第59話 謎の誘い

「いや、まあ、俺がベティみたいな上品な振る舞いできるわけないだろ」

「それって自慢することかい? まあいいや。話を戻すけど本当にオトールはベティさんに感謝した方がいいよ」

「マジで感謝してるって。おかげでこうやって他人の金で楽しく飲めてるんだ」

「その言い草はどうなのさ」


 気を利かせてベティが話を変える。

「それでよく分からないところがあるんですけど、師匠が捕まったのって軍全体が仕組んでいたんですかね? じゃあなんで例のニセ士官は姿を隠していたんでしょうか?」


「ああ、それな。オリベッティを煙たい連中が最初に仕組んだのは間違いない。ただ、よりによって受け取り役がダナン共和国のスパイだったから話がややこしくなったのさ。大笑いだぜ」

「そっか。師匠に難癖をつけるだけのつもりが本当に手紙が行方不明になっちゃうところだったんだ」


「まあな。実際は俺たちに言うことをきかせるために本物はベガに取り上げられていたんだが」

「怪我の功名ってやつですね」

「日頃の俺の行いがいいからだろうな」

「きっとそうですね」


 いや、そこをそう受けられちゃうと俺が単なる勘違い野郎になってしまうので突っ込んでほしいところなんだけどな。

 俺たちの会話を聞いてにやにやしているセディが気だるげに言う。

「ないない」


「そうですか? 師匠はカスバを出てから結構頑張ってますよ。オリベッティさんの手紙も守り通したし、ラッヘの滝近くの町の困りごとも解決しているでしょ? 私の実家の揉め事も収めた上に、ドルネーを捕まえるお手伝いをしたじゃないですか。立派なものですよ」


 俺は照れ臭くなって顔をつるりとなでた。

「よせよ。俺が偉くなった気がしちゃうじゃないか」

「まあ、オトールにしてはよくやったと思うよ」

 セディが褒めるなんてびっくりだぜ。

 ああ、これは良くないことが起こる前触れだな。


「オトール。何を浮かない顔をしているんだい」

「いやなに、人生について考えていたんだよ」

「それなら本格的に家庭を持つことを考えなきゃね」

 おっとやぶ蛇だったかな。


「そんなに急がなくてもいいですけど、そろそろ考えてもいいですよね」

「そうそう。結婚は一人じゃできないから。相手の都合もあるだろうし」

 俺が不在時に一体なんの話をしていたんだろうな。妙に息が合ってやがる。

 セディとベティの双方に素早く視線を向けた。

 目があったベティが咳払いをする。


「それで今回の件のそもそもの発端になった手紙の中身って一体何だったんでしょうね?」

「さあな。知らないし知りたくもないね。差出人があのおっさんというだけで碌でもないことが想像できるぜ」


「そんなことを言っていいのかい?」

「いいさ、いいさ。どうせ相手は遙か彼方だ。カスバなんぞに寄りつかなきゃいいんだよ。魔術師協会からの報酬で懐は豊かなんだ。ここでゆっくり、あ……」

「師匠どうしたんです?」

「手紙配達の報酬の1万ギルダ受け取るの忘れてた」


 セディはクスクス笑う。

「オトールがお金のことを忘れるなんて前代未聞だね。明日は槍の雨が降るかも」

「うるせえ。それじゃまるで俺が金にがめついみたいじゃないか」

 マスのソテーを口に運んでいたセディの手が止まり、ベティは目をパチクリとした。


 え? なんだよ、この空気。

 セディがフォークを皿に戻す。

「あのさあ、オトール。他の点はともかくお金に関する執着に関しては議論の余地がないと思うよ」

「そうですね。その点については擁護しづらいかも」

 ベティも申し訳なさそうに言った。


「なんだよ。金は大事だろ。金で幸福は買えないけど、嫌なことは回避できるんだぜ」

「なんか良い感じに言ってるけど、発言者がオトールだからありがたみが減るなあ」

「ああそうかよ。まあ、いいや。明日にも1万ギルダ取りにいこう」

 忘れていた金はなかったものと思えば使うのに躊躇せずにすむな。

 そうだ、分配を考えなきゃいけない。


「各自の取り分なんだが俺とセディが4で、ベティが2ってとこでどうだ?」

「私は別に構わないよ」

「勝手についてきただけですし、もらえません」

「まあそう言うなって、全くのタダ働きってわけにもいかないだろ」


 昼前から始まった謝恩会は夜まで続いた。

 途中で歌や踊りの公演も挟んで楽しく過ごす。

 お開きになり皆を見送ると、店の人に礼を言って俺たちも宿へと向かった。

 宿までは大した距離でもないが、その道中できちんとした身なりの男が近寄ってくる。


「オトール少佐ですな?」

 質問ではなく確認だったので返事代わりのゲップをしてみせる。

「こちらをどうぞ」

 男は封筒を取り出した。

 受け取って鼻の前に持っていく。


「どこぞのご令嬢からの付け文か。確かに受け取った」

 男は胸に手を当てて一礼すると俺たちを避けるようにしてすれ違った。

「最初の返事替わり、行儀が悪いね」

「なんですその手紙?」

「まあ、宿に戻ろうや」


 部屋に戻るとベティが興味津々という様子で再び尋ねてくる。

「封も切ってないのに、ご令嬢からというのは?」

「この紙を見ろよ。透かし入りの高級品だぜ。封蝋の印章は名高い交易商のものだった。そして、この香水さ。これだけ揃えばそういう推理になる」

 俺は封筒をベティの顔近くに持っていった。


 ベティは何かを思い出そうとするように眉をひそめる。

「あ、これ、薔薇色の人生って名前の香水ですよ。すっごい高いものですね。なるほど」

 少し離れたところでセディが嫌そうな顔をして鼻を動かしていた。


「ねえ、オトール。その臭いにはいい思い出がないと思うんだけど」

「なんだ気が付いていたのか」

「そりゃまあね。忘れるわけがないだろう」

 俺とセディのやり取りの雰囲気にベティが何かを悟った様子をみせる。


「この香水をマルガレートさんでしたっけ、師匠を手玉にとった女性がつけていたんですね?」

「そうだよ」

 セディが心底うんざりしたような声を出した。


 ベティが小首を傾げる。

「それじゃあ、もしかすると差出人はマルガレートさんの可能性があるんですかね?」

「まあ、開けてみれば分かるさ。こいつは俺当てだから開封をしちゃいかんということもない」


 封を切ってみるとメッセージカードが一枚入っていた。

「明日、正午に国立音楽堂の正面入り口でお待ちしています、だとさ。なんとも回りくどい感じだな」

「それで師匠どうするんですか?」


「どうせ特にすることもないんだ。どんな相手か顔を拝みにいくのも一興だと思う」

「私は反対だね。何かの罠かもしれないよ」

「おいおい、警戒しすぎだろ。まるで差出人がマルガレートで確定したかのような反応じゃないか。高い香水をつける金持ちの女なんてそれほど珍しいもんじゃないだろ」


「でもさ、このタイミングだし匿名での招待だよ。絶対にろくでもない話にきまってるよ」

「まあ、そうかもな」

「そう言いながら嬉しそうなんだけど。オトールって被虐嗜好性的倒錯者の気があるよね」


「そんなことはねえと思うが。で、ベティはどう思う?」

「もし、その手紙が色恋絡みなら絶対に差出人の名前は書きますね」

「そう?」

「そんな目の前で餌を取り上げられた犬みたいな目をしないでください」

 ベティが笑い、セディは我が意を得たりという顔をした。


「そうだ。本部に金も取りに行かなきゃいけないよ。その後大聖堂の天井画の拝観でもしよう」

 セディはベティの方に目を動かす。

 ああベティがぜひ見たいと言っていたがゴタゴタ続きで実現してないやつか。


「別に絵は逃げないと思うけど。それに頼みをすっぽかすというのも気が引けるんだがな」

「二日酔いのせいで仕事の依頼の打ち合わせに行かなかったことがある人がそれ言うんだ」

 セディが低い声を出し、俺の最後の抵抗を木っ端微塵に打ち砕いた。


「分かった、分かった。この手紙は無視するよ。それでいいだろ? まったく酔いが覚めちまった。こいつで飲み直そうぜ」

 酒のボトルを掲げる。

 大量に用意してもらったため開封もせずに残った酒のボトルを黄金の魚亭から土産にもらっていたものだ。


「まだ飲むのかい?」

「もちろん」

「付き合いきれないね」

「そう言うなよ。ミルクもあるんだ。こいつは足が早いぜ。食べ物を無駄にするのは良くない。だろ?」


「単にくだを巻く相手が欲しいだけのくせに」

「誰でもいいってわけじゃないんだぜ」

「あーはいはい」

「私も付き合います」


「ベティさん無理しなくても大丈夫だから」

「でも、この流れは絶対に面白い話が出てくるパターンです。聞き逃してなるもんですか」

 ベティはグラスを三つ取ってくる。

 俺は二つに酒を、残りの一つにミルクを注いだ。

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