第肆話 四君主体制〈二〉

 四方暦しほうれき九年 水張月みずはりのづき(六月)


 時同じくして、元陰陽国いんようこく首都『庚辰こうしん』の中央に未だ残る“烏師”の社殿『后土殿こうどでん』には、今まさに話題の中心である“四君主”たちが次々に集まろうとしていた。

 かつて烏師がお勤めを果たし、社殿前には多くの参拝者の集った神聖なる敷地内はその面影をすっかりなくし、手入れのされていない敷地内は領主たちが歩くには些か不便なほどの背の高い雑草に覆われており、后土殿内は各領主の近侍たちが手を加えて整備してあるため、まだ綺麗な方ではあるものの手の付けられていない箇所はやはり老朽化のせいで木製の部分は湿気で腐り、天井にも壁にも床にも目立った風穴があちこちに見えた。四人の領主たちが集まり月に一度の合議を行うのは后土殿の奥の龍神の像の祀られている本殿であり、今でも青龍一族の青林セイリンの家臣が合議の前にせっせと磨いている甲斐あって、十年経った後も本殿は過去の美しさを残している。


 彼等四人を見下ろすようにして両目を剥く龍神のお膝元に四つの円座を円形にして置き、龍神像を北に据えてそれぞれの領主が各々の方角に座るのが習わし。合議はその日の昼頃行われる予定だが、既に北の玄帝げんてい玄冬ゲントウ”と東の青帝せいてい青林セイリン”は約束の時刻より早く到着し、他二名の若い領主を待った。生真面目な青林が約束より早く到着しているのはいつものことであるが、玄冬は今日に限り早々に到着して円座に座していたことに青林は最初目を見張った。しかし次には眉を顰め、座した玄冬から一歩下がったところに静かに座している見知らぬ青年を凝視した。項でまとめられた艶やかな黒髪と澄んだ青天を写し取ったかのような空色の瞳、端麗なその姿に何故か既視感を感じ、青林は無意識に肩を震わせた。


「…玄冬殿、そちらの御仁は?」

「はい。儂の娘婿の“紅鏡コウキョウ”と申します。本日は合議の見学の為に連れて参りましたが、ご迷惑でしたかな?」

「いえ。とても熱心な方なのですね」

「ゆくゆくは紅鏡これに儂の跡を継がせるつもり故、どうぞ今後ともよろしくお願いします」


 青林に向かって玄冬が粛々と頭を下げれば、続けて後ろに控えた紅鏡も頭を下げて挨拶した。しかしそこで青林は、はて、と首を傾げる。彼の記憶では玄冬には既に四人の息子がおり、内次男の“冬牙トウガ”と三男の“樹雨キサメ”は十年前にこの陰陽国で亡くなっているが、それでもまだ長男と四男が存命のはず。何故わざわざ娘婿を跡継ぎに指名するのか、青林がその理由を問おうとしたその時、思わぬ邪魔が入り三人は金堂の入り口に振り返った。


「――これはこれは、いつも通りお早い御着きで」

「其方はいつもより遅いのではないか? 白秋ハクシュウ殿」


 続いて到着したのは西の白帝はくてい白秋ハクシュウ”である。白虎一族に代々相伝される金糸の髪を靡かせ、見た目通りの派手好きなこの青年に正直言って青林は苦手意識を抱いていた。顔にはいつも薄っぺらい笑みを浮かべてはいるものの、その腹の底までは見えた試しのない油断も隙もない白秋の今日は珍しく指貫さしぬきの裾が汚れており、それうまく白虎一族の伝統的な桃の花柄の白い直垂ひたたれで隠している様子に、青林は目敏く気づいて指摘する。


「…白秋殿は随分とお忙しいようで。噂では領地の方々を駆け回っておられるとか」

「そんな大袈裟な。残念ながら私には古参の家臣たちの人望がないので、こうして時々各地を見回らなければいけないというだけですよ。陰陽国のように反乱を起こされるのは御免ですから」

「確か古参の家臣たちは、白秋殿より大叔父の“伯都ハクト”殿を指示しているのでしたか?」


 年若い領主の白秋を常に支えている老中ろうじゅう伯都ハクトは、実をいうと白秋の血縁者である。亡き先代“白楽ハクラク”の異母弟おとうとであり、後継者としての序列は孫の白秋より上であったが、とある理由から後継の座から自ら辞退した。その理由というのに納得できなかった古株の家臣たちは未だ、伯都を領主に立てようとする動きを見せている始末。それは長年白秋だけでなく、伯都すらも頭を悩ませる根深い問題であった。


「伯都が領主の座を辞退した理由をご存じか? あやつ、早くに正室を亡くして以降絶対に何があっても継室は迎えないと公言したんだ。今後妻子のいない男に跡を任せられないって、爺様が私を指名したんだ」

「なるほど。その愛妻家の伯都殿の心中を無視して、古株共が勝手に騒いでいるわけか。お互い内に気苦労が絶えないな」


「――あら。青林殿の気苦労に関しては、わらわは自業自得だと思うのだけれど」


 扉のすぐそこで話し込む二人の間を割って最後に現れたのは、まとめられた赤毛に飾られた飾りをシャン、シャン、と鳴り響かせながらしゃなりしゃなりと歩く南の炎帝えんてい朱華ハネズ”である。この場にいる領主たちの誰よりも着飾り、一族の象徴的な色の『朱色』を基調としたほうに身を包み、目元も赤く縁取るように化粧が施された幼さの残る少女の容貌で、大の大人たちに強気に発言できるのは若さ故の怖いもの知らずでもあり、彼女の美徳でもある。

 しかし登場早々の歯に衣着せぬ彼女の物言いに、流石の冷静な青林も珍しく食って掛かる。


「…自業自得とは、どういう意味かな。朱華殿」

「言葉の通りですわ。青林殿の悩みの種でいらっしゃる、最後に顔を合わせられたのは一体いつのことでして?」

「……さぁ。一々数えていないのでな」

「それも仕方のないこと。だって青林殿は十年前、

「っそれは――!」


 わかった風に語る朱華についに青林が反論しようと声を荒げるも、三人の背後から響いたタンッ、という音に六つの視線が振り返った。三人の口を封じたその音の正体は、それまで沈黙を破ることのなかった玄冬が湯呑を床に叩くように置いた音であった。それは暗に、黙れという意思表示であり、空気から感じる圧に仕方なく青林は口を閉じ、朱華は膨れっ面でそっぽを向き、そんな二人の間で白秋は困ったように肩を竦める。玄冬に視線のみで座れと指示された三人は渋々といった様子でいつもの定位置の円座に座ると、その場を取り仕切るべく片眼鏡をかけた四十の物腰柔らかな男が円座の位置から少し離れた場所から手元の資料を読み上げる。


「では、本日の合議を始めます。本日合議を取り仕切ります、玄帝老中の明達メイタツと申します。どうぞよろしくお願い致します」


 四君主の合議を取り仕切る老中は公平さが求められるため、初回以降は交代制と定められている。選ばれるのはそれぞれの領主たちが指名した自身の最も信頼する老中であるが、決して自分の主君のみを贔屓しない人物でなければならないという絶対的な条件に当てはまる者に限る。

 そこへ四人にお茶を用意してきた女人が一人やって来る。彼女もまた、今回この場の仕切り役に任命された明達と同じく、玄帝に仕える女中であり彼の妻である。前回の仕切り役であった南の炎帝に仕える女中はなんとも華美な装いであったが、それに比べて素朴な見た目だがお茶の淹れ方は段違い、と青林は心の中で女中を褒めた。

 四人全員が用意された茶を飲んでひと心地ついたところで、明達は合議を開始する。


「ではまず、最初の議題でございます。近年各領地より、“柱の異変”と“天災”の報告を受けております。その情報をここにおわす領主様方で交換いたします。では玄冬様から初めて、左回りでお願いいたします」


 この場を取り持つ明達の指示で、北側の玄冬は軽く咳払いをすると自身の領地の異変について伝え始める。


「我が執明領は、去年の収穫時期の長雨のせいで飢饉に陥り、例年に比べて倍の数の餓死者が出ました。それ以降も春の陽気が訪れるのが遅く、作物の育ちも悪い。そして他と同じように、“柱”の歪みも広がっておる」


 玄冬の“柱”という言葉に他の領主たちも各々に反応し、次に青林が口を開くがその声は重々しく事の深刻さを物語っていた。


「我が孟章領も同じようなものだ。不作も相次ぎ、特に我が領地では度々謎の竜巻が起こっておりまして、それで吹き飛んだ民の家屋が一体何件あったことか…。“柱”付近の森も、最近獣が多く旅人が何人も襲われて困っている」


 他の領地と然程離れていないにも関わらず、東の孟章領内のみで発生する謎の竜巻の甚大な被害のせいで、最近の青林は方々の対処に忙しく目の下から隈が消えるには恐らく半月掛かると見込まれる。

 それまでの二人の報告をただ静かに茶を飲みながら聞いていた朱華も自分の番が回ってきて、茶碗を傍に置くと鈴を転がすような少女の声で話し始めるも、彼女の話はまるで他人から伝え聞いた噂のようで、いまいち本人は内容の深刻さを理解していないようであった。


「…妾の陵光領では、北とは逆に日照り続きの不作と、で市井の者たちは怯えていると聞いておる。はよう収まってくれぬかの。“柱”については、老中たちに任せておる故、妾は与り知らぬ」


 全て他人事のように興味のない様子の朱華に、他の領主たちは気づかれないように溜め息をついた。

 南の陵光領を治める朱華ハネズの御年は十二歳。まだ政に興味を示さない彼女の領地を実質治めているのは、彼女に名目上仕えている老中たちである。朱華の実父である先代の頃から仕えている古株ばかりで、先代の頃も好き放題していたという噂もあったため、彼女の代になってからもその権力は増すばかりという。故に彼女の今の一番の関心は、自分を着飾ることばかりであり、それを今現在この場で彼女は体現していた。

 自分の番は終わり、と言わんばかりに朱華は口を閉ざすとまた茶碗に口を付けた。そんな自分勝手な朱華の姿勢に苦笑しながらも、次の白秋は姿勢を正していつもの人当たりの良い笑みを浮かべながら話し始める。


「…私の領地は、“柱”の異変以外特に目立ったことはございませんが、やはり巷での噂が聞こえてくるように思います。まったくこれも、なのか…」

「白秋! 滅多なことを言うものではない!」


 白秋の口にした『赫夜の災い』の言葉を聞いていの一番に反応したのは、青林であった。顔を蒼白にした青林は十年前に見た赫夜の姿を思い出し、そしてハッと顔を上げて玄冬の隣を凝視した。そこに黙って座している若い男のことを見て、最初に感じた既視感は間違いではなかったと確信する。その紅鏡コウキョウの端麗な容姿は、どこかを思わせるものがあったのだ。四君主の中で誰よりも陰陽国に忠誠を誓い、そしてその滅亡を指揮した青林はこの場にいる誰よりも、赫夜の祟りを恐れていた。

 四人中二人が口にした『鬼騒動』のことも、青林は伝え聞いた話でしか知らないが、南と西の領地ではここ最近闇夜に紛れて人を食らう『鬼』が出ており、その原因が“柱”の封印の綻びによるものだと、四人は考えていた。

 彼等が口々にそう呼んでいる“柱”とは、大昔この世を乱したという『龍神』を善神とするためにその力の源である『龍脈』を封じた楔のこと。それぞれの領主の象徴たる色をした“柱”には、古くより陰陽国の烏師による結界が張られており、その結界は何年かに一度烏師自ら修復を行っていた。しかしその修復は十年前から一度も行われていないため、必然的に結界は年々綻びを増していた。この問題こそ、四人の領主の共通の悩みである。


 未だ青い顔で狼狽している青林を鼻で笑い、白秋は彼の犯した唯一の過失ミスを揶揄った。


「…青林殿があの時、赫夜から封印のことを聞いておいていれば、こんなことにならずに済んだかもしれないのに」

「今更言っても詮無いことだ。それにあの状況では、お互い話ができる状態ではありませんでしたからな」


 揶揄う白秋を一番年長者の玄冬が諫め、老人に説教された白秋の姿を朱華が密かにほくそ笑んだ。団結力ない四人の君主に一歩下がった場所から観察していた紅鏡は、前に玄冬から聞いたある話を思い出し、サッと挙手して四人の視線を釘付けにした。


「――失礼。一つ、私からもよろしいですかな?」

「良い。申してみよ、紅鏡」


 主である玄冬からの許可が出され、取り仕切り役の明達も黙ってその場は下がる。紅鏡はこの場にいる四人の君主全員に自分の言葉を聞かせるため、玄冬と並んで座して静かに語り始める。


「では、一つこの場にいらっしゃる四君主様方に、聞かせたいお話がございます。皆様は、『常夜衆とこよしゅう』なる集団をご存じですか?」


 紅鏡がまず最初に聞かせた『常夜衆』の耳慣れなさに玄冬以外は首を傾げ、次の言葉を黙って待った。全員が自分を注視し、この場の空気を自分が支配していることを確信した紅鏡がほくそ笑むと、話を続ける。


「今市井を密かに騒がせている『常夜衆』なる集団は、謂わば僧兵集団のようなものでして、彼等が崇拝するのは龍神を鎮めし『烏師』その人。つまり我らが討ち果たしたとされる赫夜を信奉する者たちのことです」

「赫夜を信奉する、集団ですか?」

「はい。彼等の目的は主に、赫夜と烏師の素晴らしさを世の人々に伝え歩き、悪く言う人を粛清することであります。故に彼等の動向は我々でも掴めておらず、唯一見かけた徒士かちがおりまして、とても聞き逃せないことを申しておりました」


 玄帝に仕える下級武官“徒士かち”の一人が市中をふらついていた時、喪服のような真っ黒な装束に身を包んだ集団が列をなして歩いてくるのを見かけたそうな。僧兵のような屈強な男たちがぞろぞろと行進する中、その集団には似つかわしくない黒い衣を纏った白黒の珍しい髪の女が一人と、その女が寄り添うように歩くもう一人の人物。


「――その人物が、、と」


「ば、馬鹿な!? あやつが本当に生きていたということかっ」

「おやおや。妾の家臣たちも、それを聞いてさぞや小鹿のように震えるのでしょうな」

「…生きていたか、邪神め」


 各々が赫夜のことを思い出し、それぞれの反応を見せながら感想を述べる。ざわめくその場に追い打ちをかけるかのように、紅鏡が更に続ける。


「それが赫夜であるという動かぬ証拠が一つ御座いまして。その者のいる常夜衆がらしいのです」


 思いもよらない鬼神という存在に、その場を凍り付いた。それが意味するものがどれだけ恐ろしいかを、幼い朱華すら知っているほど、鬼神というものは彼等の恐怖の象徴である。

 『鬼神きしん』とは、ただの鬼ではない。鬼というものは、死んだ魂が怨念によって再び死骸に戻り、人の世に悪さを齎すもの。これらの鬼は自然発生によるものが多いが、鬼神はまた別物。鬼神が生まれるには、『鬼道きどう』と呼ばれる術とそれを扱う術師が必要となる。鬼神を生み出し操る『鬼道』は誰もが使えるものではなく、今の世でそれを正式に受け継ぐのは陰陽国の『烏師』のみ。


 つまりこれは、赫夜が生きている証でもあった。


 今回の合議、四君主の間で決定したのは“常夜衆の捜索と捕縛”であり、これにより更に白髪赤目の子供たちに対する領主からの目も厳しくなるのだった。そのことをまだ、六花は知らない。





 十年の時を経て再び、世に陰陽国の双子が姿を現した。人々が恐れる双子を世界が欲し、龍神が欲していたのだ。そして世は再び、人々の思惑によって乱れ始めるのだった。


 双子を繋ぐ赤い絲は未だ、細く遠い…。

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