第52話 大地の裂け目
ふっぇくしょん。
ひどく大きなくしゃみが出で、同時に体がぶるりと震える。くしゃみの音は周囲の木々の中に吸い込まれて消えていった。セディが白い目を向けてくる。
「オトール。これじゃあ、ドルネーとかいう魔女に見つけてくれって言ってるようなもんじゃないか」
「だって、しょうがないだろ。クソ寒いんだから。それに、この辺りはまったく無人ってわけじゃねえんだ。それなりに通行する人間もいる。間抜けな狩人が風をひきそうになりながら、ふらふらしててもいちいち確認しには来ないだろうよ。それにしてもセディ、お前さんは寒いのは得意じゃないはずなのに、こんな場所にいて平気なのか?」
「ああ。魔術師協会で提供してくれた肌着、着ているだけで自然とほんのりと暖かいんだ。だから寒さは気にならないね。オトールも同じものを貰えば良かったのに」
「その分、報酬から引かれると思うとなあ。それにいくら暖かいといっても所詮は下着だって思うだろ。そこまで優秀とは分からなかったからさ」
「見た目だけじゃ判断できないってことだね。まあ、今さら言っても始まらないか。もし、寒さに耐えられないなら、私の貰ったうちの未使用のものをオトールにあげてもいいけど」
セディの方が背が高いうえに胴も長い。俺が着たらへそが出てしまうだろう。
「そいつはどうも。だけどサイズが合わないだろ。あとたった五日間の我慢だ。まるっきり耐えられないってわけじゃねえ」
「じゃあ、私の使います? ちょっときついかもしれませんが、伸縮性のある素材なので着れなくはないと思いますけど」
横からベティが提案してきた。
「気持ちだけありがたく受け取っておく。まあ、こうやって震えているのは自業自得なんでね。この腹立ちは、ドルネーとその一味にぶつけるさ」
「一応自分が悪いって自覚はあるんだね」
セディがヒゲを振るわせて笑う。
「それなのに八つ当たりをされるんじゃ、気の毒な気分になってくるよ。それにしても、季節が秋で良かったね。これが真冬だったら雪と氷に埋もれてたんだろうなあ」
「そんなことよりも、ちゃんとタイミングを合わせて陽動作戦を実施してくれるかが心配だぜ」
セディは首から下げている革ひもにくくりつけられた丸いものを引っ張り出した。金属製の蓋を開けると薄く加工された水晶に数字が浮き上がっている。百歩ほど歩くと数字が一つ減った。パチンと蓋を閉じて服の中に仕舞いこむ。
「ちゃんと動いているよ。これがゼロになったら行動開始ってことだったろ?」
セディが持っているのとペアになっているものをベガが持っていた。同じようにカウントダウンするので離れていても行動のタイミングを合わせられると聞いている。逆に言えば、ゼロになる前にドルネーの拠点を探し出して、襲撃に備えて待機していなくてはならない。
「なんか、それ、イマイチ信用がならんのだよな。もう一つのと数字がずれても確認しようがないだろ。実際、それとは別に貰った品はここじゃ役にたたねえし」
俺は外套のポケットから取り出した方角が分かる器具を振ってみせる。
「魔術師や魔女って、魔法でなんとかしちまうから、命に直結するものでも無い限り、道具の精度や故障に頓着しなさそうなんだよな」
ベティが不安そうな顔をした。
「とすると、本当にこの方角であってるのでしょうか?」
「そこは地図を読むのが得意な誰かさん次第じゃないかな。作るのと同じぐらい優秀ならわけもないはずさ」
まだ偽地図作りの件引っ張るのかよ。若気の至りなんだからさ、セディのやつ、いい加減勘弁は……してくれねえよな。全部回収して弁償を終えるまでは。
「まあ、地図の上下をぐるぐる回したりはしねえから安心してくれ。真っ直ぐ北に向かえばいいんだ。方角さえ間違えなきゃ目をつぶっていても到着するぜ」
「でも、方角を確認できる器具が壊れてるって話でしたよね。ずっと曇か雨で太陽出ないので、それで確認することもできませんし。どうするんですか、師匠?」
ちょうど森が少し開けた場所に出る。俺は立ち止まって大きな木の根元を指し示した。
「特に変わったものはないですよ」
「だな」
俺は開けた場所を通り抜ける。反対側のところまで行くと同じように、木の周囲を一周した。ベティは首を傾げる。
「やっぱり、変わったところは無さそうですけど」
「そう、くすんだ茶色のヒョロリとした茸が生えてるだけだ。だが、この木の空き地側は生えてねえ。で、この茸なんだが、日が当たるとすぐ枯れちまう。つまり、こっち側が南ってことが分かるわけさ。あとは、この辺には手頃なのがねえが切株を見るって手もある」
「さすが師匠、よく知ってますね」
「そりゃ、ガキの頃、この辺りを父親に連れられて行商して歩いていたからな。すげえ歩かされるし、儲けは少ねえ、狼や熊は出るで最悪だった。そんな退屈な生活に嫌気がさして、飛び出したっきりさ」
ベティが感心した声を出す。
「師匠の子供の頃の話って初めて聞きました」
「ということで方角は間違っていないと思う。このペースなら、予定通りにつくんじゃねえか」
なんて言ったのが悪かったのかもしれない。その翌日に、馬鹿でかく深い裂け目にぶち当たってしまった。俺たちの進行方向を塞ぐように左右に見渡す限り広がっていて、幅は四頭立ての馬車の長さほどある。近寄って覗きこみ、小石を落したが底に到達する音はしなかった。こりゃ落ちたら、あの世行き間違いなしだな。
「こんなの見たことないぜ」
「ここ数年でできたんだろうね」
「参りましたね。これ避けるのにどこまで進めばいいか分からないですよ。右、左どちらにします?」
俺はセディをちらりと見た。荷物を降ろして屈伸をしている。
「いや、真っ直ぐだ」
「師匠、冗談ですよね。セディさんもヨシじゃないですよ。あっ!」
軽く助走をつけたセディが軽やかに裂け目を跳び越えた。縁まで相当余裕を残している。俺はロープを取り出して先端に重しをつけると、セディに向かって投げた。
細くて軽いのに丈夫なロープをセディは近くの木の二股に分かれた部分に通して、重しを投げ返してくる。こちらでも俺が同様にしてしっかりとした輪を作った。セディの荷物をくくりつけるとセディと息を合わせて、ロープを手繰り寄せる。俺とベティの運んでいたものも同じようにして向こう側に渡した。
「お次はベティ。お前さんだ。下は見るなよ」
万が一のためにベティの腰に命綱をつけて、ロープに結び付ける。危なげなくベティは渡り切った。一番身軽ではあるけれども、剣を振っているお陰で握力はそこそこある。だから、まあ、当然の結果だろう。
さてと、最後は俺の番だな。向こう側を確認したところで、ギリギリ見える距離のところに黒い塊がいくつか見えた。みるみるうちにそれは大きくなる。
「セディ、気を付けろ。狼の群れだ」
俺の警告の声に二人は振り返った。
セディは両腰から鉄棒を引き抜く。目的地から五日の距離より近づいたら、魔法銃は使わない様にとの忠告を受けていた。どうも、魔法の使用を警戒しているときに発射するとドルネーに検知される危険があるということらしい。ベティも腰の剣を抜いて構えた。
その間にも狼の群れはどんどん近づいてきている。もう一匹一匹が識別できるようになっていた。数が多い。どうもこの辺りの最大の群れの注意を引いてしまったらしかった。まずいな。二人で相手をするにはちと数が多い。俺は飛び上がるとロープにつかまってぶら下がると、大きく体を左右に振ると次々と両手を交互に前に出してロープを掴みなおし、裂け目を渡り始めた。
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