第56話 入浴

「うええ。これゾッドの血ですよ。こんなに浴びちゃって。気分が悪いです」

 ベティが泣き言をいう。

 俺たちは階段を探して地上に出た。

 井戸を探して水を汲み、ベティに顔や手足を洗わせる。


 ドルネーの手下たちのうち生き残った者は魔術師たちに拘束された。

 館の周辺も含めて制圧が完了すると、数名の魔術師を残してそれ以外の者は次々と転移して消える。

 俺たちが隠しておいた荷物を取ってくると協会長と魔女ベガが待っていた。


「オトール殿、セディ殿、ベティ殿。この度の協力感謝いたす」

「私の凄腕ちゃん、お疲れさま~。カッコ良かったわよん。ご褒美に蛙にしようとしたけどなぜか効かなかったのは残念だわあ」

 おい。あれ、事故じゃなかったのかよ。


「お役に立てたようなら何よりです」

 殊勝に返事をしておいた。

「うむ。それでは帰還の準備はいいかな? 問題ないならアールデンまで転移するが」


 セディとベティが頷く。

「俺たちの準備はOKだぜ」

「うむ。それではいくぞ」

 気が付けば魔術師協会のオベリスクの前に立っていた。

 慣れたのか協会長が優秀なのか以前に比べれば気分はそれほど悪くない。


 ベガに自室に来るように誘われたが丁重にお断りする。

「ドルネーちゃんを私のペットがお仕置きするのを鑑賞してからあ、二人でしっぽりしようと思っていたのに~」

「オトール殿もお疲れであろう。ベガも魔力の回復をした方がいい」


 協会長がとりなしてくれた。

 後光が差しているように見える。

 さすが魔術師協会を束ねるだけのことはあるぜ。

 ベガは残念そうにしていたが大人しく引き下がった。

「じゃあ、またねえ」


 順番に浴室で旅の疲れやら何やらを落すことにする。

 レディファーストということでベティに最初の順番は譲った。

「師匠よりも先というのは……」

「ほら、さっきも血を浴びて気持ち悪いって言っていたろ。遠慮しないでいいからさっさと入ってこい」

 セディも強く勧めたのでベティは恐縮しながらも大人しく浴室に入っていく。


 俺とセディは前室で待つことにした。

 ソファを汚すのも気が引けたので俺は床に直接座り込む。

 大理石の床はほのかに暖かく気持ちが良かった。

「セディ。お前も座ってみろよ。どういう仕掛けかよく分からねえが暖かいぜ」


「遠慮しておくよ。床に直接座るなんて」

「文明的じゃないってか?」

「そう。よく分かっているじゃないか。そんな薄汚れた身なりだとまるで物乞いみたいに見えるよ」


「こんな男前な物乞いがいるかよ」

「浴室に入ったらよく鏡を見るんだね」

「鏡が俺のかっこよさに恐れおののいて割れるかもしれないな」

「何をどうしたら、そんな与太話が出てくるんだろうねえ」


 俺は身体を起こしているのが面倒くさくなって床に寝そべる。

 肩ひじをついて頭を支えながらセディを見上げた。

「しかし、あのクソ寒さを思うとここは天国だな。ポカポカしていて眠くなってくるぜ」


 セディは路上のごみを見るような目つきになる。

 俺は空いている方の手を挙げて発言を止めた。

「ああ。感想は言わなくても分かってるからいい」

「分かっているなら、もうちょっとしゃんとしたらどうなんだい?」


「そんなこと言ってもマジで疲れたよ。クソ寒かったし、温かい食事はしてねえし、ゾッドは居たし。最後は大乱戦だぜ。セディ。お前は疲れてねえのか?」

「正直に言うと立っているのも辛いね」

「じゃあさ、床が嫌ならソファに座っちまえよ」

「オトールですら遠慮しているのにかい? 大丈夫だよ。あと少しぐらいは耐えられる」


「ところで、セディ。お前さん風呂に入るのか?」

 俺の質問に思いっきりセディは顔をしかめる。

「ちゃんと体は拭くよ」

「いや、あの寒い場所で十日も彷徨っていたんだぜ。氷雨にも降られたし、ちゃんと湯船に浸かって汚れを落とした方がいいんじゃねえか」


「オトール」

 セディの声が低くなった。

「私が水に入るのは嫌いなのは知っているだろう?」

「海が好きじゃ無いってのは知ってるぜ。まあ海水はしょっぱいしベタベタするしな。でも、ここのは真水だ」


「真水だろうがなんだろうが体を濡らすのは性に合わないよ」

「なあ、相棒。風呂に浸かるのも文明的だとは思わねえか?」

 セディはぐっと言葉に詰まった顔をする。

「別に野生動物だって池や川で水浴びをするものだっている」


「まあな。でも、こっちは温めたお湯だ。泡立つ石鹸というものもある。これぞ文明じゃねえか」

「その得意げな顔を踏んづけてやりたいよ」

「せめて足を洗ってからにしてくれないか」


 セディははああと長いため息をついた。

「分かったよ。風呂に入ればいいんだろう」

 セディが投げやりに言う。

「別に無理強いしようってわけじゃない」

「その勝ち誇った顔はやめてくれないか?」


 俺は顔を一撫でした。

「いやあ、いつもこんな感じだろ? そうだ、なんなら一緒に入るか? 背中流してやるぜ」

「おあいにく様。君たちヒトと違うんでちゃんと手が届くから」

 そこへ扉が開いてベティが出てくる。


「お先にすいません。急いで入ったつもりですけど、お待たせしちゃいましたね。で、お二人はなんで微妙な空気になってるんです?」

 頭にタオルを巻き借り物のモコモコしたローブを着たベティはすっかり元気そうに見えた。


「ちょっと文明の発達について議論していたのさ」

「オトールに慣れすぎじゃないかな? 普通は床に横になっている方が気になると思うんだけど」

「ああ、それはそうですね」

 ベティはクスクス笑う。


 その様子を見てセディはいつもの表情を取り戻した。

「それじゃ次に入らせてもらうよ」

 先ほどまでの不服そうな態度が嘘のようにさっさと浴室に消える。

 この場には俺とベティが残された。

 まあ、三人居て一人減れば二人が残るのは簡単な算数である。

 問題なのはその相手が風呂上がりの魅力的な女性であることだった。

 壁際の台の上の水差しに歩み寄る姿をついつい目で追ってしまう。


「師匠も飲みます?」

「いや、結構だ」

 コップに水を注いでベティはソファに座った。

 俺は床に寝そべっているので、ローブの奥を覗き込もうというスケベの構図になってしまう。

 ゴロンと反対向きに寝返りをうった。


「それ、ちょっと傷つきます」

「あ、ああ。いや覗いちゃまずいってだけで他意はない」

「私は別に気にしませんけど」

「少しは気にしようや」

「そうですね」


 しばらく沈黙が辺りを覆う。

 肩越しに見ると唇を噛みしめていた。

「あの。師匠」

「なんだ?」

「やっぱり私って、お二人に比べるとまだ未熟ですよね」


「うん、まあ、伸びしろがあるともいうな」

「どう言い換えたところで足手まといなのは変わらないかなって……」

 起き上がるのも億劫だったが、もぞもぞと動いて胡座をかきベティを正面から相対する。


「まあ、経験の差はあるだろうな。それに俺は天才だし」

「そうですよね……」

「いやいや、そこは何言ってんだコイツって冷たい目で見るところだろ」

「実際私よりずっと強いですし」

「俺たちと一緒にいるのが嫌になったか?」


「嫌ではないです。差を実感させられるのは辛いですけどね。何も怖いもの無しの師匠とは違うんだなって」

 下唇を指で引っ張った。

「うーん、俺だって怖いと思うことぐらいあるぜ」

「本当ですか?」


「散々セディに警告されたのにマルガレートにケツの毛までむしられたときとか」

 ベティがふふっと笑う。

「師匠をそこまで骨抜きにしたなんて、ちょっと妬けます」

「ベティさんの方が数倍素敵だよ」

 セディが扉から顔を出し口を挟んだ。

「オトールはね、趣味が悪いんだ」


 俺はよいしょと立ちあがる。

「ああ、ベティはとても魅力的だ」

 それを聞いてベティは膝を抱えて唇を尖らせた。

「師匠は口先ばっかりじゃないですか」

 おいおい、見えるぞ。


 セディもうんうんと頷いている。

「あー、そうだ。誰かのことが怖いと思ったときにそれを振り払ういい方法がある。そいつがな、真っ赤な毛糸のパンツを穿いているところを想像するといい。笑えるぞ」

 それだけ言い置いて浴室に向かった。

 まあ、後はセディに任せよう。

「オトール。最後のセリフがパンツなのってのはどうなのさ?」

 扉が閉まる直前にそんな声が聞こえた。

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