて包帯の下でもごもご、と小声でしゃべり出した。


「…娘、何を見ていた?」

「え、いえ、その…。み、皆さま方は、これからあの森に入られるのかな、と…」

「その通りだ。雇い主の命令で、今夜にでも発つ」

「こ、今夜!?」


 何故わざわざ鬼の行動が活発化する夜に、森を通ろうと思ったのか理解できない六花は思わず大声を上げてしまい、周りの散り散りになっていた視線が一斉に六花を見つめた。咄嗟に口元を覆う六花の焦る姿に包帯男は密かに笑うと、目を泳がせている六花の頭を優しく撫でた。


「…お前も、あの森を通りたいのか?」

「え、なんで…」

「我等と共に同行できるかどうか、雇い主に話してみる。だからここで少し待っていろ」


 謎の包帯男に突然そう言われ、六花は大人しくその場に立ち尽くした。

 六花を置いて牛車の傍で呑気に休憩する商人の男のもとにやって来た包帯男は、脂肪だらけの身体に更に糖分を摂取するように、茶菓子を頬張っている男の横に膝を着いた。


「旦那様、よろしいですか?」

「んぁ? なんじゃお主」

「今夜の道中、旅の娘を一人同行させてもよろしいでしょうか?」

「旅のむすめぇ? 美しいのか?」

「いえ。まだ十一かそこらの子供でございます」


 旅をしている娘と聞いて目を輝かせた主人だが、幼年と聞いてあからさまにガッカリした様子で興味を失くした。そして投げやりに、好きにしろ、と包帯男をあしらうと大きく欠伸して舟をこぎ出した。もはや聞く耳持たない様子の主人に軽く礼をして、包帯男はさっさとその場を離れて六花のもとに戻った。

 だがそこで待っていたのは、護衛の男たちに囲まれた六花の姿だった。皆札付きの悪ばかりで、てっきり幼い六花に絡んでいるのかと勘繰って駆け寄るも、そこから聞こえてきたのは六花の楽しげな笑い声だった。


「本当にそんなことがあったのですか?! 貴方がたはそれまでにお強いのですね!」

「そーだろ、そーだろ!」

「嬢ちゃん! 次はおれの武勇伝を聞いてくれや!」


 予想外にも、六花は人相の悪い男共といつの間にか打ち解け、寧ろ彼らの自慢話の相手を見事にこなしていた。生来の気質なのか、六花は思いの外聞き上手なようでこの状況には包帯男は勿論、巾着の中で沈黙を貫いている朔夜すらも驚愕させた。まさかの思ってみない光景に開いた口が塞がらない包帯男の存在にようやく気が付いた六花は、無邪気な笑みを浮かべて大きく手を振った。


「“包帯さん”! お話は終わりましたかー?」

「あ、あぁ…。好きにせよ、とのことだ。今夜一緒に来い」

「やったぁ!」


 大手を振って喜ぶ六花に、嬢ちゃんよかったな、と一緒になって喜ぶ護衛達の姿に、包帯男は肩を落とすしかなかった。そして心の中で、自分が助け船を出さずともこの娘なら一人でなんとか出来たのではないか、とそんな風にすら思った。



 こうして六花と朔夜はその日の夜に、とある商人の一行と共に鬼の潜む天横山の奥深くへと進んだのだった。

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