第64話 面倒な上司

 イーサンと会談した翌日、俺は一人で軍本部に出かける。

 大立ち回りでもなれば都合が良かったが、平和裡に話し合いが終わってしまったので、正攻法でオリベッティ中将殿と話をつけなくてはならなかった。

 当初の約束では手紙を運ぶ間に必要だからということでの現役復帰だったが、軍の発令上はそんなに細かな条件設定はない。

 あくまで現在も俺の身分は無任所少佐であった。


 どっかの悪い悪魔が任地を東部の最前線に変更すればノコノコ出かけなければならない立場である。

 最悪、バックレればいいのだが、二度とアガタ王国には足を踏み入れられなくなってしまう。

 軍に捕まれば最新式の刑である銃殺刑が待っていた。


 昨日に引き続きということで不本意極まりなかったが軍本部の建物に入る。

 オリベッティに面会を求めるとおやっさんは防諜措置がされた部屋に俺を招き入れた。

 将官用の会議室には真ん中にデンと大きな長方形のテーブルが置かれている。

 その角に直角になるように座った。

 向かい合わせに座ると心理的に壁ができるとでも考えてやがるに違いない。

 本当に食えないおっさんである。


「よう、坊主。昨夜は忙しかったみたいだな」

「とあるお嬢さんからの熱烈なラブコールでね、秘密の逢い引きってわけさ」

 軽いジャブの応酬の後、昨日聞きそびれた話を拝聴する。

「坊主が活躍しちまったせいで、せっかくカスバでのんびりしていたのに本部に呼び戻されて昇進ってわけさ。ダナンと緊張が高まっている状況で、向こうの仕掛けに見事なカウンター決めちまったからな。軍としても何もしないわけにはいかんのだろう」


「なんか俺が活躍したせいでと聞こえるんですけどね」

「おう、ちゃんと伝わっているようで良かったぜ。マローンの船隊をぶっ潰したりしただろう? ということで、こいつだ」

 紙片をひらりと取り出してテーブルを滑らせてきた。

 目に飛び込んできた文字はなかなかに刺激的である。

 無個性な字体で『アガタ王国陸軍本部付中佐を命ずる』と記されていた。


 おえええ~。

 マジで勘弁してくれよ。

 俺はこいつに直接反応するとオリベッティの掌の上に乗せられそうだったので話題をそらすことにした。


「で、俺に託してはるばるアールデンまで運ばせた手紙の中身はなんだったんです? またはったりのダミーですか?」

「ああ、大したもんじゃない。キャプテン・マローンと接触があった人物のリストだよ」

 何が大したことはないだよ。

 それってアガタ王国の西部における敵対分子ってことじゃねえか。


「そんなものリストを送ってないでさっさとおやっさんが容疑者を拘束すればいい話じゃないですか。なんでわざわざ俺に託したりしたんです?」

 悪魔は実にいい笑顔になった。

「残念ながら防諜任務は俺の職務権限には入ってなかったんだよなあ。軍本部で第6課が集中管理している」


「そんな所管なんぞを気にするタマかよ」

「ほら、俺がカスバに左遷されたのも越権行為が原因だっただろ。ちょっとは大人しくしていないとな」

 絶対に嘘だ。

 オリベッティはそんな殊勝な奴じゃない。


「そんな暢気なことをしていたら容疑者に逃げてくれっていうようなもんじゃねえか。ああ、そういうことか。わざわざ逃げる時間を与えやがったな」

 たぶん、キャプテン・マローンに協力していた者の中には、脛に傷を持つ者が不本意ながら渋々と従っていたのが多いのだろう。

 

 それが分かっていたから、本部に容疑者のリストを送りつつそれをリークしてとんずらする時間を与えてやったというわけだ。

 自主的に国外に逃れてくれれば今後は実害が発生しない。

 オリベッティは気の毒な連中を追及せずにすむしな。

 意外とそういう甘いところがある。


 そういう事情ならまあしゃーねーかな。

 まてよ。

「リストの中にはガチなスパイが混じっていて、使者を殺してでもリストを奪いたいというのもいたはずだろ」

「結局、引っかかったのは金で雇われた破落戸が多かったけどな」


「いや、論点はそこじゃねえ。俺やセディが危ねえじゃねえか。事前に警告しようとか思わなかったのか?」

「坊主たちなら大丈夫だろ」

 まあ、そうなんだがな。

 毎回いいように使われてるのが気に入らねえ。


「もう、終わったことは仕方ねえから四の五の言うのは勘弁してやる。その代わり、無事に役目を果たしたんだから退役させろ」

「この状況下でか。そりゃ無理ってもんだ。逆に予備役召集しようってぐらいなんだぞ」


「んなこたあ、分かってる。それを何とかしてくれって頼んでるんだよ。もう、十分に働いただろ? 退役させねえってんなら不名誉除隊になるようなことすっぞ」

「脅しか?」

「違うね。覚悟の話をしてんだよ」

「なんで、そんなに軍を嫌がる?」


「逆に聞きたいが、俺が大人しく真面目な軍人さんをやれると思ってんのか?」

「一応数年はやっていたじゃないか」

「もう、これ以上は無理だ。解放してくれ」

 それきり俺は口を閉じる。

 しばらくお互いに沈黙を保った。


「確かに坊主、お前は軍人に向いてないかもしれねえ。だが、辞めて何をする?」

「知らねえ。セディとふらふらしながら考えるとするよ」

「いい加減落ちつけと言いたいが、それで大人しくなるような人間じゃないな。いいだろう」

 お、意外に聞き分けがいいじゃねえか。


「ただし、今すぐの除隊は無理だぞ。それなりの手続きがある」

「勘弁してくれよ。軍のお役所仕事が終わるの待っていたら、満期除隊になっちまう」

「俺に今すぐできるのは坊主の所属を変えることぐらいだ。軍本部付を無任所扱いにしてやる。それで手を打て」


 なるほど、それなら今と特に変わらないな。

 まあ、俺が完全にオリベッティ派閥に属しているということになっちまうが、そこは妥協するか。

「変な任務を押し付けるつもりじゃないだろうな?」

「俺がそんなことしたことあるか?」


 こいつ、素で言ってやがるのか?

 まあ、海賊と宝探ししたのは仲介しただけだし、今回の手紙配達は金に困って俺が自発的に引き受けたんだが。

「まあ、いいや。辞令の再交付は早いこと頼むぜ」

「おう」


 オリベッティは机の上に置きっぱなしだった紙切れの上に新しいものを乗せる。

 前のものより新しい日付で無任所扱いの中佐とする発令書だった。

 俺は大声で笑いだす。

「まったく、おやっさんには敵わねえな。つくづく恐ろしいぜ。俺が折れなかったら2枚目は握り潰してたんだな」


「さあな。それよりも貸した金も返せよ」

「今それ言うか?」

「言っておかないとすっとぼけてまたどこかに消え失せるだろ」

「さすがにそこまで恩知らずじゃねえよ。耳を揃えて払うさ」

 オリベッティめ、まったく信用してなさそうな顔をしてやがるな。

 俺には魔術師協会から受け取った金もあるんだ。明日にでも払って驚かせてやるぜ。


 オリベッティは咳払いをした。

「それでベティ嬢とは上手くいってるのか?」

 今度はそっちか。まあ、監視してんだから一緒に居るのは知ってるだろうに、俺の口から何を言わせるつもりだ?


「いくらなんでも部下のプライバシーに首を突っ込みすぎだろ。まさかこれも上司としての仕事のうちとか言わねえよな」

「もちろん言わんよ。単なる俺の個人的な興味に過ぎないな」

 堂々と言うことかよ。

 ただ、俺様を以てしてもこのおっさんの相手は骨が折れた。

 三十六計逃げるに如かず。


「それじゃ、お忙しい中将閣下の時間をこれ以上使うのは国家の損失だ。お暇させてもらいますよ」

 辞令を置いたままで立ちあがった。

 オリベッティは鷹揚とした態度で言う。

「紙切れは好きにすればいいが、認識票の更新はしていけよ」

 俺は掌をひらひらとさせて会議室を後にした。


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