第61話 天井画

「どうした坊主。俺に会えてそんなに嬉しいのか?」

「なんでおやっさんがここに?」

「そりゃ、俺は軍人だからな。軍本部にいてもおかしくはないだろう」

「カスバ駐留軍のトップがここにいる理由を聞いてるんですよ」


 オリベッティの奴が肩の階級章を一撫でする。

 まだ酔いが覚めてねえのか棒線が一本増えているように見えるぞ。

「まさか……」

「ああ、そうともさ。昇進して転属になったのさ」

「マジかよ?」


 俺の口の利き方に周囲の連中は眉をひそめる。

 ああ、中将閣下に対する態度じゃないってことぐらいはこの俺でも知ってるさ。

 でも、今はそれどころじゃねえんだ。

 オリベッティの悪魔はニヤリと笑った。


「マジもマジ、大マジさ。それもこれも坊主のお陰だよ」

 俺は疑わしそうな目でオリベッティに視線を送る。

 オリベッティはパイプを取り出した。

「誰か火をくれ」


 周囲の連中は顔を見合わせる。

 俺は仕方なく指摘をしてやった。

「申し訳ないでがここは火気厳禁ですよ。ほら、どっかの地方の建物で山ほどある書類が燃えて騒ぎになったでしょ」

 俺は周囲に積み上がっている紙を手で示す。


「ああ、そうだったな」

 オリベッティは大人しくパイプをしまった。

「ええと、何の話をしているんだったかな。ああ、俺がここに転属になったのはボウズのお陰って話をしていたんだった。まあ、こんなところで話すことでもないな。どっか内密の話をできる場所に案内してくれ」


「閣下。ご案内します」

 俺と話していた大尉が先頭になって歩き始めようとする。

「おい。俺の金」

 声をかけたが無視しやがった。

 一緒に移動しかけていたオリベッティが振り返る。


「どうした?」

「どうしたもこうしたも、おやっさんの使いを果たした謝礼をまだもらってないんだよ」

 俺は用件がすむまで梃子でも動かないという姿勢を示した。


 タイミングよくそこに袋を抱えた兵士がやってくる。

 こんな部屋に訪れるはずがない高官の姿を見てどうしたものかと固まっていた。

 俺は近づいて袋を受け取ろうとする。

 なんと袋を抱き抱えやがった。


「構わん。渡してやれ」

 大尉が言ったことでやっと俺は報酬を手に入れる。

 袋の口を開けて中身を確認した。

 百ギルダ小金貨がキラリと光る。

 中に手を突っ込んでかき回し、上だけ小金貨を入れておくというセコい真似をしていないか確かめた。

 ま、この持ち重りからいって間違いはないだろう。


「それじゃ俺は帰るぜ」

「オトール少佐! 閣下が話があるのですぞ」

「おやっさん。悪いけど連れを待たせてるんだ。またにしてもらうぜ」

 オリベッティは気を悪くした様子も見せず眉を上げた。


「ふーん。なるほどな。まあいいさ」

 人の悪い笑みを浮かべる。

 物わかりが良すぎるのが気になったが、俺はとっととずらかることにした。

 陸軍博物館に入ると人影はまばらである。


 なんとかの戦いの戦場の配置図やそこで鹵獲した軍旗を展示している箇所を通り抜けた。

 昔の武器や鎧を展示しているコーナーで何かを指さして語らう二人を発見する。

 タイルの床に俺の足音が響き、セディとベティがパッと振り返った。


「悪い。待たせたな」

「そんなことないですよ」

「まあ、準備に時間がかかる額だからね」

 俺は外に出ようと促す。

 最初にセディが、次いでベティが怪訝そうな表情になった。

「オトール、どうかした?」

 俺は顔をつるりと撫でる。


 表情に出さねえようにしていたつもりだったが二人には察せられてしまったか。

 こりゃカードをするときはますます気をつけないとな。

 部屋の隅に座る男性が片手を上げて指を唇に当てる。

 背筋をピンと伸ばしており、上げていない方の袖はだらりと垂れ下がっていた。

 俺は指を二本右眉に当てる。


「館内はお静かにだそうだ。外に出てから話すよ」

 二人に囁き率先して館外へと脚をうごかした。

 大聖堂へと歩きながら事情を話す。

 ぼやく俺にセディは笑い、ベティは不思議そうな顔をした。


「あの。師匠に異を唱えるわけじゃないんですけど、オリベッティさんていい人じゃないですか?」

 あ、そうだった。

 ベティが俺に弟子入りした経緯には、あのオヤジも絡んでいる。


「うーん。まあ、あのオヤジは女性には甘いからな。ベティがそういう評価になるのも無理はない。けど、実態は尻尾が生えている悪魔なんだぜ。なあ、セディ?」

「それはさ、オトールがいい加減だからそう思うんじゃないかな。オリベッティさんはごく普通の常識人だと思うけど」


「そりゃないぜ。俺は孤立無援なの? ひどくない? マローンと戦ったときだってほとんどだまし討ちみたいなもんじゃねえか」

「それだけオトールを頼りにしているってことさ」

「え? なに? あいつから金でももらってるわけ?」

「そういえば、報酬はどうしたんだい?」

 セディのやつ話題を変えやがった。


「もちろん受け取ってきた。宿に戻ったら分配するよ」

 大通りを歩いて大聖堂へと向かう。

 寒さが厳しいせいか人通りはいつもよりも少なかった。

 お陰で尾行者は苦労の割には存在を隠しきれていない。


 一人だけモロバレの奴がいるが、こいつは囮だろう。

 そいつに注意を向けさせて他の尾行者の存在を気づきにくくする意図だな。

「目立つのを除いて5人というとこか?」

「他にも怪しい奴がいるけどそんなものかな」

「そんなにいます? 私もまだまだですね」

「周囲をキョロキョロ見ずに探れるだけで大したもんさ」

「そうそう。オトールは適当なこと言っているだけだから」


 足早に歩いていると大聖堂に到着した。

 階段を上り天蓋の下をぐるっと1周する通路に出る。

 熱心に鑑賞するベティと一緒に天井画を見て回った。

 もちろん意識は他の観覧者に半分向けている。

 

 流石にここまでは大勢では尾行してこないようだ。

 俺たちの後に上がってきた中には、怪しい者は1人しかいない。

 不必要に近づいてくる者もいなかった。

 気温が低く風もあるが弱いながらも日差しがある。

 天窓から入ってくる光で天井画の隅々までよく見えた。


 七英雄の活躍とそれを守護する神々の姿が描かれている。

「オトール。何を見ているんだい?」

「おっぱい」

 愛と豊穣を司る女神さまは見事なものをお持ちだった。


 まあ、画家の考える美の極致を仮託する対象が崇め奉る神様になるというのはある意味当然だろう。

 しかし、それにしても、薄物を一枚まとい透けているおっぱいのエロさといったらたまんねえな、おい。


 横でアヒルの鳴き声並みにでかいため息がする。

「質問した私が愚かだったよ。ただ、ベティさんに愛想をつかされないようにだけはしなよ」

 セディはこれ見よがしに魔法銃を肩に担ぎ直した。


 別にいいじゃねえか。

 見ているだけだし相手は絵画だぜ。

 そうは思ったが重々しく肯くだけにしておいた。

 少し離れているところにいるベティを見る。


 斜めに降り注ぐ光の帯がチリやホコリを浮かび上がらせる下でお顔を上に傾けて佇むベティの姿は神々しいほどに美しい。

 あごの先から喉、首へと続く線はえもいわれなかった。

 そんなに長く凝視はしなかったつもりだが、ベティが頭を下げ顔を横に向けると俺の視線を捕らえてニコリと笑みを浮かべる。

 数瞬視線を合わせるとまた天井画の鑑賞に戻った。


 参ったね、こりゃ。

 俺の体の下でベティののけ反る首筋を間近に見てみたいという欲望が背筋を這い上ってきた。

 自惚れかもしれないが誘えば断られない気がする。

 ただ、そんなに簡単に手を出すわけにはいかんよなあ。


 元弟子というところが錘になっているし、何よりセディが怖い。

 ベティと愁嘆場になった瞬間に魔法銃の銃口が俺に向いているのは間違いなかった。

 鑑賞に満足したのかベティが近くに寄ってくる。


「お待たせしました。退屈させてすいません」

「いや、別に時間をもてあましていたわけじゃないんだ。とりあえず下に降りよう」

 来たときとは別の階段を使う。

 大聖堂を出たところで昨夜の男がにこやかな笑みを浮かべていた。

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